か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

諫早大洪水  締め切り堤防 2

2017年04月18日 | 事件事故

有明海の河口。肥沃な沖積平野が広がる。水田耕作には、完全な平面だとかえって適さない。水が排水できないからだ。水田というくらいだから大量の水もまた必要であり、両者のバランスから1/200の傾斜が適当であるとされる。

人間の目には水平に感じられるが、このわずかな傾斜が農業の先進地域を作り、10俵/ヘクタールを下らない。14俵作る人もいる。平均2ヘクタールだが5ヘクタール以上の農家数は毎年増加している。

この平野は、ほとんどが人工の平野である。1000年以上を要して少しづつ干拓を進め現在の地形になった。干潟こそがその1/200を提供してくれた。

有名な吉野ケ里遺跡は海岸から40キロも離れるが、付近には「潟」とか「浜」のつく地名が多い。

つまり少しづつ干拓していったことの何よりの証拠だ。

これは重要なことで、数十年スパンで、わずかに数十メートル。この規模で海岸線を伸ばすと、干潟は堤防の向こう側に年月をかけ形成される。1000年干拓を繰り返しても干潟が無くなることはない。

では、なぜ干潟が重要か。この有機質の宝庫は、カニ、貝、ムツゴロウ、鳥たちの食物連鎖を形成しているのだ。この海に住む固有種は20種類に達する。三角貝はカンブリア紀からこの海にいる生きた示準化石だ。

アサリは一搔きすると5~6個採れた。鳥は海と陸地を往来し共生の橋渡しをしてきた。浅い海は温暖な気候をもたらし植物(稲)の生育を助けた。

桜の開花、梅の開花、霜日数、様々なグラフが有明海沿岸部がいかに干潟の恩恵を受けているか示している。

その千年にわたる共生しながらの農耕地拡大と、数秒で海を遮断したことを同列に論じてはならない。有明海の一部であった諫早湾は有明海のゆりかごと呼ばれてきた。(この理由は次回)

その締め切り堤防の外側に、もはや干潟が再生されることはない。黒潮の分流によって有明海には常に右巻きの海流が流れる。だがその流れは諫早湾に流れ込むことなく速度を上げ有明海を回る。諫早湾に蛇行することが無くなったから。

なぜなら、もはや諫早湾はないのだ。遠浅の諫早湾が締め切り堤防で消滅すると当然に有明海は豊饒の海から酸欠の海に代わる。植物プランクトンを遮断しておいて、どこで酸素ができるか。 レイチェル=カーソンの"Silent Spring"は見たくない。

つづく

 

 

 


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