か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

重症者が減るのはいいことか。

2020年12月27日 | 事件事故

重症者に出口は二つしかない。

回復し退院するか、火葬場の煙になるか。この二者択一のほかない。

 

そこで重症者が増えるということを算数的に考えてみる。もとより僕は重症者を新規感染者と同列に扱うことに不信を抱いてきた。

というのは、

例えば、

A

重症者が100人いて10人が死に新たに重症化した人が9人出たとすると重症者数は100-10+9=99人になり減少する。

 

 

 

ところが、同じ一人減の場合でも、

 

B

死者が出なくて一人回復したという場合も100-0-1=99人になる。

 

だから、同じ99人という数でもAとBとではその数字の意味が異なるのだ。数字だけみてもわからない。

 

 

ところが

印象として、重症者が火葬場行きになって減少する数と新規の重症者数が相殺されて日々重症者数が更新されているのを忘れている気がする。

新たに運び込まれる重症者の数のみに注目するようにわれらは誘導されていないか。

 

新たな重症者が100人出ても100人死ねば重症者数に変化はないということで安心している。

 

 

つまり申し訳ないが頭が悪いのだ。

 

 

こんな数のトリックは簡単にできるが、賢く本質を見る姿勢が大事だと思う。

 

その本質とは何か。

 

 

死者数だ。

 

9月に死者数が一日に二桁に移行した。この時死者数を重症者数に比して強調しないのは誤りだと僕はブログで言った。

小池は感染者数は増えたが重症者数はそれほど増えてないとして危機から目をそらした。まさに9月に。

 

重症というのは通過点であり問題は死者数である。さらには重症患者になる前に軽症から一気に危篤状態になる場合が死者の4分の1である。この場合は重症者数に何の影響も与えていない。

この流行病は死ぬから問題なのである。

 

これを覆い隠すように、一波二波と波を乗り越えて知見が高まったとか、流行の拡大とともに弱毒化するとかいうがそれはまやかしである。

 

我らは事実であることと真実であることを区別する科学性を持たなければならない。

「嘘」は事実によって構成されるのである。知見が高まったのも事実であり弱毒化もそのスパンを無視すれば事実である。100年スパンではコロナも弱毒化するだろう。スペイン風邪を見ても100年後の今日当該ウイルスは新型インフルエンザの出現で駆逐された。

 

ところが、問題は100年スパンではないということ。今そこにある危機がポイントだ。能天気な菅とその取り巻きは御用学者の集団ですら危機を訴えているのに経済との両立に固執する。

コロナを駆逐すること以外に経済回復は絶対にない。

 

今死者数は一日40人になった。3か月で4倍に増えたので来年はコロナゆえんの死者は2万人を超す。数式は省略するがこれは数学上の必然なのだ。

政治的には誤判断、無策、責任回避の連続なので、数値モデルのようにきれいな波の増加関数をたどっている。変曲点が一つもない。

 

「医療ひっ迫」も世論喚起に利用されている。

なぜなら、どうしてイギリスは日本の20倍の重症者を出していながら医療ひっ迫や崩壊を起こさないのか。

普段は世界に冠たる医療制度を誇りつつ、英国の20分の一の波で崩壊する。これは設備の問題ではない。システムの問題だ。

症状の重い順ではなく、どんなに軽症でも無症状でも入院順をルールにする以上急変患者には対応できなくなる。

 

 

仕事しろよ、菅。



最新の画像もっと見る