霊芝山 光雲寺は、東福門院和子の菩提寺として有名な寺院で、臨済宗南禅寺派の境外塔頭で、もとは摂津国天王寺にありました寺院です。
開山は南禅寺開山大明国師で、1280年の開創と云われます。 その後、戦乱によって一時は荒廃いたしておりましたが、1664年に南禅寺第二百八
十世英中玄賢禅師によって南禅寺北ノ坊の地に移築し再興されました。
玄関には、菊の御紋と葵の御紋が染め抜かれた幕が掛っております。
当初は五千三百坪の広大な寺領に七堂伽藍を完備し、五十人の雲衲が、切磋琢磨したと伝えられております。
現存する仏殿と明正天皇寄進の鐘楼とが当時をしのばせております。
今回の特別公開は、京都冬の旅の企画の一つで、NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の放映を記念して戦国の世を彩る女性たちゆかりの寺院
を公開されております。
開基 東福門院和子(とうふくいん まさこ)は、二代将軍徳川秀忠と江姫の娘で、14歳で入内してのち後水尾天皇の中宮となりました。奈良時代以
来の女性天皇である明正天皇の生母でもあります。御所での一絲文守禅師の説法を機縁としてことに禅宗に帰依された東福門院は、光雲寺を英中
禅師の推挙によりご自分の菩提寺として再興するに際して、秀忠公の遣金をもってなされたと云われております。
仏殿には、本尊の釈迦如来像や脇に仏弟子像などの他に、東福門院像や念持仏の聖観音像や徳川家代々の十五の位牌も祀られております。
特別公開期間中は、観光バスの団体の方が、何組も来られておりました。
玄関を入り左手に進みますと仏殿になります。写真は、左手に仏殿その東側の方丈への廊下です。正面の廊下を右手に進みますと有料のお茶席が
あります。
方丈には、東福門院自筆の過去帳やゆかりの品や古文書などが展示されており、係りの方が詳しい説明をしてくださいます。
方丈庭園と右手お茶席が設けられている庫裡の建物です。
光雲寺庭園は、東山の霊芝山などを借景に取り入れ、池には琵琶湖疏水が引き込まれた池泉回遊式の庭園で、江戸時代より名園と云われておりま
したが、昭和二年に第七代小川治兵衛(植冶)によって大幅に手が加えられております。
随所に植冶の作風と円熟した技が残されている庭園は、その価値が認められ平成9年に京都市の第23番目の名勝に指定されております。しかし、
近年、池の石組や築山の苔の痛みが目立つようになったため、平成21年11月より22年9月まで、京都造形芸術大学の学術指導を受け修理工事が
行われました。
方丈の東側の軒下にある手水鉢は、加藤清正が朝鮮より招来した瑪瑙(めのう)手
水鉢で、徳川家の手に入ったのち東福門院が寺に寄進したものです。
梅の木ですが、枝が割れたようになりながらも、つぼみを付けておりました。
池に落ちそうなくらいせり出しているのは百日紅木です。
お茶席のある庫裡の前の燈籠と手水鉢です。
庭の向こうに見える葉を付けていない木々は、哲学の道の桜だと思います。
こちらは、モミジのようです。
特別公開中は、仏殿と方丈で係りの方が、詳しい説明をしてくださるので、寺の歴史や関わった方々の事がよく解り仏像一つを眺めても値打ちがあり
ました。 右手が仏殿です。 通常は、禅道場として使用されております仏殿も期間中は、畳が敷かれておりました。
仏殿に祀られている、御本尊の釈迦如来像と仏弟子像 東福門院画
東福門院の没後、一周忌に創られたという木像 作者は不明とのことです。
東福門院の念持仏の聖観音像 厨子の天井に描かれている雲龍図も色彩がはっきりと残っ
ておりました。 説明によりますと、厨子の柱や台座には、菊の御紋と葵の御紋が彫られて
おり、両家に関係のある立場を表しており大変珍しいものとのお話でした。
こちらの、光雲寺は駐車場がありませんので、ご注意ください。付近にも永観堂の
北側に4台程停められる駐車場があるだけです。
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