毎年、恒例行事となっております愛宕神社にお札をいただきにまいりました。 愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)前からトンネルを通り 清滝の登山
口に向かいます。 愛宕山の千日参りとは、本来7月31日の夜から1日の朝に掛けてお参りすると千日分の御利益があると言われており、皆さん
日暮れ近くから登られる方が多いですが、夜は人が多く登りずらいので2年前よりより31日の早朝に登るようにしております。
トンネルを抜けるとすぐに登山口があります。
登山口の手前にある駐車場は、100台程度駐車可能ですが、早朝6時でこの様子ですので30分後には満車となります。その時はトンネル手前の
駐車場に停めざるをえなくなり、1キロ程度余計に歩くことになります。
清滝川下流方向です。川はこの先すぐに大隅川と合流し渡月橋をへて桂川になります。 大隅川の上流は保津川で、嵐山の少しの区間だけ大隅
川と云います。
駐車場横の清滝川が下を流れる橋を渡れば左手に表参道の登り口の鳥居が見えます。 右に進みますと月輪寺を通る7キロのコースがありま
す。 今回は、表参道から登り帰路を月輪寺のコースを通ってみます。
6時10分登山口の鳥居を潜りました。
登り口の鳥居から約4キロの行程を個人差はありますが、元気のある若い方で1時間半、一般的には2時間か
ら3時間、ゆっくりの方でそれ以上の時間をかけて登ります。以前は、1丁目ごとの石碑しかなく自分の位置が
確認できずペース配分が難しかったのですが、数年前よりオレンジの立て札が、100mおきに立っているので、
とても助かるようになりました。 お助け杖を持って上られる方も多く、私は二本持っていきますが、下りの膝へ
の負担がずいぶん少なくなりお勧めします。
最初の2~300メートルはコンクリートの坂道で始まります。 登りは良いのですが、下りの最後のこの区間は、
膝が疲れている上に、つま先に体重が掛りとてもつらい区間です。
上り始めてすぐの所にお助け水の湧水があり、下山される方は顔を洗ったりタオルを浸したりとありがたい水場となります。
この時間にもう下山されて来る方も居られました。
三合目の休憩小屋
7月31日の夜から1日の朝にかけてお参りする千日参りでは、休憩をされる方で溢れております。
今年は、湿度も高くなく好天に恵まれ風の抜ける場所では、とても爽やかな気分で登れました。
五合目休憩所
五合目までが急激な坂が続きますが、それ以降はずいぶん楽になります。
7月15日に降った大雨で土砂崩れを起こしておりました。
三合目地点の休憩所でしたが、こちらも土砂崩れで壊されておりました。
休憩所前では、道中唯一市内を望める場所があります。
手前に見える池は広沢の池です。
八合目の休憩所は、柚子の里として知られる水尾からの登山道との合流地点に建ちます。
左手が水尾方面です。
こちらの小屋は、水尾地方の産品が販売されております。
九合目地点に建つ黒門
ここで山道が終了し山頂の神社近くまで平地が続きます。
神社までの最後の階段です。
8時半やっと山頂の愛宕神社到着です。
お札を求める方々です。 先に古いお札を納め本殿にお参りしてから、お札をいただいて帰ります。
夜中には、すべての場所が人で埋まってしまいます。
本殿 愛宕神社は、標高が924メートルの京都で一番高い山として知られております。 全国にある約900社の愛宕神社の総本社であり旧称阿多
古神社、通称 愛宕さんと呼ばれ京都市民に親しまれております。 古くより比叡山と共に信仰を集めた愛宕山は、火伏せ・防火に霊験のある神社と
して知られ、3歳までに参拝すると一生火事に遭わないと言われております。「火廼要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は古い家の
殆どと言ってよいほど京都の家庭の台所に貼られており、飲食店の厨房や会社や茶室など火を使う職場にも貼られていることが多いです。
返納所
女の人が触っているサイズが標準サイズで1枚500円いたします。
階段下の休憩所で軽く食事を済ませ、帰路は亀岡方面から月輪寺(つきのわてら)方面に分かれる道を進みます。
初めて通る道ですが、表参道に比べ道が狭くうねっておりますが、人がいないのでマイペースで進めます。
歩き始めて40分位で月輪寺が見えてまいりました。
明智光秀が、本能寺で織田信長を討った時、前夜に愛宕神社に戦勝祈願に訪れた事は有名な話です。
月輪寺(正式名称 つきのわでら)は、右京区嵯峨清滝月ノ輪町にある天台宗の寺院で山号は鎌倉山(かまくらやま、けんそうざん)と云います。
こちらも、15日の豪雨で土砂崩れの被害に会い、お堂の一つが腰の高さまで土砂に埋まったそうです。 高地に有る為なかなか復旧の目処が立た
ないと寺院の方が嘆いておられました。 土砂で埋まったお堂は築年数が浅いらしく重要文化財の指定を受けていない為、国の支援を受けられない
そうです。檀家さんも無く資金的にとても厳しいそうです。
京都盆地の西にそびえる愛宕山(924m)の東方の深い山中に位置する山岳寺院である月輪寺は、かつては愛宕大権現白雲寺であった愛宕神社
(愛宕山山頂に位置する)との関係が深く、また空也、法然、九条兼実などのゆかりの寺として知られております。境内には親鸞の手植えと伝えられ
る時雨桜があり、シャクナゲの名所としても知られており、法然上人二十五霊跡第十八番にしていされております。 開基(創立者)は泰澄と伝えられ
ております。
平安時代には空也(903年 - 972年)が来山し、九条兼実(1149年 - 1207年)も当寺に隠棲したと伝えられ、日本浄土宗の祖である法然(1133
年 - 1212年)と親鸞(1173年 -1263年)は、流罪になる前の承元元年(1207年)、月輪寺に兼実を訪ねて別離を惜しんだと伝えられております。
法然、親鸞、兼実の3名は、別離に際してそれぞれが自身の像を刻んだと言われ、各人の自刻像と称するものが「三祖像」として寺に伝わっておりま
す。 ただし、法然像と親鸞像は江戸時代のものであり、伝・九条兼実像は像の制作自体は平安時代後期にさかのぼるものの、元来は僧形文殊菩
薩像として造像されたものと思われると説明されております。
こちらのお堂が、土砂で被害を受けたそうです。
親鸞聖人の御手植えと云われる、時雨桜
本堂には、御本尊の阿弥陀如来像が祀られております。
清滝から登ってまいりますと、こちらから境内に入ります。
お参りを済ませ、下山いたします。 月輪寺を後にして20分ほど下山いたしますと、川の流れの音が聞こえてまいり終点を予感させるのですが、
なかなか川の流れが見えてくれません。
月輪寺から下山すること40分程度でやっと川が見えてまいりました。
こちらの川で顔を洗い、後は平地の林道を20分ほど歩きますと清滝口の駐車場に戻れます。
林道の眼下には、清滝川が流れます。
登り2時間半、山頂休憩30分、下り2時間の行程でした。
最後は、清滝川で疲れた足をクールダウンいたしました。
さて、文中に「大隅川」との記述がありますが、「大堰川(おおいがわ)」のことを言われているのかと思いました。
つまり、桂川は・・・
通例として、京都市右京区京北地区の流域にかけては「上桂川(かみかつらがわ)」、南丹市園部地区に入ると「桂川」、南丹市八木地区から亀岡市にかけては「大堰川(おおいがわ)」、亀岡市保津町請田から京都市嵐山までは「保津川(ほづがわ)」などと名を変え、嵐山から合流地点は再び「桂川」と称される。
なお、嵐山渡月橋辺りにも「大堰川」と記された石碑があるので、この辺りも「大堰川」と呼ばれていたと思われます。
私書籍の編集を行っております株式会社GBの山本と申します。
ただいま弊社ではディアゴスティーニジャパン発行の「週刊 日本の神社」という雑誌の編集をしておりまして、
この度京都の愛宕神社の特集を組んでおります。
その誌面にて愛宕神社のお祭りにフォーカスしたコーナーが御座いまして、
そちらの挿図として「京の四季 名勝散策 写真集」様でお持ちの千日詣りのお写真を誌面にてご掲載させて頂ければと存じ、ご連絡をさせて頂きました。
ご検討頂けるようでしたら、
企画書等をお送り致しますので、下記に御座いますアドレス宛にご連絡頂ければと存じます。
7月3日(金)までにご連絡頂ければ幸いです。
それではご連絡お待ちしております。
株式会社GB 編集部 山本
メールアドレス(◎を@にお変えください)
yamamoto◎gbnet.co.jp