京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

嵐山 鹿王院 秋紅葉 11/30/2011

2011年12月28日 | 洛西 嵐山・嵯峨野 高雄

      

      鹿王院(ろくおういん)は京都市右京区嵯峨北堀町にある臨済宗系の単立寺院です。開基(創立者)は足利三代将軍義満で、寿命を延ばす事を祈っ

      て建てた禅寺と伝えられ、覚雄山 宝幢禅寺 鹿王院と名づけられた名刹です。 開山は義満公の師、普明国師で、開山(初代住持)は春屋妙葩(し

      ゅんおくみょうは)です。   山門上の山号「覚雄山」の扁額は、 足利義満公筆と云われております。

 

 

 

 

 

 

      

      鹿王院は、足利義満が建立した宝幢寺という寺の塔頭(たっちゅう)であり(塔頭とは、禅寺等で歴代住持の墓塔を守るために建立される寺院のこと)

      で、宝幢寺は応仁の乱で廃絶しますが、その後は開山の塔頭であった鹿王院のみが残って寺籍を継いでおります。 

 

 

 

 

 

      

      室町時代の記録である『花営三代記』や、開山伝の『宝幢開山知覚普明国師行業実録』によりますと、宝幢寺の建立経緯は、足利義満は康暦元年

      (1379年)のある夜、「そなたは今年中に大患をわずらうが、宝幢菩薩を祀る伽藍を建立すれば寿命が延びるであろう」との夢告を受け、そのため、義

      満は自らの帰依する禅僧春屋妙葩(普明国師)を開山として一寺を建立することとし、康暦2年(1380年)完成しました。

       

 

 

 

 

 

               

               宝幢寺の塔頭であった鹿王院は、嘉慶元年 (1387年)、開山の春屋妙葩の寿塔(生前に造る墓)を守る役目

               の塔頭として創建されたものです。 なお、鹿王院の名は建立の際に野鹿の群れが現れたことによると伝えられ

               ます。

 

 

 

 

 

      

      宝幢寺は禅寺十刹の第5位に列せられる大寺でありましたが、応仁の乱で廃絶し、塔頭の鹿王院のみが残り1661年 - 1673年、酒井忠知(徳川四天

      王の一人である酒井忠次の子)によって再興され、忠知の子である虎岑玄竹(こしんげんちく)が中興開山の祖となりました。 

      「禅寺十刹(じっさつ)」とは、中世における禅宗寺院の官による寺格統制制度のことで、「五山」の次の寺格を有し、「諸 山」の上の寺格をもっておりまし

      た。「五山」が主として中央(京都・鎌倉)の禅寺に対してのみ設定されたのに対して、 「十刹」は京都・鎌倉に限らず、日本全国にわたってひろく設定さ

      れたということがその最大の特徴となっています。 五山十刹制度は、中国において禅宗の中心となっていった臨済宗が宮廷や士大夫との結びつきを

      深める中で、一 般社会の官僚制度が禅林内に導入されたもので、中国南宋の寧宗(在位1194~1224)の時に成立したものです。

 

 

 

 

 

 

      

      日本におきましては、この頃までは鎌倉の方が多かった十刹寺院も、その後足利義 満(1358~1408)が恣意的に十刹の位次を決定し、とくに十刹を

      京都中心の座位とし、また夢窓派の寺院が増加したことによって、康暦2年(1380)には十刹寺院の数が定数である「十」を超えた16ヶ寺にまで激増い

      たしました。「京都十刹」と称される京十刹は、至徳元年(1384)に設定され、また鎌倉の寺院は「関東十刹」として再編成され、現在「京都十刹」として

      知られる寺院は、この時に設定されたものです。以下が京都十刹のリストになります。

 

 

 

 

 

      

      第1位 等持寺 夢窓疎石  廃寺   

      第2位 臨川寺 夢窓疎石  開山塔三会院のみ臨川寺として現存

      第3位 真如寺 無学祖元

      第4位  安国寺 大同妙テツ 廃寺    

      第5位 宝幢寺  春屋妙葩  開山塔鹿王院のみ残存

      第6位 普門寺  円爾    廃寺

      第7位  広覚寺 桑田道海   廃寺

      第8位 妙光寺  無本覚心

      第9位 大徳寺  宗峰妙超

      第10位 龍翔寺 南浦紹明  寺地移転し、大徳寺山内寺院としてて現存

 

 

 

 

 

               

               山門を潜り、長い石畳の参道の正面に中門が見えてまいります。 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

      

       中門から正面、拝観受付がある庫裡

 

 

 

 

 

      

      右手が、庫裡の拝観入口と左が玄関になります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       庫裡の玄関から見た中門 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      こちらでは、スリッパが用意されておりますので、必ず使用してください。 舎利殿へ渡る時に石畳の上を歩きますので。  

 

 

 

 

 

      

      庫裡から客殿に面した庭園に出ます。 鹿王院では、本庭と呼ばれております。  

 

 

 

 

 

      

      本庭の中心に舎利殿が建ち、鎌倉将軍源実朝が、宋の国から招来した仏牙舎利が、内部の多宝塔に祀られております。 庭園は、嵐山を借景にして、

      室町時代の石組や樹齢400年の木斛(もっこく)の銘木で格調高い本庭が出来上がっております。 

 

 

 

 

 

      

       舎利殿、東面

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      客殿から本堂に向かう回廊、右手の奥には茶室が建ちます。

 

 

 

 

 

      

      茶室「芥室」は、後で回ります。 

 

 

 

 

 

      

      回廊の突き当たりにある本堂中央には、釈迦如来像を中心に十大弟子像が祀られております。

 

 

 

 

 

      

      釈迦如来像は、南北朝期の作で、、十大弟子像は、鎌倉期の慶派仏師の作とされておりますが、寺伝では運慶作と伝わっております。当時、京都五

      山をはじめ禅寺は応仁の乱(1467~)でことごとく焼失いたしておりますが、創建当時の本尊が残っているのは極めてまれであり応仁・文明の乱時に

      は、衣笠の等持院に避難しておりましたが、この時に弟子の一体が行方不明になっており、数年後に栂ノ尾の閻魔堂から発見されたとの記録が残り

      ます。

      釈迦如来像は、創建時に制作され、鎌倉前期の作と云われます十大弟子像の方は、他から移して来たものでないかと推測されております。十大弟子

      とは、釈迦生存中の最も優れた実在の弟子で、十大弟子中の迦葉(かしょう) に拈華微笑(ねんげびしょう) の因縁から伝えられ、さらに迦葉から阿難

      (あなん)をへて、のちに達磨に伝えられ今日に至っております。

 

 

 

 

 

      

      本堂から舎利殿へ渡る回廊から 

 

 

 

 

 

      

      舎利殿を一周して内部を拝観いたします。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      舎利殿の南側には鹿王院の唐門で薬医門があります。  

 

 

 

 

 

      

      本庭の東南角に建つ宝蔵 

 

 

 

 

 

      

      客殿方面 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      舎利殿の内部は、仏牙舎利が祀られている多宝塔が中央にあります。この仏牙は天下泰平の霊仏で、後光厳天皇が、普明国師に賜ったもので、後奈

      良天皇・正親町天皇・後水尾天皇も、礼拝供養しておられました。この仏牙舎利が日本の博多に無事着船したのが10月15日であったことから、昔から

      毎年その日を「舎利会」と定め、御開帳して勝縁を結ばしておられます。舎利殿は別名「駄都殿」とも呼ばれております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

       

       舎利殿内に掲げられている、「十六羅漢図」は、狩野鶴嶺筆とあります。 

 

 

 

 

 

      

      多宝塔の上には、天蓋が吊るされ内側には雲龍図が描からており、法の雨をふらせるという意味があるそうです。

 

 

 

 

 

                  

                  

            多宝塔を護る四天王像      持国天 - 東勝身洲を守護する。乾闥婆、毘舎遮を眷属とする。

                                  増長天 - 南瞻部洲を守護する。鳩槃荼、薜茘多を眷属とする。

                                  広目天 - 西牛貨洲を守護する。龍神、毘舎闍を眷属とする。

                                  多聞天 - 北倶廬洲を守護する。毘沙門天とも呼ぶ。夜叉、羅刹を眷属とする。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

       

        客殿の裏手には後庭があり、その北側に茶席「芥室」へと廊下でつながります。

 

 

 

 

 

      

      ここで、庭に降りて茶室に向かうのでしょうが、公開はなされてませんでした。 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

      

      茶室前のつくばい 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

  

      

      庫裡前の前庭と本庭を隔てる土壁 

 

 

 

 

 

      

      客殿正面に掲げられている、足利義満筆の「鹿王院」の額。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      庫裡玄関内側から 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       中門の外側に掘られたお堀

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

      

      参道脇には鹿王院の鎮守の三社大明神が建ちます。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

      

      鹿王院は、門前に4台の駐車スペースがあるだけで、大型バスも入って来れないので、この時期でもあまり混み合うことの少ないスポットです。 

 

 

 

 

 

      

      鹿王院から渡月橋までは、徒歩ですと15分程度の距離になります。 

 

 

 

 

      

       

 

 

 

 

      

      一歩渡月橋近辺に近づきますと、この時期は車と人の停滞に巻き込まれてしまいます。 

 

 

 

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 嵐山 車折神社 秋紅葉 11/... | トップ | 西山 地蔵院 秋紅葉 11/30... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

洛西 嵐山・嵯峨野 高雄」カテゴリの最新記事