京の四季 名勝散策 写真集

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東山七条 法住寺 吊り雛展 03/02/2010

2010年03月07日 | 洛東 東山 清水寺方面

           法住寺は、東山七条の三十三間堂の東隣にあり天台宗の寺院です。平安時代中期に藤原為光によって創設され、その
           後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれました。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討
           ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治
           期に御陵と寺が分離され現在にいたっております。










           
           山門南側の竜宮門 手前の紅梅が見頃を向えております。







           
           3月2日に伺いましたら、ちょうど吊り雛展が催されておりました。





                          








           
           山門を入り正面の書院玄関、ここで吊り雛展が催されております。







           
           山門横の枝垂れ梅







           
           阿弥陀堂と白梅が満開でした。







           








           








           
           御本尊の身代り不動明王が祀られている本堂。『身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)』像は、平安期の作風とされ、
           この不動像は寺伝では慈覚大師が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かったものです。義仲の放火のさいに、
           上皇の身代わりとなったと伝えられており、現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)がいとなまれております。







                     
                     護摩供養が行われる時は、この石庭のところで護摩焚きが行われるそうです。







           








           








           








                     








           








           










           








           
           書院玄関を入りますと中国の翡翠の彫刻がなされた衝立が迎えてくれます。







           








                     
                     最初の部屋には、七段飾りの雛壇と、天井からは伊豆・稲取地方の吊り雛がさがっており
                     ます。







           
           二部屋目は、仏壇の前に洋人形が並んでおります。







           








           








           








           
           奥の間には、二人雛や貝合せ吊り雛などあでやかな飾り付けがなされておりました。







                     
                     伊豆稲取が発祥の吊り雛は、江戸時代から伝わる風習で、土地の方が一つ一つに願いを
                     込め手作りされるそうです。
                     下がっている一つ一つが縁起物で、ももは邪気を払い延命長寿、猿は厄や災いが去る、這
                     い子人形は健やかな成長、巾着はお金が集り、うさぎは赤い目には呪力があり病気を治し
                     神様のお使いとも云われ、ほおずきは女性のお守りで安産や薬効の意味があり、羽子板は
                     厄を飛ばし、俵ねずみ・ねずみは金運・霊力があり大黒様のお使いで多産でマメな働き者に
                     なるようにと、すべての物に願いがこもっており、親から子へ子から孫へと受け継がれてゆき
                     ます。
            



           








                     
           この日、伺いました時にみえてたお客さんの中に、お雛様の並べ方にとても詳しい方が居られ位置が間違っている箇所を
           お寺の方に説明されておられました。横で聞かせていただきなるほどなと感心してしまいました。
           最初の頃は(明治以前)「男雛が左、その右手側に女雛」でした。
           論語に「天子南面」という言葉がありますが、これは皇帝などの偉人は南に向いて座り、北面は臣従することを意味してい
           ます。また、南に向いたときに日の出の方角(東。つまり左手側)が上座で、日没の方向(西。つまり右手側)が下座とされ
           ていました。

           この考え方は雛人形にも当てはまり、本来は「男雛が左、その右手側に女雛」を飾ることが当然でした。ちなみに、この「日
           の出=東=左優位」の考えは、「左大臣と右大臣では左大臣のほうが上位」、「今日の地図では東=右、西=左なのに、
           京都では(御所を中心として南側を向いて座ると)東=左京、西=右京である」など、古代日本には沢山の例があります。

           しかし現在では、雛人形売り場を見てみると、そのほとんどが「男雛が右、その左手側に女雛」。当初とは逆の配置になっ
           ております。それは、プロトコール(国際儀礼)が右上位だったため、昭和天皇の即位の礼が催されたときに、プロトコールに
           従い「天皇が右、その左手側に皇后」が並ばれたことからきています。また、かつて掲げられていた御真影(天皇皇后両陛
           下のお写真)もプロトコールに従った並び方だったため、関東の雛人形業界では、それまでとは反対の並び方にしたのです。

           尚、全国一律に変わってしまったわけではありません。現在でも、伝統を重んじる京都では、本来の「男雛が左、その右手
           側に女雛」とするところが多く見られます。

           ちなみに、五人囃子は向って左側から音の大きい楽器を持った方から並ぶそうで、太鼓・おお皮・鼓・笛の順らしいです。






           
           書院と阿弥陀堂の間にある中庭で、手前の枝が槙で向うが松です。







           
           阿弥陀堂への渡り廊下と東庭。




   


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