京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

御室 仁和寺 秋紅葉 12/01/2010

2010年12月29日 | 洛中 

  

  仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。 しかし翌年、光孝天
  皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成され、寺号も元号から仁和寺となりました。


  二王門  仁和寺の正面に建つ巨大な門。高さは18.7mで門正面の左右に阿吽の二王像、後面には唐獅子像を安置します。同時期に建立された知
  恩院三門、南禅寺三門が禅宗様の三門であったのに対し、平安時代の伝統を引く和様で統一されています。







  
  宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位され、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となってから、皇室出身者が仁和寺の代々門跡(住職)を務め、
  平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。 しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、仁和寺は一山のほとんどを兵火で
  焼失するという悲運に見舞われました。そんな中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、聖教などは仁和寺の院家であった真光院に移され、法燈とともに
  伝えられていきました。






  
  御殿入口  仁王門をくぐりすぐ左手に御殿の受け付けがあります。御殿には、白書院、宸殿、黒書院などが点在します。







  
  玄関正面








  









                   
                   白書院前の南庭








  
  白砂の向こう側が宸殿です。








  
  白書院  宸殿南庭の西側に建立されており、襖絵などは、昭和12年(1937年)に福永晴帆(1883〜1861)画伯による松の絵が部屋全体に描かれて
  います。






  
  南庭  宸殿の南側にあることから南庭と呼ばれており、庭内には左近の桜、右近の橘が植えられ、その前方に白砂と松や杉を配した、簡素の中に
  も趣のある庭といえます。







  
  勅使門  大正2年(1913年)に竣工され、設計は京都府技師であった亀岡末吉氏によるもので、檜皮葺屋根の四脚唐門で前後を唐破風、左右の屋
  根を入母屋造としています。また、鳳凰の尾羽根や牡丹唐草、宝相華唐草文様や幾何学紋様など、細部にまで見られる彫刻装飾は、伝統的和様に
  亀岡独自の意匠を取り入れたもので、斬新かつ見応えがあります。








  








  
  白書院から右に宸殿、左に黒書院です。








  
  南庭と北庭を隔てる木塀です。








  
  北庭  宸殿の北側にあることから北庭と呼ばれ、南庭とは対照的な池泉式の雅な庭園です。斜面を利用した滝組に池泉を配し、築山に飛濤亭、そ
  の奥には中門や五重塔を望む事が出来ます。庭の制作年は不明ですが、元禄3年(1690年)には加来道意ら、明治〜大正期には七代目小川治兵衛
  によって整備され現在に至ります。









                   
                   飛濤亭 五重塔の手前に見える建物で、第119代光格天皇(1771〜1840)遺愛の席と伝
                   えられている茶室です。仁和寺第28世 深仁法親王(1759〜1807)は光格天皇の異母兄
                   にあたり、飛濤亭は宸殿北庭の築山にあり、内部は四畳半に台目がついた茶室と水屋の
                   間、勝手の間で構成され、入口は躙口のかわりに貴人口が設けられています。








  









  
  霊明殿  宸殿の北東にみえる霊明殿は、仁和寺の院家であった喜多(北)院の本尊 薬師如来坐像を安置する為に明治44年(1911年)に建立され
  ました。設計は亀岡末吉で、内部は正面に須弥壇を置き、小組の格天井をはじめ、蛙股の組物などの細部に至るまで見事な出来になっております。








  
  宸殿  儀式や式典に使用される御殿の中心建物で、寛永年間に御所から下賜された常御殿がその役割を果たしていましたが、明治20年(1887年)
  に焼失。現在は大正3年(1914年)竣工されたものです。御所の紫宸殿と同様に内部は三室からなり、襖絵や壁などの絵は全て原在泉(1849〜1916)
  の手によるもので、四季の風物をはじめ、牡丹・雁などが見事に描かれています。






  









  
  宸殿から霊明殿に渡る廊下です。









  
  霊明殿から宸殿の眺めです。








  









  











                     









  
  仁王門








  









  









  
  勅使門








  









  
  中門









  
  毎年春、仁和寺は満開の桜で飾られます。金堂前の染井吉野、鐘楼前のしだれ桜などが競って咲き誇ります。その中でも中門内の西側一帯に「御室
  桜」と呼ばれる遅咲きで有名な桜の林があります。古くは江戸時代の頃から庶民の桜として親しまれ、数多くの和歌に詠われております。

  





  









                     









  
  五重塔 寛永21年(1644年)建立の塔は、塔身32.7m、総高36.18mあり、東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の幅にあまり差が見
  られない姿が特徴的です。初重西側には、大日如来を示す梵字の額が懸けられます。塔内部には大日如来、その周りに無量寿如来など四方仏が安
  置され、中央に心柱、心柱を囲むように四本の天柱が塔を支え、その柱や壁面には真言八祖や仏をはじめ、菊花文様などが細部にまで描かれていま
  す。





  









  
  金堂(国宝) 仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂で、慶長年間造営の御所 内裏紫宸殿を寛永年間(1624〜43)に移築したものです。
  現存する最古の紫宸殿であり、当時の宮殿建築を伝えるの建築物として、国宝に指定されています。堂内は四天王像や梵天像も安置され、壁面には
  浄土図や観音図などが極彩色で描かれます。






  









  









  
  経蔵 金堂の右手にある建物で寛永〜正保年間の建立ました。内部は釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩など六躯を安置し、壁面には八大菩薩や十六
  羅漢が描かれます。内部中央には八面体の回転式書架(輪蔵)を設け、各面に96箱、総計768の経箱が備えられており、その中には天海版の『一切
  経』が収められています。





                   










  
  鐘楼 「鐘楼」の「楼」とは元来二階建ての建物を指します。階上は朱塗で高欄を周囲に廻らせ、下部は袴腰式と呼ばれる袴のような板張りの覆いが
  特徴的です。また、通常吊られた鐘は外から見ることが出来ますが、この鐘は周囲を板で覆われており見ることが出来ません





                     









  
  御影堂前の花梨の木  花梨の木は、弘法大師空海が唐から持ち帰って広まったものと伝えられております。







  









                   
                   御影堂前の御堂で行われていた護摩焚き
                   







  
  御影堂 鐘楼の西に位置し弘法大師像、宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像を安置します。御影堂は、慶長年間造営の内裏 清涼殿の一部を賜
  り、寛永年間に再建されたもので、蔀戸の金具なども清涼殿のものを利用しています。






  
  御手水場








  










  
  観音堂 本尊は千手観音菩薩で、脇侍として不動明王・降三世明王、その周りには二十八部衆が安置され、須弥壇の背後や壁面、柱などには、白
  衣観音をはじめ仏・高僧などが極彩色で描かれています。内部は通常非公開とされ、現在も仁和寺に伝わる法流の相承などに使用されています。





  
  帰り道、中門から眺めた仁王門です。








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