京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

真正極楽寺 真如堂 秋紅葉 11/29/2010

2010年12月12日 | 洛中 

  

  金戒光明寺の北側に位置する真如堂は、正式には鈴聲山(れいしょうざん)真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)といい、比叡山延暦寺を本山とする天台
  宗のお寺です。真正極楽寺とは、「極楽寺という寺は多いけれど、こここそが正真正銘の極楽の寺である」という意味です。一般には「真如堂」と呼ばれ
  ていますが、それはもともとは本堂の呼び名でした。

  赤門(総門)元禄年間に建立された真如堂の総門で、赤く塗られているところから「赤門」と呼ばれています。敷居がないのは、神楽岡の神々が毎夜当
  寺に参詣する際につまずかないようするためだとの伝説があります。






  
  今から、約1千年前の永観2年(984)、比叡山の戒算上人かいさんしょうにんが、比叡山常行堂のご本尊阿弥陀如来(慈覚大師作)を東三條女院(藤
  原詮子。円融天皇の女御・一條天皇の御母)の離宮があった現在の地に移して安置したのが、真如堂の始まりです。






  
   慈覚大師が30才過ぎの頃、滋賀県の苗鹿のうか明神みょうじんで根元が毎夜光っている霊木を見つけられ、それを割ってみると、座像と立像の阿
  弥陀さまの形が現れたといいます。大師はこの霊木の片方で阿弥陀如来座像を造立し、自坊に安置。後に日吉大社念仏堂の本尊とされました。立
  像はそのままご自身で持っておられました。





  
  その後、大師が唐(中国)に留学された帰り、荒れ狂う波間の虚空より小身の阿弥陀如来が香煙に包まれて現れ、大師に引声念仏いんぜいねんぶ
  つの一節を授けました。大師はこの如来を袖に包み取り、日本に帰ってから、大切にしまっておいた霊木で阿弥陀如来を完成させ、その胎内にこの3
  センチほど如来を納められました。





  
  もうすぐ完成するという時、慈覚大師が「比叡山の修行僧のための本尊になって下さい」と眉間に白毫びゃくごうを入れようとすると、如来は首を振って
  拒否されました。「それでは都に下って、すべての人々をお救い下さい。特に女の人をお救い下さい」と言われると、如来がうなづかれたところから、
  「うなづきの弥陀」とも呼ばれています。

  


  









                   









                   
                   三 重 塔(法華塔)  境内の中でも、とても印象的な建物が三重塔です。宝暦年間(1751
                   ~1763)に建立されましたが、文化14年(1817)に再建され、さらに昭和9年に修理が加え
                   られました。その時、奉安されていた四天王像が腐食していたために、新たに多宝塔を安
                   置し、現在に至っています。







                   









  
  三重塔の前から赤門方面を振り返った景色です。








                   









                   









  









  
  本堂は、元禄6年(1693)から享保2年(1717)にかけて建立され、木材にはことごとく「○○家先祖代々菩提の為」と記されています。正面「真如堂」の
  大額は享保11年(1726)宝鏡寺宮からの寄付によるものです。本堂正面の宮殿(徳川五代将軍綱吉公と桂昌院の寄進)の中には、ご本尊阿弥陀如来
  ・不動明王(安倍晴明の念持仏)・千手観音がおまつりされております。




  
  本堂に向かって左側(北側)の弁天さんが祀られている池があります。








  
  本堂(右手)と書院を結ぶ渡廊下








  
  廊下の下をくぐり本堂の裏側に回ります。








  
  本堂裏








  
  書院
  







  
  薬師堂前の書院の白壁
  







  
  本堂







  









  
  本堂裏に佇む万霊堂  三井家によって建立され、地蔵菩薩を中心に有縁無縁の精霊を祀っています。









  
  万霊堂右手(南側)の経蔵









  









  









  
  本堂南側の石に囲まれた桜は、「たてかわ桜」と言い徳川家光の乳母・春日の局が、父・ 斉藤内蔵介利三の菩提を弔うために植えた桜といわれてお
  ります。 斉藤内蔵介利三は、明智光秀の重臣でしたが、秀吉軍に敗れた後、粟田口の刑場で斬首された首を友人が、奪い返し真如堂に葬られたこ
  とから、この桜につながります。現在の樹は、伊勢湾台風で 倒れた樹から接ぎ木をして根付かせたものだそうです。




  









  
  阿弥陀如来露仏 本堂の右横に、大きな金仏さんが鎮座されています。その台座の蓮弁の石には、「木食正禅(もくじきしょうぜん)造立」と刻まれて
  います。「木食」とは米穀などの五穀を断ち、木の実を生のままで食べる修行をすることで、そのような修行をする僧を「木食上人」と呼ぶそうです。





  









  









  
  三重塔








                   









  









                   









   









                   









  









   









   











                

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