京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

東本願寺 渉成園 秋紅葉 11/26/2010

2010年12月07日 | 洛中 

  

  東本願寺から東に5分のところにある渉成園は、東本願寺の飛地別邸であり、別名:枳殻邸/きこくていと呼ばれております。江戸時代の前期、承応

  2年(1653)本願寺十三代宣如(せんにょ)上人が徳川三代将軍家光から寄進され、この地に隠居所を造営したことに始まります。庭園は東山を借景と

  して造られ、東側に「印月池(いんげつち)」、西側に建物を配した池泉回遊式庭園で、洛北・修学院の地に詩仙堂を建立した石川丈山(いしかわじょう

  ざん)が作庭したと伝えられ、庭園内の見所を「渉成園十三景」として紹介しております。








  
  枳殻邸の名前の由来は、邸宅周辺が枳殻(からたち)の生垣であったことから枳殻邸(きこくてい)とも称されるようになりました。この地は、「源氏物語」
  の主人公とも言われている平安時代前期の左大臣・源融(みなもとのとおる)が営んだ六条河原院の跡地と伝えられ、園内にはゆかりの塩釜や供養
  塔などが見られます。

  桜の向こうに高石垣がみえます。石橋のような長い切石や礎石、石臼、山石や瓦など多様な素材が組み合わさって築かれております。






  
  源融は、嵯峨天皇の第八皇子として生を受け、当時、貴族の風流な野遊びの一種に塩焼きがあり、源融も園内に塩竃(しおかま)をもうけて、紫の煙を
  たなびかせ心を癒していたとおもわれます。源融の没後、宇多上皇へ献上され東六条院となりましたが、鴨川の氾濫などによる水難が度重なったこと
  から廃絶しておりました。





  









                   
                   「十三景の1 」滴翠軒(てきすいけん)(左)と臨池亭 (りんちてい)。二つの建物は廊下で
                   繋がっており、池の右奥に小滝がありまし。






  
  かつては滴翠軒も含めた二棟を併せて臨池亭と呼んでおり、北の滴翠軒に対して南(左側)にある建物を喫茶居と称しておりました。







                   
                   「十三景の2」園林堂の東側に建つ楼門造り二階建ての傍花閣(ぼっかかく)は、左右に
                   二階へ登る階段があります。






  









  
  「十三景の三」印月池(いんげつち)に掛る侵雪橋(しんせつきょう)








  
  「十三景の六」侵雪橋は、印月池の西側から縮遠亭(茶室)のある北大島へ渡る木造の反橋です。







  
  「十三景の十三」の丹楓渓(たんぷうけい)「丹」とは、朱色を表す語で紅葉の美しい渓谷を模した一帯です。









 
  印月池の北側から望む縮遠亭と手前の丹楓渓







  
  丹楓渓から縮遠亭のある北大島を結ぶ「十三景の十二」回棹廊(かいとうろう)





  
  回棹廊は、安政の大火(1858)における焼失以前は、朱塗りの欄干を持つ反橋だったと伝えられておりますが、現在は檜皮葺の屋根をもつ橋となって
  おります。







                   
                   中央の唐破風屋根の天井部には掛け釘が設けられ、かつては夜半の来客の折り、金燈籠
                   を吊って火を灯したそうです。
                  


                    
                    回棹廊か望む傍花閣








  
  塩釜 縮遠亭の建つ築山の北麓に石組の横穴が設けられ、底に井筒があります。その形が塩を精造する塩釜とそれを屋根で覆う塩屋のありさまに似
  ていることから塩釜と呼ばれております。 縮遠亭で茶会が催される際の水源であったと思われますが、今は水が枯れてしまっております。
 




  









  
  碧玉の石幢(へきぎょくのせきどう)縮遠亭への階段の手前にある石幢(せきどう)石幢とは、通常の石灯籠と違って、笠の部分に蕨手(わらびて)と呼
  ばれる装飾が付いておらず、竿に節が無いなどの特徴があります。石灯籠でいう火袋にあたるぶぶんは平面が六角形の仏像を安置するための龕(が
  ん)となっております。また碧玉とは青い色をした貴石のことをいいます。





  
  「十三景の七」縮遠亭(しゅくえんてい)茶室 西側入口の土間から奥へ入りますと茶室(抹茶席)があり、四畳間が続きその南端から斜めに続く板間
  を経て三畳敷の上段のまが連結されております。名前の由来は、上段の間から東山三十六峰の一つ阿弥陀ケ峰の遠景が縮図のごとく見晴らせたと
  ころからきております。





  









  
  印月池に浮かぶ源融(みなもとのとおる)ゆかりの石塔 左大臣源融は、嵯峨天皇の皇子でしたが源の姓を賜って臣籍に下りました。「源氏物語」の
  主人公・光源氏のモデルの一人とも言われており、この塔は源融の供養塔といわれている九重の石塔で、塔身には四方仏が刻まれております。





  
  「十三景の四」臥龍堂(南大島)印月池に浮かぶ南大島のことを臥龍島とも称しており、元来はこの島に建てられていた小さな鐘楼堂のことを指してお
  りました。安政の大火による焼失以降、再建はされておらず、現在は礎石を残すのみとなっております。






  









  









  
  塩釜の手水鉢 この手水鉢は全国の庭園にある「塩釜の手水鉢」の手本となるもので、渉成園の景物として最も重要なものです。 石造宝塔の塔身
  を手水鉢に転用したもので、鎌倉時代の制作とみられております。






  









  









  









                   









  









  









  









  
  「十三景の十一」漱枕居(そうちんきょ) 印月池の西南に位置し、水上に乗り出すように建てられている、園内で三席ある茶室の一つです。名前の由
  来は、旅路にあることを意味する「漱流枕石」の語から採られております。






  









  
  閬風亭(ろうふうてい)殿舎の南端の大広間です。 前庭を隔てて東山の阿弥陀ケ峰を借景とした園池の雄大な景色が満喫でします。 「閬風」とは、
  中国崑崙山脈の頂部にあるといわれる山の名前で、仙人が住むとされており、賓客をお迎えする大書院にふさわしい名前がつけられております。





  









  









  
  蘆庵(ろあん)入口の中門 屋根の形状がとても珍しいものにんっております。奥に二階建ての茶室があり二階の肘掛窓からは眺望を楽しむことがで
  きる煎茶席になっております。







  
  園林堂(おんりんどう) 傍花閣に対応する持仏堂です。「園林」とは元来、中国宮廷に設けられた大規模な庭園の意味ですが、仏典では浄土を表す
  表現として用いられ、桂離宮にも「園林堂」という持仏堂があります。







  








  
  「十三景の二」傍花閣(ぼうかかく) 園林堂の東側、山門にあたる位置に建てられており庭園内には珍しい楼門作りで、左右側面に山廊と呼ばれる
  階段の入口があり、階上には四畳半の部屋が設けられております。






  
  楼門の間からは、丹楓渓の紅葉が望めます。








  









  
  春には桜が彩を添えてくれます。








  









                   









  
  開園時間は、9時から3時半の受け付け終了となっております。 拝観料五百円を払いますと、A4サイズオールカラー26ページもの大変立派なパンフ
  レットが頂けとても詳しい解説がなされており助かりました。








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