今日は一段と寒い。
落ち葉がごっそごっそ、夕べの嵐でおちているのだけれども、朝多少は拾ったりもしたけど、また落ちてきてご近所さんのお手をわずらわせることとなってしまった。
せても休日おちてくれないかな。。
さ、早く書かないと。
その前に、訂正というか修正と言うかよくわかんない・・というか。
昨日アップしたベートーヴェンの滞在中におこった出来事に着いて、他の記述をみつけたので少々書いておきます。
それによるとベートーヴェンのテプリツェ滞在は1811年と1812年に間違いはないのだけれども、どうやらゲーテとの事件と不滅の恋人に宛てた手紙を書いた時期は一緒の年のようなのです。
つまり1812年の滞在中ということらしいです。最初に手紙を書いて・・そのあとに不敬事件をおこしたらしいのです。
あーー男の感情はわからないものですね。
kおばちゃんが最初に目にしたサイトは2年に別れていたのですけどね。
ま、どちらが正しいか・・・kおばちゃんには判りません。
○2014年10月6日(月)
さてお腹もいっぱいになり、運動も兼ねてもう少し歩いて見ます。
先ほどのレストランなんかのあった通りの先はこんな風になっていて、どうやら表のベートーベンホテルの軒続きのとうなかんじです。
で、その壁面に貼ってあったののは、
どうやらこの町の歴史・・というか温泉の歴史?
実はまったくわからないのですが、860という数字が気になりますね。
どうも2014年はこの町の温泉発見?860年みたいな感じ?温泉祭りが860回目というのがここに出てきました。
引き返して、先ほどチラッと見えた教会の方面に行って見ました。
すると、このような地図が掲げられています。
あーあ、この地図が駅前にあったなら良く町の廻り方がわかったのにな・・と思ってしまいました。
まあ、こちらの人が観光で動く場合は『鉄道』という選択はしないのかもしれませんけどね。
このあたりは観光の中心?なのでしょうか。博物館もありました。
あっちの方向が駅に続く道だけれどももう少し大回りしてみます。
再び温泉公園?の中を通りました。
さっき見て気になったのはこの噴水。
残念ながら水はちょっとしか出ていませんでしたが、その口がイノシシみたいに見えます。
Kolostujova kašnaというらしいです。1862年にできたみたいだから・・ベートーヴェンは目にして無いですね。
さて、そろそろ駅に戻らないと・・と再びぶらぶら歩き出戻ります。その途中で見かけた看板。
チェドックって、共産主義の時代、国営の旅行会社だったんじゃなかったっけ?
この国に滞在するにはヴィザが必要で、そのためには事前に宿を手配しなければいけなくて、外国人に対する斡旋業務はこのチェドックのみが扱ってた・・なんて記憶があるんだけれども。
要するに昔の独占企業。でも、経済開放で今は見る影もない・・という感じですね。
そうそう、途中で買い物をちょこっとしたりして、再び駅近くに戻ってきて目にしたのは掲示板。
よく欧州では『塔』のようなかたちのものはあるけど、こういう掲示板は珍しいかも。
コンサートの告知もありました。
駅に戻り、無事荷物も引き取り改めて駅構内を見回しました。
昔『小パリ』と呼ばれたような雰囲気はやはり残ってますね。
電光掲示板を見て、気がつきました。
あら、ガラスもすてきじゃない?
改めて駅入り口脇のガラスも見ると・・透かし模様が入っています。
ステンドグラスではなくてモノクロだけれども、まるでムハ(ミュシャ)の物語絵みたいな感じです。
何のお話の場面なのかわかりませんけど。。
署名に年号らしきものも見られました。それによると・・1955-56 それに1985という年号が見えますね。
あまり古くはないのかな?でも共産主義時代の物ね。
天井の装飾といいメンテナンスは余りよろしくないけれども、風情のある駅だと思ったkおばちゃんです。
ホーム側から駅舎を望んでも趣がありますよね。
過去の栄光の爪跡かな?と思ったkおばちゃんです。
ホームで列車を待ちます。
この列車ではありません。
こちらの列車ですね。
さ、寄り道はおしまい。
今晩のお宿に向いましょう。
落ち葉がごっそごっそ、夕べの嵐でおちているのだけれども、朝多少は拾ったりもしたけど、また落ちてきてご近所さんのお手をわずらわせることとなってしまった。
せても休日おちてくれないかな。。
さ、早く書かないと。
その前に、訂正というか修正と言うかよくわかんない・・というか。
昨日アップしたベートーヴェンの滞在中におこった出来事に着いて、他の記述をみつけたので少々書いておきます。
それによるとベートーヴェンのテプリツェ滞在は1811年と1812年に間違いはないのだけれども、どうやらゲーテとの事件と不滅の恋人に宛てた手紙を書いた時期は一緒の年のようなのです。
つまり1812年の滞在中ということらしいです。最初に手紙を書いて・・そのあとに不敬事件をおこしたらしいのです。
あーー男の感情はわからないものですね。
kおばちゃんが最初に目にしたサイトは2年に別れていたのですけどね。
ま、どちらが正しいか・・・kおばちゃんには判りません。
○2014年10月6日(月)
さてお腹もいっぱいになり、運動も兼ねてもう少し歩いて見ます。
先ほどのレストランなんかのあった通りの先はこんな風になっていて、どうやら表のベートーベンホテルの軒続きのとうなかんじです。
で、その壁面に貼ってあったののは、
どうやらこの町の歴史・・というか温泉の歴史?
実はまったくわからないのですが、860という数字が気になりますね。
どうも2014年はこの町の温泉発見?860年みたいな感じ?温泉祭りが860回目というのがここに出てきました。
引き返して、先ほどチラッと見えた教会の方面に行って見ました。
すると、このような地図が掲げられています。
あーあ、この地図が駅前にあったなら良く町の廻り方がわかったのにな・・と思ってしまいました。
まあ、こちらの人が観光で動く場合は『鉄道』という選択はしないのかもしれませんけどね。
このあたりは観光の中心?なのでしょうか。博物館もありました。
あっちの方向が駅に続く道だけれどももう少し大回りしてみます。
再び温泉公園?の中を通りました。
さっき見て気になったのはこの噴水。
残念ながら水はちょっとしか出ていませんでしたが、その口がイノシシみたいに見えます。
Kolostujova kašnaというらしいです。1862年にできたみたいだから・・ベートーヴェンは目にして無いですね。
さて、そろそろ駅に戻らないと・・と再びぶらぶら歩き出戻ります。その途中で見かけた看板。
チェドックって、共産主義の時代、国営の旅行会社だったんじゃなかったっけ?
この国に滞在するにはヴィザが必要で、そのためには事前に宿を手配しなければいけなくて、外国人に対する斡旋業務はこのチェドックのみが扱ってた・・なんて記憶があるんだけれども。
要するに昔の独占企業。でも、経済開放で今は見る影もない・・という感じですね。
そうそう、途中で買い物をちょこっとしたりして、再び駅近くに戻ってきて目にしたのは掲示板。
よく欧州では『塔』のようなかたちのものはあるけど、こういう掲示板は珍しいかも。
コンサートの告知もありました。
駅に戻り、無事荷物も引き取り改めて駅構内を見回しました。
昔『小パリ』と呼ばれたような雰囲気はやはり残ってますね。
電光掲示板を見て、気がつきました。
あら、ガラスもすてきじゃない?
改めて駅入り口脇のガラスも見ると・・透かし模様が入っています。
ステンドグラスではなくてモノクロだけれども、まるでムハ(ミュシャ)の物語絵みたいな感じです。
何のお話の場面なのかわかりませんけど。。
署名に年号らしきものも見られました。それによると・・1955-56 それに1985という年号が見えますね。
あまり古くはないのかな?でも共産主義時代の物ね。
天井の装飾といいメンテナンスは余りよろしくないけれども、風情のある駅だと思ったkおばちゃんです。
ホーム側から駅舎を望んでも趣がありますよね。
過去の栄光の爪跡かな?と思ったkおばちゃんです。
ホームで列車を待ちます。
この列車ではありません。
こちらの列車ですね。
さ、寄り道はおしまい。
今晩のお宿に向いましょう。