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03関西学院 春秋戦国時代

2011年09月28日 | 復習用入試問題
【8】次の文中の下線部に関する問いに答え,記号にマークしなさい。

 春秋時代では,周は依然として王の扱いを受け尊ばれていたが,(1)春秋の五覇と呼ばれる有力諸侯は尊王攘夷をとなえ,激しい主導権争いを展開した。その後(2)戦国時代になると,周はしだいに一諸侯にまで衰え,(3)戦国の七雄と呼ばれる有力な諸侯が互いに対抗した。
 前221年,中国を統一したのは(4)秦の王であった政で,彼は皇帝という称号を採用し,みずからを始皇帝と称した。始皇帝は中央から直接派遣した官吏に各地域を治めさせ,焚書・坑儒により思想や言論を統制し,貨幣・度量衡・文字の統一をはかり,徹底した中央集権型の国家を確立しようとした。さらには,領土の拡大と維持のために,(5)北部辺境地帯では長城を修築し,南部では華南を征服して南海などの3郡を置いた。
 始皇帝のこうした改革は急激なものであったために,旧諸侯などの反発が高まり,また各方面への外征や長城修築,宮殿の造営といった過酷な負担に対する民衆の不満が膨れあがってきた。こうした背景のなか,始皇帝の死後,(6)農民反乱が各地で勃発し,この混乱を機に挙兵した江蘇の農民出身である劉邦は,(7)項羽との激しい戦いを制して,前202年に皇帝に即位して漢王朝(前漢)を開いた。
 漢の高祖劉邦は,はじめは一族や功臣を諸侯にとりたてたが,時がたつにつれて,こうした諸侯の権力は中央政府に吸収されていき,前2世紀後半の武帝の時代には,始皇帝の実施した制度と実質上変わらない中央集権型の国家体制が確立した。武帝は人材の登用,農地の拡大に努め,(8)儒教の国教化を進め,一方では対外政策にも積極的であったが,これらの外征は多額の経費を必要としたため国庫の破綻を招き,その穴埋めのために(9)専売制,均輸法,平準法などを実施した。
 外戚の王鳬の新をはさんで,南陽の豪族出身の劉秀は他の豪族の協力を得て,漢王朝(後漢)を再興した。後漢の前半は,国内農業の生産が回復し,対外的にも匈奴を抑えて,政治・社会が安定した。しかし後半になると政治は混乱し,治水灌漑に障害が生じて農地が荒廃し,飢饉があいついだ。困窮した農民は(10)太平道などの宗教結社に集結し,大規模な反乱をおこし,中国はふたたび群雄割拠の時代に入っていった。
[問 い]
(1) 春秋の五覇のうち斉の覇者はだれか。
a.文公 b.荘王 c.桓公 d.穆公 e.襄公
(2) 戦国時代に易姓革命や王道政治をとなえた思想家はだれか。
a.墨子 b.荘子 c.荀子 d.孫子 e.孟子
(3) 戦国の七雄のうち韓・魏・趙が属していたもとの国はどれか。
a.晋 b.魯 c.宋 d.越 e.呉
(4) 秦の孝公の時代に実行された政治改革を立案した思想家はだれか。
a.李斯 b.商鞅 c.呉起 d.公孫竜 e.韓非
(5) 北部辺境地帯であるオルドスから匈奴を駆逐した将軍はだれか。
a.霍去病 b.李広利 c.衛青 d.班超 e.蒙恬
(6) 当時の農民反乱の代表的なものはどれか。
a.陳勝・呉広の乱 b.黄巾の乱 c.黄巣の乱
d.赤眉の乱 e.羌族の乱
(7) 項羽の出身地はどれか。
a.斉 b.越 c.楚 d.燕 e.韓
(8) 儒教の国教化を進めた公羊学者はだれか。
a.許慎 b.鄭玄 c.董仲舒 d.顔師古 e.孔穎達
(9) 専売制,均輸法,平準法を実施した経済官僚はだれか。
a.蘇秦 b.劉向 c.班固 d.呉道玄 e.桑弘羊
(10) 太平道を組織した人物はだれか。
a.張角 b.張陵 c.張衡 d.張儀 e.張居正

正解
(1) c (2) e (3) a (4) b (5) e
(6) a (7) c (8) c (9) e (10) a

03仏教大 黄河文明から秦

2011年09月28日 | 復習用入試問題
03仏教大 黄河文明から秦

中国古代史に関する下記の問に答えなさい。

 中国では紀元前5000年ごろから,初期の農耕文化が現れた。(1)華北では黄河中流・下流の黄土地帯に,アワやキビが栽培され村落が形成された。いわゆる黄河文明である,(2)近年,長江中下流域に.稲作文化の存在したことが発見され,稲の起源・伝播の問題があらためて議論されている。紀元前1600~1500年ごろ,華北に確認できる最古の王朝殷が出現した。この王朝は甲骨文字,青銅器などで知られる。殷を滅ぼした周は約800年にわたって存続したが,遷都した前8世紀を境に西周と東周に区別され,東周はさらに,(3)春秋時代と戦国時代に区分される。春秋時代は中原の王室の権威を認める諸侯が全国で200を越えた時代であり,このうちとくに有力な諸侯を覇者と称した。戦国時代は周の権威が衰え,各地の有力諸侯はそれぞれ王と称し,自国の勢力を養って争った。激しい興亡が繰り返された結果(4)有力な7国が残り,さらに(5)西方に根拠地のあった秦か中国の統一を果たした。(6)春秋戦国時代は社会が激しく.変動!新しく形作られた社会は秦以降の帝政の前提となった。また(7)激動の時代にふさわしく多くの思想家を拠出した時代でもあった。

問1.下縁部�について,西安市東部の村落遺跡として有名なものはどれか。
1.半坡遺跡 2.河姆渡遺跡 3.殷墟 4,城子崖遺跡

問2.下線部(2)ついて,銭塘江南岸の農耕遺跡として有名なものはどれか。
1.半坡遺跡 2.河姆渡遺跡 3.殷墟 4,城子崖遺跡

問3.下線部(3)について,春秋時代と戦国時代は何で区分するか。
1.晋の分裂 2.斉の分裂 3.楚の分裂 4.呉の分裂

問4、下線部(4)について,戦国七雄として適切なものはどれか。
1.楚 2.斉 3.越 4.趙

問5.下縁部(5)について,秦の根拠地はどこか。
1.河南省 2.四川省 3.陝西省 4.山東省

問6.下線部(6)について,社会変動の現象として不適切なものはどれか。
1.鉄製農具が出現し,農業生産力が高まった。 
2.封建制(フユーダリズム)的社会が形成された。
3.青銅貨幣が理れ,貨幣経済が進展した。
4.氏族制的統制が緩んだ。

問7.下線部(7)について,以下の文章は春秋戦国時代諸子百家から著名な一節を抜き出したものである。それぞれ〔語群1〕からは学派(○○家)を,〔語群2〕からは思想家を選んで答えよ。
1.子曰く,吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って,矩を楡えず。
2、道与常に為す無くして,而轟為さざるは無し。侯王若し能くこれを守らば,万物将に自ら化せんとす。
3.馬は,形に命ずる所以なり。白は,色に命ずる所以なり。色に命ずるは,形に命ずるに非ざるなり。故に白馬は馬に非ずと曰う。
4.昔の聖王,禺・湯・文ち承は,天下の百姓を兼愛し,率いて以て天を尊び鬼に事う。其の人を利すること多く,故に天これを福とし,立てて天子と為さしむ。
5.夫れ法を以て刑を行いて,君これがために流涕す。此鯉以て仁を効すも,以て治を為すに非ざるなり。夫れ泣を垂れて刑を欲せざるは仁なり。然れども刑せざるべからざるは法なり。
〔語群1学派〕
0.縦横 1.儒 2.陰陽 3.名 4.墨 5.法 6.兵 7.道
〔語群2思想家〕
0.老子 1.鄒衍 2.孔子 3.公孫龍 4.孫子 5.蘇秦 6.韓非 7墨子

正解
1.2.1.3.3.2. 1・2 7・0 3・3 4・7 5・6

前漢~新

2011年09月28日 | トリオDE世界史
(1)前漢の皇帝3人 �建国者�呉楚七国の乱�全盛期
�高祖(劉邦)
�景帝
�武帝
(2)秦~前漢の統治体制 �始皇帝�高祖�武帝
�郡県制
�郡国制
�郡県制
(3)郡国制 �皇帝�直轄地�地方
�高祖
�郡県制
�封建制
(4)前漢 �建国者�建国年�都
�高祖劉邦
�前202年
�長安
(5)匈奴 �全盛期の王�同時期の中国皇帝�支配地域
�冒頓単于
�高祖
�モンゴル高原と西域
(6)呉楚七国の乱 �皇帝�年代�結果
�景帝
�前154年
�郡国制から郡県制に移行する契機になった。
(7)武帝の将軍 �オルドス遠征�西域遠征�フェルガナ遠征
�衛青
�霍去病
�李広利
(8)張騫 �皇帝�大旅行の目的�西域情報
�武帝
�大月氏と軍事同盟を結び匈奴を挟撃する
�汗血馬の情報
(9)汗血馬 �産地の地方名�産地の国名�遠征した将軍
�フェルガナ地方
�大苑
�李広利
(10)武帝の内政 �思想・学問�官吏登用法�経済政策
�儒学の国学化
�郷挙里選
�塩鉄酒の専売制
(11)司馬遷 �著作�記述方法�皇帝
�史記
�紀伝体
�武帝
(12)儒学の国学化 �建策した人物�皇帝�設置して役所
�董仲舒
�武帝
�五経博士
(13)武帝の経済再建策 �建策者�政策2つ
�桑弘羊
�塩鉄専売
�均輸・平準法
(14)専売制の品目3つ
�塩
�鉄
�酒
(15)鋳造貨幣 �斉の貨幣�秦始皇帝�前漢武帝
�刀銭
�半両銭
�五銖銭
(16)新 �建国者�建国の状況�都
�王莽
�外戚による宮廷クーデタ
�長安
(17)王莽の政策 �思想・学問�目的2つ
�儒学による政治
�周礼の復活
�豪族による大土地所有の制限
(18)後漢の成立 �新末の反乱�建国者�中心勢力
�赤眉の乱(18~27年)
�劉秀(後漢光武帝)
�豪族