歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

再訪小机城―歴史雑感〔47〕―

2019年06月18日 14時18分55秒 | 日本史(古代・中世)

2019年6月16日(日)午後、小机城を再訪しました。本城は2017年に日本続名城百選に選定されました。小机城が歴史上に見えるのは15世紀後半の長尾景春の乱です。関東管領山内顕定に反した景春方が本城に蜂起して、太田道灌に攻略されます。その後廃城となりますが、16世紀に入り、後北条氏の武蔵国進出に伴い、この拠点として再築城されます。後北条氏2代目の氏綱の代に笠原信為が城代となり、小机衆が組織され、南武蔵における後北条氏の支城としての役割を果たしました。1590(天正18)年の豊臣秀吉の進攻に備えて、修築がなされて、現状はそれを伝えていると思われます。そして、後北条氏の滅亡後、廃城となりました。第三京浜道路建設に伴い、城址は東西に分断され破壊を受けましたが、現在、「小机城址市民の森」として、整備・保護されています。

最寄り駅はJR横浜線小机駅で、下車後徒歩約15分です。駅前の横浜上麻生道を西(右)に歩き、郵便局が角の小道を北(右)に入り、横浜線の踏切を越えたところの小十字路を西(左)に歩くと、前方に第三京浜国道が見えますから、その脇の小道の一つ手前の小道に入り上っていくと、根古谷(市民の森入口・トイレあり)に至ります。ここに案内板があります。

写真1は、東側から見た小机城全景です。左に見える橋が京浜第3国道です。その右の丘陵が城址です。

根古屋から上ると、西曲輪南側の空堀に至ります。左(西)に進と角馬出に到り、前方(北)に西曲輪南門が見えます。写真2は、南門前の土橋から東に空堀を撮ったものです。

写真3は、土橋から角馬出を撮ったものです。

写真4は、西曲輪南門です。

写真5は、西曲輪で、東から西へと撮ったものです。

写真6は、つなぎ曲輪への土橋です。

写真7は、つなぎ曲輪の北側部分で、空堀を挟んで西曲輪です。

写真8は、つなぎ曲輪を越えて、基東曲輪の入口に当たる井楼跡です。ここは公園化する時整地されてしまいました。

写真9は、井楼跡の北に位置する櫓台です。上って南から北へと撮りました。

写真10は、東曲輪に入り、西の櫓台北下からの空堀に下る道と空堀を撮ったものです。東西の曲輪は幅20m以上の空堀で四囲を防御されています。

写真11は、東曲輪で、西から東へと撮ったものです。

写真12は、東曲輪から下がり、西曲輪の南側空堀を撮ったものです。

最後の写真13は、小机城の入口のねこやひろばにある小机城址市民の森案内図です。

なお、フォト・アルバム「小机城」はhttps://1drv.ms/u/s!AruGzfkJTqxng5ARKOTdaZgRunxK7g?e=MSDGLHです。

(2019.06.18)

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