ちょっとした調べ物があり、本棚と机をひっくり返していたら、懐かしいスクラップ記事と写真が出てきた。
ひとつは今から36年前の高校2年秋の、春のセンバツ出場を懸けた関東大会で、わが母校富岡高校野球部の試合結果と、改修前の県営敷島球場のスコアボード。
スクラップ記事のスクイズ失敗のシーンは、当時の主将であった吉井君(笑)。私は3塁コーチにいた。
川口工に1対3で敗れたが、勝てた試合であっただけに今でも悔しさが沸き上がってくる。
写真は県営敷島球場のスコアボード。当時は全て手書きだった。味わい深い写真だ。
もうひとつの記事は3年の夏前の記事。写真の左2番目にいるのが私。副主将で選手としてはダメだったが、声だけはデカかった。
東野監督が前橋商にこの春に転勤し動揺するチームについてのレポート。
確かこの写真は6月末で、梅雨に突入して蒸し暑く、チームも絶不調で夏は初戦で「まさか」というか「予測通り」に敗退。涙も出ない敗戦だった。
36年前のスクラップ記事は既に黄ばんでおり、文字も小さくて読みづらい。
36年ぶりに御対面の記事は、私にとって大切な「記憶」。苦労を共にした先輩、後輩、同級生は、今も最も深い絆で結ばれている。
「記憶」は明日を生きていくための力だ。
昨日は、あいさつまわり、吉井後援会会議。
ひとつは今から36年前の高校2年秋の、春のセンバツ出場を懸けた関東大会で、わが母校富岡高校野球部の試合結果と、改修前の県営敷島球場のスコアボード。
スクラップ記事のスクイズ失敗のシーンは、当時の主将であった吉井君(笑)。私は3塁コーチにいた。
川口工に1対3で敗れたが、勝てた試合であっただけに今でも悔しさが沸き上がってくる。
写真は県営敷島球場のスコアボード。当時は全て手書きだった。味わい深い写真だ。
もうひとつの記事は3年の夏前の記事。写真の左2番目にいるのが私。副主将で選手としてはダメだったが、声だけはデカかった。
東野監督が前橋商にこの春に転勤し動揺するチームについてのレポート。
確かこの写真は6月末で、梅雨に突入して蒸し暑く、チームも絶不調で夏は初戦で「まさか」というか「予測通り」に敗退。涙も出ない敗戦だった。
36年前のスクラップ記事は既に黄ばんでおり、文字も小さくて読みづらい。
36年ぶりに御対面の記事は、私にとって大切な「記憶」。苦労を共にした先輩、後輩、同級生は、今も最も深い絆で結ばれている。
「記憶」は明日を生きていくための力だ。
昨日は、あいさつまわり、吉井後援会会議。