本日の上毛新聞の1面トップ記事は、「東大目指し文殊の知恵」「前橋、高崎、太田連携セミナー」とあった。
この記事を見て「愚か」という言葉は、こうしたことを指摘する言葉なんだと納得がいった。また、こうした記事を無批判に掲載する上毛新聞も「愚か」な新聞といっていいだろう。
有名予備校の講師を招いて受験の心構えを指導してもらうのだというが、いつから前橋高、高崎高、太田高は、東大や医学部を目指すことが自己目的化してしまった「県立高校」になってしまったのか。
「県立」として「公教育」としての高校教育とは、東大や医学部を目指すことが目的ではない。
生徒たちにとって、かけがえのない高校3年間は、これからの人生を生ていくための基礎を学ぶことが基本である。「文殊の知恵」は生きるための活きる知恵を指しているのである。
こうした「愚か」な所業を見ていると、学校のというより、校長の評価が東大や医学部にどれだけ生徒を「現役」で進学させたかがバロメーターになってているのだと思う。
前橋高、高崎高、太田高という、群馬のいわゆる進学校の校長さんは、揃って県教育委員会経由の方々である。県教委の県立高校の価値観が東大、医学部合格数なんていう「愚かな」ものになっていることが容易に推測される。
私は6月の県議会本会議でも前橋高や、高崎高の校長であることが、その校長の評価であるとしたら、それは大間違いだと指摘した。
進学校でもない、周辺高校をなんとかする校長こそが評価されるべきで、ほとんど手もかからない進学校の校長が、予備校の力を借りて東大や医学部を目指すなんてことをやっているのであれば、校長なんて誰でも出来る。
私は最近、公立学校改革の処方箋は、ひとえに校長や教頭の能力にかかっていると考えている。
県教委や市町村教委の顔色を伺っているような校長や教頭では、生徒や子どもたちの教育なんてできるはずもない。
群馬の県立高校が、こんな「愚か」な道を突き進むのであれば、その道を阻むのは政治の役目である。