先日ある同級生の女性に「角倉君は、庶民の気持ちがわかっていない。」と一括されました。
その時は「そんなことはないよ。」とブツブツ言い返しましたが、最近ずっと心の中に残っています。
「オレだって庶民だよ。」「政治家として弱い人の立場にたって活動しているよ。」と心の中でつぶやいても、やはり「?」がつきまといます。
しかし考えてみれば、公務員の教師夫婦の息子として生まれ、野球だ政治だと好きなことだけやってきて、大学にも出してもらい国会議員の秘書なんてものを仕事とし、現在は県議会議員をさせていただいている。
「苦労なんかなんにもないジャン。」と指摘されても仕方ないかもしれません。
それと、知らず知らずのうちに政治家角倉が、市井の生活者の生きる場から遊離してきているのかもしれません。
政治家と庶民は本来一体的なものです。私は今たまたま県議という仕事をしているだけと常々自分なりに思い続けてきましたが、どこかに心のスキが出来ているのでしょう。やはり見る人が見ればわかるのだろう。
今度、同級生の女性に会ったらこんな風に話してみよう。「オレは庶民でしか存在できないから、今後も文句を言って。」と。
昨日は地元あいさつまわり。夜は富岡高校OB会・高崎かぶら会忘年会。
その時は「そんなことはないよ。」とブツブツ言い返しましたが、最近ずっと心の中に残っています。
「オレだって庶民だよ。」「政治家として弱い人の立場にたって活動しているよ。」と心の中でつぶやいても、やはり「?」がつきまといます。
しかし考えてみれば、公務員の教師夫婦の息子として生まれ、野球だ政治だと好きなことだけやってきて、大学にも出してもらい国会議員の秘書なんてものを仕事とし、現在は県議会議員をさせていただいている。
「苦労なんかなんにもないジャン。」と指摘されても仕方ないかもしれません。
それと、知らず知らずのうちに政治家角倉が、市井の生活者の生きる場から遊離してきているのかもしれません。
政治家と庶民は本来一体的なものです。私は今たまたま県議という仕事をしているだけと常々自分なりに思い続けてきましたが、どこかに心のスキが出来ているのでしょう。やはり見る人が見ればわかるのだろう。
今度、同級生の女性に会ったらこんな風に話してみよう。「オレは庶民でしか存在できないから、今後も文句を言って。」と。
昨日は地元あいさつまわり。夜は富岡高校OB会・高崎かぶら会忘年会。