遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『暴虎の牙』  柚月裕子  角川書店

2020-09-11 16:59:44 | レビュー
 プロローグは、野球帽、龍(ジャンパーの背に龍)、青シャツという単語で表記された3人の少年が瀕死の男をリヤカーに積み、雨のふる山道を引き上げて山中に入る場面から始まる。野球帽が拳銃でその男にとどめをさし、三人で穴に埋める。龍に拳銃のことを尋ねられて、野球帽は「たったいま、親父の形見になったのう」と答える。このストーリー、衝撃的な状景描写から始まる。初っ端から読者はグッと引きこまれるのではないか。

 本編のストーリーは昭和57年6月、沖虎彦・三島孝康・重田元の3人が、広島博徒の草分けで老舗組織の綿船組が仕切る賭場を襲撃し、賭場の金を強奪する行動に出る場面から始まる。

 この小説、広い視点からは警察小説の範疇に入るのだろう。なぜなら、ストーリーの前半には広島北署捜査ニ課暴力団係の大上章吾がいわば芝居の脇役的な形で登場するからだ。ストーリーの中心は、沖・三島・重田という三人組であり、彼らが繰り広げる暴力的行動の展開が描かれて行く。3人は幼馴染みで、沖虎彦をリーダーにしてつるんでいる。常に3人が一緒になり行動を共にしてきた。そして、彼らの行動に共鳴して仲間が集まり、沖虎彦のもとに呉寅会という集団が形成されていく。だが、沖は上下関係の規律は持ち込まず仲間という意識を紐帯とした組織を創っていく。愚連隊である。

 沖たちは呉原市に生まれ育った。沖の父・沖勝三は呉原市を拠点とする五十子会に属する組員だった。シャブに溺れ、家族から金を巻き上げ、暴力を振るってきた。その結末がプロローグである。その父の姿を見てきた沖はその経験から「ヤクザは臆病者だ。自分が弱いから、さらに弱い者を痛めつける。バッジを外せば、ただの腰抜けだ」(p19)と冷徹にとらえている。だから恐れることなくヤクザに立ち向かって行く。
 沖は五十子会という暴力団組織を敵視し、五十子会を壊滅させることを目論んでいた。愚連隊集団を形成しているが、彼の信条は一般市民(堅気)には手を出さない。あくまで、薄汚い極道、暴力団をターゲットにして行動することだ。暴力団から自分たちの行動資金を獲得するというものである。五十子会関連下部組織の麻薬取引現場を襲い強奪するなどの行動を重ねていく。呉原市を拠点にしづらくなり、呉寅会の中核である三人組は広島市内に拠点を移し潜伏する。
 そして、広島市内の暴力団組織・綿船組とその関連下部組織を資金獲得のターゲットにする。
 沖は、広島で天下を取るという野望を抱くようになっていく。

 喫茶店「ブルー」で、沖ら三人組は、連れと一緒に来た森岡と会い、頼まれた債権回収の交渉をする。たまたま居合わせた大上が仲裁に入ることから、沖たちと大上の関係が生まれていく。森岡の連れは綿貫組の組員であり、その喫茶店は綿船組のシマにあった。
 大上はかつて沖勝三を覚せい剤所持の容疑で引っ張ったことがあり、喫茶店で虎彦を見ていて、勝三の若い頃の顔を連想した。後ほど大上は、表沙汰にはなっていないが暴力団関連で発生してきた諸事件と沖ら三人組の動きを時系列的に結びつけ推理を進めていく。
 ここで興味深いのは、大上が沖ら三人組と呉寅会の行動を見守るというスタンスを取っていくことにある。「わしの仕事はのう。堅気に迷惑をかける外道を潰すことじゃ。そういうことよ」(p224)と。

 このストーリー、沖ら三人組と呉寅会が暴力団組織との間で起こす事件を次々に連鎖させていく。その先には当然の帰結として、呉寅会と綿貫組との全面戦争への方向に進むが、警察の介入、つまり大上により阻止される。

 そして、ストーリーは平成16年にタイムスリップしていく。その時点では既に大上は亡くなっていた。そして大上の思いは、呉原東署捜査二課暴力団係・日高が引き継いでいた。さらに、暴力団の組織も変化していた。
 ある決意を秘めた沖虎彦の行動がこの時点から再開されていく。

 このストーリーのおもしろさはいくつかある。
1) なぜ沖虎彦という暴虎の如く牙をむく男が生まれたか、その忿怒の原点を虎彦の回想の形で描き込んでいること。
2) 沖虎彦・三島孝康・重田元の三人組の形成と破綻が描かれていくこと。
3) 愚連隊が暴力団を襲うという事件の連鎖。表沙汰にならない暴力的な事件であるために、警察には直接的に知られないし、介入できない事件が次々に連鎖して行く。そこに沖虎彦の襲撃構想が反映されていく展開となる。いわば、長編の中にショート・ストーリーが織込まれて行く感じでもある。
4) 大上刑事が堅気には迷惑を及ばせないという立場で黒子的な役割の行動をとる点。
 そして、大上刑事のアクの強さがおもしろい。
5)ストーリーを昭和57年6月から平成16年にタイムスリップさせて展開するという構想のおもしろさ。

 一番興味深いのは、警察小説のジャンルに入る小説でありながら、いわゆる警察がほとんど表に出てくることなしに暴力行為の連鎖を扱うストーリーであることだ。私が著者の作品群を読んで来た範囲の記憶では、こんなスタイルで展開する作品はなかったと思う。

 大上刑事のスタンスのもう一つは、ある時点で大上が沖に向かって放った言葉にあるように思う。
 「ええか。わしが言うたこと、忘れんなや。ちいと大人しゅうしとれ。極道はのう、一遍、殺ると決めたら、なにがあっても殺りにくるんで。特にこんなみとうなんは、ただでは殺してくれん。散々いたぶって、なぶり殺しにされるんど」(p315)

 エピローグは、意外な結末を描き出していく。
 どういう展開になっていくのかと、このストーリーを一気に読んでしまった。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『検事の信義』  角川書店
『盤上の向日葵』  中央公論新社
『凶犬の眼』  角川書店
『合理的にあり得ない 上水流涼子の解明』  講談社
『蟻の菜園 -アント・ガーデン-』 宝島社
『朽ちないサクラ』  徳間書店
『孤狼の血』  角川書店
『あしたの君へ』 文藝春秋
『パレートの誤算』 祥伝社
『慈雨』 集英社
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社