遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『京都発・庭の歴史』  今江秀史   世界思想社

2020-09-30 22:21:35 | レビュー
 数ヶ月前に、新聞記事で本書を知った。「京都発」という表現と、「庭園の歴史」ではなく「庭の歴史」というタイトル付けに興味を抱いたことによる。
 著者は京都市役所の文化財保護課に属し、寺社等の庭「名勝」を担当する専門技師として文化財保護の観点で実務に携わっている。一方で大学院にて学び人間科学博士号を取得、「『現象学』という哲学にのっとった庭の学術研究」を行う研究者だという。 

 手許で愛用する『図説歴史散歩事典』(井上光貞監修・山川出版社)を見ると、「庭園と茶室」という見出しのもとに、「庭園の鑑賞」という視点から庭を簡略に説明した上で、「浄土庭園」「禅宗庭園」「大名庭園」という庭園の類型説明を加えている。庭園を鑑賞するには便利であり、役立っている。今まで「庭=庭園」ととらえて、それ以上のことはあまり考えなかった。
 また、数年前に小野健吉著『日本庭園の歴史と文化』を読み、日本庭園の歴史と文化についての研究成果を読み、日本庭園の理解をさらに深めることに繋がった。
 こういう背景があるので、「庭の歴史」というタイトルに関心をいだいたわけである。

 著者は「はじめに」の冒頭で、「本来『庭』とは、『見る』ためのものではなく、『使う』ためのものです」と述べている。つまり、「使う」という視点、「使われ方」という視点から「庭」の歴史を説明していくという本である。今までにはなかったアプローチといえる。
 著者は、「庭」は「日常の生々しい現象」の中にあるものととらえることから始める。平安時代から現代まで、住まいの「庭」には4つの基本的な区分があるという。史料により呼び方がさまざまだそうで、著者は「大庭(おおば)」「坪」「屋戸(やど)」「島」という区分用語を使って、「庭の歴史」を論じて行く。そして、「島」が一般的にいう「庭園」に相当する位置づけだという。
 私は、本書を読み、庭を理解する上での用語として、大庭、屋戸という言葉を初めて知った。

 この4区分により、平安時代の寝殿造住宅の敷地と現在の小学校の敷地とが庭の使われ方という次元、つまり同じ土俵で対比的にとらえられている。そこには使われ方の連続性が成立している。序章でのこの説明をまずおもしろい発想・観点だと受けとめた。

 著者は、「はじめに」において、「『庭園』とは、本書で挙げる四区分の庭のなかから一部の学問のルールにとって都合のよい事柄だけを抜き出して合成した『偶像』だから」と述べ、「庭」と「庭園」は別のものと認識している。「まさに『庭園』の本で語られてきたのは『庭のキメラ』なのです」と論じている。
 つまり、読者にとっても「庭」と「庭園」を考える上で、チャレンジングな書になる。発想の転換を迫られているのだから。そういう意味でもおもしろい本である。

 著者自身が本書の構成・展開を「はじめに」で要約している。次のように。
「まず序章では、平安時代から続く庭の基本的な四区分と言葉の整理をします。第1章から第4章にかけては、平安時代から近代までの庭の使われ方をたどると同時に、各時代の人々が庭に求めた意味をひも解いていきます。そして第5章では、まさに現代の庭仕事の実情を描きます。終章では、本書の考え方の原点である、十九世紀のドイツで生まれた哲学『現象学』を通して、庭の本性を浮き彫りにします。」
 序でに各章のタイトルを記しておこう。
  序 章 時を超えてつながる小学校と平安貴族の住宅
  第1章 使わなければ庭ではない   平安時代
  第2章 見映え重視のはじまり    平安後期~安土・桃山時代
  第3章 百「庭」繚乱        江戸時代
  第4章 庭づくりのデモクラシー   近代
  第5章 伝統継承の最前線に立つ人々 現代
  終 章 庭の歴史と現象学

 著者の論点を要約あるいは引用(鍵括弧つきの個所)によりご紹介し、本書への誘いとしたい。
*庭は使い手や作り手の交じりあった志向が共同作業として現れた痕跡の集りである。
 「作庭家一人の意図を取り上げるだけでは『庭』を語るのに十分とはいえません。」p24
*庭はつねに動きをともない、「無常」である庭を静物とみなすこと自体が大きな誤解である。様式化による定式化には適さない。 p25
*「現代の私たちにとって、庭は人工的で固定された場所と感じられますが、古くは仕事など何らかの『事』を行うための土地や水面と考えられていました。」 p26
*「本書では、日常の住まいにおける『家屋の前後の土地』の使い方に着目していくことにします。」 p27
*4つの区分  p30-45
 大庭:多様な行事に対応するための常設物のない、何の変哲もない平坦地
 坪 :催事の支障とならない程度に建築や渡廊の周りで植栽や前栽をした場所
    「住まいに光と風を取り入れる」「建築と坪は、行き来できることが前提だった」
 屋戸:住まいの中の余地。「動」の行事のために使われた場所。
    事例:蹴鞠をすることができる場所(庭)。敷地内にある馬場。
 島 :「園地に中嶋を浮かべ、周囲に築山を施した」場所 (=庭園)
    平安時代は大庭を補助する役割を担った場所。
*平安時代の貴族にとり、庭は季節・節目ごとの催事の受け皿となる場所。平安中期まで庭の主役は大庭で、島は脇役的存在だった。  p59
*平安時代後期から安土桃山時代にかけては、生活の効率化と書院造住宅の誕生、そして武士の台頭が庭の体裁を変革して行った。大庭が弱小化し、石庭が誕生する。 p62-70
*儀式での実用性が薄れ、見映えとつくりを求め、庭を楽しむ方向に転換。大庭ではなく島に関心が移行する。「島づくりによる文化力の誇示」並びに「島づくりによる権力の誇示」の方向へ向かう。p70-98
*江戸時代の庭は武家から公家への挑戦となる。「島」の意味合いが拡大し、エンタテインメント性が強調される。360度から眺められる庭へ。一方、公家文化は庭に総合アミューズメントの視点を加えていき、「林泉」へと展開していく。
 参勤交代が庭づくりの全国展開を促し、本山の庭が宗派の力の象徴となっていく。
 一方で、庭が社会階層ごとに個別化する。 p100-136
*明治維新から大正時代にかけては政治家や実業家が庭づくりの主導権を握っていく。
 京都に所在の山県による無隣庵の例のように素人による庭づくりも始まる。また、公園という形での庭づくりも始まる。
 近代は4区分の庭の伝統がほぼ忘れ去られる時代となる。  p138-154

 これらの論点が、さまざまな具体的事例で説明を積み重ね、平安時代以降の「庭の歴史」として語られていく。
 
 第5章は、庭を維持するという視点から、庭という伝統継承の最前線で働く人々の経験や思いをインタビューしヒアリングした内容がまとめられている。著者が関わった仕事に関連した現場の人々の声である。円山公園の修理現場と壬生寺の庭が事例となっている。

 終章で、著者は本書を「現象学」の立場から論じらているということを説明している。「庭が『間主観』『相互触発』によって成り立っている」(p191)という事例説明なのだという。著者はこの終章で現象学という哲学の考え方を庭との関わりで少しだけ説明している。
 この終章で著者は、「私たちにとって庭は、季節や気候の変化、時間の移り変わりを見届けるのにふさわしいものとして持続し、継承されてきた」(p199)という考えのもとで「先人が庭に関わってきた歴史のなかで裏付けられてきた『理(ことわり)』を浮き彫りにしょう」(p199)とした試みだと述べている。

 「庭の歴史」という形で庭の変遷を知ることで、「庭園」との関わり及び「庭園」の類型化の位置づけをとらえ直す機会となる。「庭」と「庭園」の理解を広げ、深めるきっかけとなる書であると思う。チャレンジングな書である。

 後は、本書を繙いていただき、この庭の通史をお楽しみいただきたい。
 
本書に関連して関心の波紋を広げてみた。ネット検索で入手した事項を一覧にしておきたい。
大庭  :「コトバンク」
 デジタル大辞泉(小学館) :「goo辞書」
坪庭とは?由来やデザインのポイント、小さな庭や狭い庭の実例も :「庭 新美園」
坪庭とは日常に潤いをくれるもの!良い点と気になる点を知ろう  :「LIXIL」
や-ど 【宿・屋戸】 学研全訳古語辞典  :「weblio古語辞典」
庭に関する主な用語一覧  :「京都市文化観光資源保護財団」
庭園用語集  :「日本庭園の美」
現象学  :ウィキペディア
モーリス・メルロー=ポンティ  :ウィキペディア

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『日本庭園の歴史と文化』 小野健吉 吉川弘文館



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