遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ポーラースター ゲバラ覚醒』  海堂 尊   文藝春秋

2016-10-08 10:23:24 | レビュー
 不動で輝き続け方向を判断する基準となる「北極星」のように、その輝きを失わない人物の一人。チェ・ゲバラの青春時代を「ぼく」という第一人称で語り、綴った自叙伝風伝記小説である。

 第1章は「医学生 1951年10月 ブエノスアイレス」の時点から始まる。各章のページは見開きに地図とイラストが描かれている。そして、この第1章は当然のことながら、ブエノスアイレスの簡単な地図。そしてこの小説を暗示するオートバイの絵と医学生のゲバラ像が描かれている。その青年の図の足元には、こう付記されている。「Che Guevara チェ・ゲバラ(1928-1697)アルゼンチン出身の政治家、革命家。F・カストロとキューバ革命を指揮」と。
 迂闊なことに、私は今まで「チェ・ゲバラ」のチェを本名と思っていて、それ以上に考えなかったのだが、この本を読了した後に少し調べていて、それがスペイン語での呼び掛けの言葉であることを初めて知った。チェの発音をキューバ人たちがおもしろがり、ゲバラにつけたあだ名だそうである。
 「ぼく」の本名は、エルネスト・ゲバラ=デラセルナであり、父親が自分の名前をそのまま息子につけ、父方と母方の両方の名字が刻み込まれているそうである。この小説の中では、「ぼく」という一人称か、エルネストという名前でストーリーが綴られている。ここでは、エルネストで統一していく。
 
 第1章は、エルネストが喘息の発作を起こした状態の描写から始まる。しかし、それは発作の予感を夢で見て、目が覚めるという形である。その目覚めたところが、おもしろい。ブエノスから70km程西の郊外にあるカンパーニャの小村、そこの名門ピサロ家の娘・エリーゼのベッドの中なのだ。夜中にバイクを走らせ、忍びこんだという。のっけから読者を惹きつけるエピソードで始まるのだから、興味をそそる。ピサロ家は、農業大国アルゼンチンの支配階級である大地主(エスタンシエロ)の一つ。
 そして、この章で青年エルネストの背景についてその要点が大凡語られている。スペイン内戦からの亡命者であるピアニスト、マヌエル・デ・ファリャとの出会いで、音楽の才能のないことを指摘され、スペインの偉大な吟遊詩人の詩の一節を教えられる。それが契機で吟遊詩人となることを夢みたこと。喘息の持病をもつエルネストが、喘息の医学的研究をめざしブエノス大学の医学生になったこと。解剖学では学年一の優秀な医学生だったこと。母は大地主で素封家の実家からかなりの遺産相続を得たが浪費家であり、サロンを主宰する女性。父は移り家で職を転々とし、成功と失敗の浮き沈み。エルネストが医学生になったころは、建築事務所の口を得て生活は安定。エルネストは母が所有する蔵書類を子供の頃から読みあさったという。つまり、エルネストはアルゼンチンにおけるプチブルの良家の子息として育ったのだ。喘息持ちにも関わらず、サッカー部の選手として活躍している。
 数年前に医学部に入学しているのに今はエルネストの同級生になっている友人がいる。ユダヤ系ロシア人の家系で、名はピョートル・コルダ=イリノッチ。ロシア移民の三代目でトロッキーに心酔していて、もとはブエノス大の学生運動のリーダーだった人物。彼とピョートルとの出会いは、後にエルネストの回想の形で触れられていく。
 このピョートルとエルネストは、1950年の夏休みに、「アルゼンチンの北限を目指し、自転車に小型モーターを搭載したアセーロ(鋼鉄)号で5000kmを走破するという旅行をしていた。

 長々とエルネストの人物背景に触れたが、この背景とこのストーリーの展開が「ピョートルと一緒だったあの時の旅立ちとは何と違うことだろう。間もなくアルゼンチンは女神を永遠に失ってしまう。そんな祖国に未練はない。小さな背嚢を背負って、革命の足音が鳴り響くボリビア行きの列車に乗り込んだ。」という行動描写でこの小説の結末を導いていくことになる。
 医師資格を取得し、ブエノス大の医学部を卒業したエルネストは、ペロン政権が医師の軍役義務化を図ろうとする矢先に、アルゼンチンを離れる決断をする。1952年3月末。
 小説の末尾は「ああ、革命の匂いがする。」つまり、本書タイトルにある「ゲバラ覚醒」という起点でこの小説は終結する。たぶん、ゲバラのその後というストーリーの構想が著者にあるのではないだろうか。

 それでは、このストーリーのメインは何か?
 それは、医学部学生としての最後の期末試験で全科目合格をした後から、具体的に始まる。つまり、1951年12月から上記1952年3月の間に、エルネストがピョートルと一緒に計画した南米大陸縦断旅行のストーリー展開となる。この顛末記がエルネストのその後の人生を転換させていくことになる。
 前の所有者が南米大陸1万キロの走行をしたという50馬力の鋼鉄のバイクによる旅立ち。このアセーロ2号と名付けたバイクに2人の野宿用のフル装備を装着して、二人乗りで出かける。このバイク、山脈横断の途中で故障する。彼らは乗り捨てて、ヒッチハイクの旅に切り替え、縦断旅行続行を決断する。この旅行での彼らの見聞は、当時の南アメリカの各国の状況を炙り出していくことにもなっている。第2次世界大戦をはさむ時代の南米史の一端が描写される。この点、この小説を通じて当時の南米の状況を感じることはできたが、そこに記述された動きを正確に理解できたとは到底思えない。それは南米の歴史に対する私の理解と認識の乏しさに起因する。

 この旅行への出発の直前に、エルネストがエリーゼにプロポーズし、婚約する。だが、エルネストとピョートルが南米大陸縦断旅行に出発することより、エリーゼからの婚約解消通告という顛末になる。このプロセスもまた、当時のアルゼンチンの支配層の考え方を知る役に立つ。また旅行中にエルネストが己の過去を回想する形を通じ、当時のアルゼンチンの政治動向が描写され、後に大統領となるペロンの政治に対する賛否両論の風潮が描かれる。高校生の頃のエルネストが母のサロンを通じて培った政治認識から始まり、ジャスミン・エバ=ドゥアルテという女優にエルネストが出会うとともにその奇しき繋がりがストーリーの一つの軸となっていく様も折り込まれていく。エルネストにアルゼンチンを去るように助言するのはジャスミンなのだ。、同様に、その回想はピョートルとの出会いに始まり、将来のゲバラの生き方に影響を与えるこの友人の存在を描くことにも連なっていく。
 ピョートルは、この南米大陸縦断旅行の大義名分として、ハンセン病患者のために設立されたアマゾン河流域のサンパブロ療養所での訪問ボランティア活動を計画していた。
 このストーリーは、この療養所に到着するまでに、彼らが遭遇する様々な各地域の政治情勢、人々の暮らしの見聞、そして政治家を含む様々な人々との出会いなどを描いて行く。それは吟遊詩人となることを夢みるエルネスト、彼自身が予想だにしないうちに革命に関わる生き方、つまり覚醒への素地を培っていくプロセスだったと、著者は描いて行く。

 当然のことながら、章構成の多くは南米大陸縦断旅行の通過地点と関わりがある。そして、それぞれの地での政治情勢という観点での見聞あるいは人との出会いとなる。エルネストに影響を与える人々との出会いとなっていく。章の名称と見開きに記された人物及び簡略な付記説明内容を引用し、列挙しておく。少し補足を[ ]内に記す。

第2章 真夏のクリスマス 1951年12月  [プロポーズとその後の展開]
 サン・マルティン(1778~1850)
  アルゼンチン出身の軍人。政治家。南米諸国を独立させた立役者。
第3章 美しい季節 1931~44年 コルドバ [エルネストの回想]
 ホルヘ・ルイス=ボルヘス(1899~1986)
  アルゼンチンを代表する作家、詩人。主な作品に「伝奇集」など。
第4章 ファン・ドミンゴ=ペロン 1945年8月 ブエノス・アイレス
      [回想の続き、ピョートルとの出会い、ペロンという人物像]
 ファン・ドミンゴ=ペロン(1895~1974)
  アルゼンチン大統領に3回就任。支持者はペロニスタと呼ばれる。
第5章 青嵐 1945年10月 ブエノス・アイレス 
      [回想の続き ジャスミンとの再会がペロンにつながる]
 エバ・ペロン(1919~1952)
  45年にペロンと結婚。ファーストレディとして、国民的人気に。
  慈善団体「エバ・ペロン財団」を設立。
第6章 チリ特派員 1952年1月 チリ・バルディビア [旅行資金稼ぎに特派員稼業]
 ペドロ・デ・バルディビア(1498頃~1554頃)
  スペインの軍人としてチリを征服し、総督となる。
第7章 アンデスの詩人 1952年2月 チリ・バルパライソ [敬愛する詩人との出会い]
 パブロ・ネルーダ(1904~1973)
  チリの外交官、政治家、詩人。71年にノーベル文学賞を受賞。
第8章 バナナ共和国 1952年2月 エクアドル・グアヤキル [農園での労働体験]
 ホセ・マリア・ベラスコ=イバラ(1893~1979)
  エクアドルを代表する政治家。5回大統領の座に着いた。
第9章 ビオレンシアの残照 1952年2月 コロンビア・ボゴタ [南米学生会議に参加]
 カミロ・トーレス(1929~1966)
  コロンビアの教会司祭を経て、ゲリラ組織ELN(国民解放軍)の一員に。
第10章 サンパブロ療養所 1952年2月 ペルー・サンパブロ [ボランティア活動]
 ホセ・カルロス=マリアテギ(1894~1930)
  ペルーの思想家。マルクス主義に傾倒しペルー社会党を創立。
 付記:エルネストは療養所のペレイラ院長からホセの著書『ペルーの現実解釈の
    ための七試論』を受け取り、その本に深く惹かれていったと著者は記す。
第11章 インカの道 1952年2月 ペルー・マチュピチュ [学者兼CIAの手先と同行]
 アタワルパ(1502頃~1533)
  インカ帝国の実質上、最後の皇帝。スペインのピサロに処刑される。
 付記:マチュピチュ遺跡を見分し、インカ帝国の成り立ちとスペイン人の暴虐。
    「戦わないものは奪われる」エルネストの非武装革命の信念の土台の崩壊と、
    著者は記す。「弱さは罪だ。戦え、大切なものを守るために。」
第12章 地に潜む悪意 1952年2月 ボリビア・コントラクト
       [2人が鉱山ストを見学に行こうとした途上で悲劇に遭遇]
 ビクトロ・パス=エステンソロ(1907~2001)
  1952年のボリビア革命指導者の1人。4度大統領に就任。
第13章 アルゼンチンの虹 1952年3月 ブエノス・アイレス
 ペロン&エビータ
  ペロンと大統領府のバルコニーから行ったエビータの演説は多くの市民を熱狂
  させた。

 エルネストは、アルゼンチンを出発し、チリ→エクアドル→コロンビア→ペルー→ボリビア→アルゼンチンの旅を終える。ただし、アルゼンチン、ブエノス・アイレスに帰還したのはエルネスト1人だった。ボルビアでピョールに悲劇が起こる。
 帰宅した時、両親は離婚していたという。
 著者は、エルネストは帰宅後丸二日、昏々と眠り続けた。そして、眠りから覚めると、『モーターサイクル・ダイアリーズ』という物語を書いたと記す。
 この物語では「ぼくたちの旅はサンパブロ診療所で終わり、ピョートルは現地に残る。そしてぼくは日和ったピョートルを罵りつつも祝福し、ひとり故郷に帰ろうと決意する」というエンディングだと記す。そして、その原稿は、「エルネストの忠実なる友人にして優等生の同級生」であるベルタに預けられたとする。「ぼくが死んだら読んでほしい。その後どうするかはベルタ姐さんに任せるよ」と。

 読後に調べてみると、1997年10月 に『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』(現代企画室刊)が翻訳出版されていて、2004年には『モーターサイクル・ダイアリーズ』が角川文庫として出版されているそうである。この本では、1951年に友人の医学生アルベルト・グラナード(/グラナドス)とオートバイによる南米旅行に出かけたという記述になっていて、グラナードは診療所に亡命同様にして残る選択をしたという。

 医学生アルベルト・グラナードは、ピョートル・コルダ=イリノッチのことであり、エルネストは南米旅行記で仮名を使って書き上げたのだろうか? それとも、この伝記小説で著者がフィクションを加えている部分があるから著者の方が仮名にしたのだろうか。あくまで小説としての創作ということで・・・・。チェ・ゲバラに関わる伝記や研究書などを読んでいないので、私には判断できない。

 本書には、ストーリーの設定時期の関係から、勿論出て来ないことなのだが、「1959年7月15日、31歳のゲバラはキューバの通商使節団を引き連れて日本を訪れた」(ウィキペディア)という。全く知らなかった。

 チェ・ゲバラの青春、大学生時代に思いを馳せ、その後のゲバラの生き様の転換点となった時代背景を想像してみる上で読み応えのある作品になっている。
 
 ご一読ありがとうございます。

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本書に関連して関心を抱いた語句・事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
チェ・ゲバラ  :ウィキペディア
【 あの人の人生を知ろう~チェ・ゲバラ 】 :「文芸ジャンキー・パラダイス」
エルネスト・チェ・ゲバラ :「HEAT WAVE TOYS DATA FILES」
ゲバラ/チェ・ゲバラ  :「世界史の窓」
イケメンなんてもんじゃない!チェ・ゲバラの人生と、未だ衰えない人気の秘密
     :「NAVER まとめ」
チェ・ゲバラ没後40年、10年前に発掘されたゲバラの遺骨 2007.10.3:「AFP BB NEWS」
チェ・ゲバラ  世界を変えようとした男  YouTube
ゲバラ日記  :「松岡正剛の千夜千冊」
モーターサイクル・ダイアリーズ~南米大陸縦断の旅で「革命家チェ・ゲバラ」は生まれた  :「TAP the POP」
『チェ・ゲバラ AMERICA 放浪書簡集』解題 【現代企画室編集部・太田昌国】   

ゲバラが残した「悲痛な言葉」 オバマ氏は広島で何語る 
 西村悠輔 2016年5月24日   :「朝日新聞 DIGITAL」

ホルヘ・ルイス・ボルヘス  :ウィキペディア
ホルヘ・ルイス・ボルヘス 伝奇集 :「松岡正剛の千夜千冊」
ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 『砂の本』 坂部明浩氏
   :「DINF 障害保建福祉研究情報システム」
パブロ・ネルーダ  :ウィキペディア
パブロ・ネルーダ ネルーダ回想録 :「松岡正剛の千夜千冊」
パブロ・ネルーダ 「裸のきみは」 :「大島博光記念館」
エバ・ペロン  :ウィキペディア
アルゼンチン大統領夫人エビータ  :「nozawa22」

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「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記のリストです。
出版年次の新旧は前後しています。

『スカラムーシュ・ムーン』  新潮社
『アクアマリンの神殿』  角川書店
『ガンコロリン』    新潮社
『カレイドスコープの箱庭』  宝島社
『スリジェセンター 1991』  講談社
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』   宝島社
『玉村警部補の災難』   宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社  
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』  朝日新聞出版