遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『弾正の鷹』 山本兼一 詳伝社

2011-10-17 23:01:20 | レビュー
 著者の本との出会いは、『利休にたずねよ』が最初だった。この作品が直木賞を受賞する前に、たまたま読んだのだ。この本を手に取ったきっかけは、「利休」という語がタイトルにはいっていたこと。利休という人物に興味があるというきっかけでだった。それ以来、『火天の城』を読み、さらに継続して読み継ぎたい作家のリストに加わえた。
 この本のタイトル「弾正の鷹」が1999年に「小説NON」創刊150年記念短編時代小説賞の受賞作だったというのを、この本の奥書を読んでお遅ればせながら知った。

 本書はタイトルの作品を筆頭に計5編の歴史短編小説がまとめられている。掲載順に作品のタイトルをあげると、次のとおりである。
 下針(さげばり)/ふたつ玉/弾正の鷹/安土の草/倶尸羅(くしら)
 各短編を読み進めてわかったのだが、この作品集は信長に関わり、その周辺で起こる事件を題材にしている。信長を弑しようとする様々な企みにかかわった人物の行動と思いがテーマになっている。
 ある時から、それまで何となく反感はあれど関心が薄かった「信長」に興味を抱くようになり、『信長公記』をはじめとする資料や事典、研究書、小説などを集め始めた。タイトルに「信長」が入っていないので、本書が信長関連の小説だとは、読み始めるまで知らなかった。『白鷹伝』を読んでいたので、「鷹」の連想でこの本を手に取ったのが読むきっかけだった。私の関心事としては、結果として「信長」にリンクしてきてハッピーである。

 各作品のテーマ・内容を少しご紹介しよう。

「下針」
 紀州雑賀党領袖鈴木孫市の甥で、五十人の鉄砲衆の物頭(将校)である鈴木源八郎の話。二十間先の松の枝に吊り下げた針を射中てるという腕前を持つ。そこから下針という通り名がつく。この下針、本願寺寺内町の遊び女・綺羅にぞっこん惚れてしまう。雑賀党が石山本願寺に加担し、顕如から信長を仕留める依頼を受ける。それに対し、彼は永楽銭一万貫の褒美を要求する。それは綺羅を自分一人の女にしたいがためだった。出撃する日、下針はずしりと持ち重りのする鹿革の袋を綺羅に託し、「信長の命が取れたら、その褒美は、ぜんぶおまえにやる」「もしもな、万にひとつ、わいが死んだらこの包みをあけてくれ」と言い、戦場に向かう。
 ラストシーンの女心のせつなさ、ゆらめきがいい。

「ふたつ玉」
 ふたつ玉というのは、鉄砲に二つの玉を込めて撃つだけの膂力をもつという鉄砲の腕前から来ている。その腕前を持つのが甲賀杉谷の善住坊である。佐々木六角承禎からのいただきものである菖蒲という心根のやさしい女に惚れ抜いている。その善住坊が承禎から呼び出され、信長を狙撃して斃すように命じられる。善住坊は承禎に願う。「みごと信長を撃ち果たしましたら、鉄砲を捨てとうございまする」承禎曰く「よいよい、好きにせい」「おなごというもの、さほどにありがたいものかな」
 善住坊の狙撃は歴史の語る通り失敗に帰す。この短編の結末に、作者のロマンがこめられている。

「弾正の鷹」
 松永弾正久秀の側女として仕える桔梗。彼女は、堺の会合衆の一人・茜屋宗佐の娘だった。その父が町衆の代表の一人として信長のもとに年貢軽減の願い出をするが、信長の逆鱗にふれ梟首される。桔梗は弾正のもとで信長への復讐を願う。そこで、鷹をつかって信長を襲わせるという謀略が企てられる。堺に逗留する韃靼の鷹匠ハトロアンスに教えを乞い、その協力を得て、桔梗自体が女鷹匠の道を歩み出す。そして、安土城にて信長に目通りをかなうところまで計画は進む。だがそこから意外な展開が始まる。
 短編ながら、鷹を育成するプロセスが一つの読みどころだ。この鷹育成についての作者の知識情報と想像力が長編『白鷹伝』の創作につながって行ったのだろう。もう一つが、ハトロアンスと桔梗の関係、最後が思わぬ方向に向かうストーリーの展開。結末を読んでタイトルの持つ意味の重なりに思いをめぐらせた。

「安土の草」
 安土城築城のプロセスにおいて、甲斐の忍者で安土に草として忍び込んでいる男女が信長暗殺を企てることがテーマになっている。安土城築城の棟梁である岡部又右衛門の許に、番匠として入り込んだ庄九郎。そして、飯炊き女として入り込んだ楓。庄九郎にとり楓は「おれの甲斐は、この女だ」の思いがひそむ。
庄九郎は甲斐武田家の乱波組頭に言い渡されて、14歳で大和に行き、松永弾正のもとを経て、興福寺の寺番匠になる修業に入る。時を経て、組頭の命により棟梁岡部の工人に入り込む。信長が安土城築城を岡部に命じ、岡部は数種の天守閣の絵図を準備する。信長がその中から選んだのは、庄九郎が描いた絵図面だった。信長は天主閣と称させる。
 信長暗殺の企てで安土に入り込んだ番匠・庄九郎は、自らの絵図による天主閣を完成させることと、場合によってはそれを焼いてでも忍者として信長を弑せよの受命とのはざまで苦悩する。甲斐武田家は、前年既に長篠にて大敗に喫していたのだ。きかん気で我の強い楓は庄九郎と一緒に信長暗殺を目指すが彼の逡巡する態度に業を煮やし、独断で他の忍者とともに安土城の一角に火を放つ挙に出るが失敗に帰し信長の手勢に捕らわれる。庄九郎の心の地下水脈に棲む怪魚が猛り始める。
 一方で、短編ながら安土城築城の過程、様相がうかがえ、想像するのも楽しい。

「倶尸羅」
 摂津生まれの遊び女・倶尸羅は、備後鞆の津で足利将軍・義昭の相手をしている。義昭から寝物語りに、信長の毒殺を持ちかけられる。江口の里での暮らしに退屈し、義昭に伴われて鞆の津にまできた倶尸羅には、その義昭も気鬱の種になり始める。義昭の依頼を受けた形で、倶尸羅は江口に戻る。
 江口の里の遊び女の長者は、京代官に通じた上で、倶尸羅を信長への献上品として、信長の宿舎妙覚寺に出向く。京都で倶尸羅を受け取った信長は、その後、彼女を安土城に連れて行く。安土城では信長のお召しのかからぬ日々。嫉妬という感情を初めて知る倶尸羅のこころの動き。倶尸羅は明国渡来の毒物を細い竹筒にしのばせて、城に持ち込んでいる。
 遊び女が我が身を道具にするというテーマの故か、作者の作品のなかでは、これが一番性描写が豊かである。(過去に読んだいくつかの長編作品も含めて・・・という意味で。それでも、まあ控え目といえようが・・・・)
 倶尸羅の意図を見抜いている信長と倶尸羅の心身両面の駆け引きがおもしろい。


 この短編集の背景として、『信長公記』(太田牛一著)に史実の記載がある
☆「下針」の戦闘場面関連:
 巻九、天正四年丙子五月 「御後巻再三御合戦の事」の項
 五月五日から七月にかけての状況がここに記述されている。その五月七日の条に、
 「御先一段、佐久間右衛門、松永弾正、永岡兵部大輔、若江衆。・・・二段、滝川左近、蜂屋兵庫、羽柴筑前、惟住五郎左衛門、稲葉伊予、氏家左京助、伊賀伊賀守。三段御備、御馬廻。・・・信長は先手の足軽に打ちまじらせられ、懸け廻り・・・・薄手を負はせられ、御足に鉄砲あたり申し候へども・・・・」とある。これが作品「下針」への想像のふくらみ、創作へとつながっているのだろう。
☆杉谷善住坊のこと:
 巻三、元亀元庚午五月十九日の条  千草峠にて鉄砲打ち申すの事
 「杉谷善住坊と申す者、佐々木左京大夫承禎に憑まれ、千草山中道筋に鉄砲を相構へ、情なく、十二、三間隔て、信長公に差し付け、二つ玉にて打ち申し候。されども、天道照覧にて、御身に少しづつ打ちかすり、鰐の口を御遁れ候て・・・」
 巻六、天正元年(元亀四年を改元)九月十日の条の手前からの記述
 「此の比、杉谷善住坊は、鯰江香竹を憑み、高島に隠居候を、磯野丹波召し捕へ、九月十日、岐阜へ。菅谷九右衛門・祝弥三郎両人御奉行、千草山中にて鉄砲を以て打ち申し候子細を御尋ねなされ、おぼしめす儘に、御成敗を遂げらる。たてうづみさせ、頸を鋸にてひかせ、日比の御憤を散ぜられ、上下一同の満足、これに直ぐべからず。」
☆松永弾正のこと:
 巻六、元亀四年癸酉 (冒頭に)松永多門城渡し進上 付不動国行
 「去年冬、松永右衛門佐、御赦免につきて、多門の城相渡し候。」
 巻十、天正五年丁丑八月 松永謀叛並びに人質御成敗の事
 「大阪表へ差し向ひ候付城天王寺に、定番として、松永弾正、息右衛門佐、置かれ候ところに、八月十七日、謀叛を企て、取出を引き払ひ、大和の内信貴の城へ楯籠る。・・・松永出だし置き候人質、京都にて御成敗なさるべきの由にて、・・・」
  十月 信貴城攻め落とさるるの事
 「十月十日の晩に、・・・・信貴の城へ攻め上られ、夜責めにさせらる。防戦、弓折れ矢尽き、松永、天主に火を懸け、焼死候。」
☆「安土の草」には、巻十三、「能登・加賀両国、柴田一篇に申し付くる事」の項の辰四月二十四日の条の本文がそのまま引用されている。

 歴史小説は虚実皮膜の世界だ。事実をフィクションで織りなす中に、どれだけの真実を読者に感じさせるか。読み手にとっても、そこが楽しみどころなのだろう。


 少し関連事項をネット検索してみた。

松永久秀   :ウィキペディアから

会合衆    :ウィキペディアから

鷹匠 →鷹狩 :ウィキペディアから

杉谷善住坊  :ウィキペディアから

雑賀衆    :ウィキペディアから

鈴木孫一   :ウィキペディアから

雑賀衆と雑賀孫市 

安土城    :ウィキペディアから

安土城の画像集

火縄銃 :「徹底調査 愛知県の博物館 輪廻転生」のサイトから

鉄砲と歴史1 :「未来航路」のサイトから

ご一読、ありがとうございます。




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