遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『いっしん虎徹』 山本兼一  文藝春秋

2013-05-05 10:54:08 | レビュー
 著者が刀剣の分野で出版した小説は今や4作になる。
 このブログを書き始める以前にたまたま手に取った作品から関心の趣くままに読み進めてきた。この作品を現時点の出版物では一番後に読む結果になった。2007年4月の出版であり、今文庫本でも出ている(2009年10月刊)。
 序でに、単行本の出版年次で本書の後のこの分野の作品を列挙してみよう。
 狂い咲き正宗 刀剣商ちょうじ屋光三郎  2008.8刊(講談社文庫 2011.9)
 黄金の太刀  刀剣商ちょうじ屋光三郎   2011.9刊
 おれは清麿               2012.3刊

 さて本書は、越前で腕の良い甲冑鍛冶として知られていた長曽祢興里(ながそねおきさと)が、三十半ばを過ぎてから刀鍛冶となり、将軍家綱に日本一の刀鍛冶と賞賛されるまでに至る物語である。長曽祢興里が、長曽祢興里入道乕徹という銘を刻んだ太刀を残すまでの伝記小説といえる。
 乕徹とは虎徹と同じである。「乕」という字を本書で初めて知った。著者は本書の最終ステージで、寛永寺の僧・圭海にこう言わせている。「虎の俗字だ。なんの含みもない字ゆえ、衒いを嫌うならこちらの乕をつかうがよかろう。『金瓶梅』というてな、明国の艶っぽい物語でこの字をつかっておる。いや、おまえには、縁遠い世界であろうがな」(p428)と。この銘を最初に刻むのが寛文4年8月で、一代三振之内とまで刻んだという。また、「生涯に一振りだけ、茎に三葉葵の紋を刻んだ短刀を残した」(p444)という。
 長曽祢興里入道乕徹も銘が刻まれた最終年紀の太刀は延宝5年(1677)2月のものである。本書末尾を著者はこう記す。
 「虎徹は六十五歳まで生きて、作刀を続けた。
  妻ゆきの死について、古い記録はなにも語らない。」(p444)

 本書は、壮絶な試刀のシーンから始まる。それが興里の夢だったと4ページ目でわかりほっとするのだが、腕の良い甲冑鍛冶から刀鍛冶への転身を決意し、踏み出すところからストーリーが始まる。泰平の世になり鎧兜の注文はない。大飢饉で次ぎ次ぎに4人の子どもを亡くす。「おれは、江戸で刀鍛冶になる。天下の名刀を打つ。もはや、そうするしか生きていく道がない」(p7)と決意させるのだ。
 
 本書には3つの軸があると思う。
 主軸は、勿論、長曽祢興里という甲冑鍛冶が同じ鉄(鋼)とはいえ、全く異質の刀鍛冶の鉄(鋼)を一から学び始め、乕徹という銘を刻む刀鍛冶に大成するまでの苦闘と生き様が描かれていく点にある。
 それに対して、副次的な軸の一つが虎徹の鍛刀に関わっている人々の生き様である。
・病に冒されながらも刀鍛冶になり天下の名刀を打ちたいという興里に添っていき、興里の支えとなる妻女ゆきの生き方。、
・親を殺され、名刀を興里に盗られたと思い込み興里を狙うが、刀鍛冶への道を歩む興里の一番弟子となり、興里と鍛刀の道を歩む正吉の生き方。
・越前の長曽祢一族の中で、江戸で御用鍛冶として一家をなしている興里の叔父・才市の生き方。興里の支援者であり、最後は鍛冶職人としての矜持で選ぶ壮絶な死。
・興里の刀の良さを目利きし、興里の支援者の一人にもなる試刀家・山野加右衛門の生き方。
・興里の刀に惚れこみ、興里を将軍お抱え鍛冶に推挙することを手段として己の野望を密かに抱く寛永寺大僧都圭海の行き方。
 圭海は興里の願により、「一心日躰居士 入道虎徹」という法名を授けた人物でもある。なぜ、興里が法名を願ったのか? そこに至る過程が一つの読みどころにもなる。また、虎徹の鍛刀の進化(深化)に接し、圭海が己の生き方を軌道修正するというのもおもしろいところである。
 副次的なもう一つの軸がある。それは、鉄づくりから鍛刀のプロセスそのものである。著者は世に名刀として伝わる日本刀の生まれる道筋そのものを描きたかったのではないか。そう思うほどに、素材となる鉄の製造から鍛刀、そして刀の仕上げまでの詳細なプロセスを描き挙げていく。本書を読むことで、作刀行程全般の疑似体験ができ、基礎知識をまなぶことができる。この点、私には大変興味深かった。

 本書の題は『いっしん虎徹』である。ひらがなの「いっしん」には様々な意味が重ねられているのではないかと思う。
 一つは法名「一心」であろう。もう一つは、刀鍛冶として天下の名刀を打ちたいという興里の「いっしん」な心意気、生き方だろう。鍛刀の姿勢である。さらには、古刀に価値を置く、あるいは刀のブランド名を尊重する世間の風潮に対し、この四代将軍の泰平の時代において、たとえ今刀鍛冶として無名でも、鍛刀への精神と作刀技倆により、刀への価値概念を「一新」できるという意味も含まれているのではないか。

 本書は長曽祢興里、すなわち虎徹の伝記小説だと記した。
 本書のストーリー展開から、年紀風にその人生の軌跡を要約しておこう。
・慶安2年(1649)1月 越前から出雲の谷に赴く たたらによる製鉄法の修得
  大鉄師・可部屋桜井三郎左衛門直重の知遇を得、村下の辰蔵の下で学ぶ
・出雲を発ち、備中を経由し、一旦近江に向かう(妻女ゆきと合流のため)
・備中路の鞴峠付近で、老爺のたたらによる小規模製鉄を手伝う
・近江から江戸に出る。このとき、病弱な妻女ゆきと弟子正吉の三人旅となる。
・神田銀町の御用鍛冶才市(興里の叔父)を訪ねる。一時期、居候となる。
・神田紺屋町の刀鍛冶和泉守兼重の鍛冶場に住み込み刀鍛冶の修業を開始
  正吉と一緒にここで5年間、鍛刀の技法を学ぶ。何領か作刀する。
・承応3年(1654)9月 上野池之端にじぶんの鍛冶場を構える。
  ここは上野池之端は東叡山寛永寺の門前町の一角
  正吉に加え、新しく2人の弟子を雇う。大槌三挺掛けの体制ができる。
  鍛刀の試行錯誤が始まる。
・試刀家・山野加右衛門を訪ね、試刀を依頼する。
  「この刀は、怒っておる」「鍛えた鉄を殺してしもうた」と批評される。
  加右衛門が康継の刀で切りかかると、興里の刀が切れて飛ぶ。
・下谷三之輪村の永久寺にて、加右衛門により寛永寺大僧都圭海に引き合わされる。
 この時、法名を授けられることを願う。
・妻女ゆきの押さえにより、初めて銘切りをする。「長曽祢興里古鉄入道」
・太刀売町にて、自らが立ち、幡随院の長兵衛に無銘の刀を売る。
  「長曽祢興里」と銘切りした刀を無銘刀との交換に出向いた時は長兵衛の葬儀日
・南蛮鉄での鍛刀で試行錯誤をする。「以南蛮鉄長曽祢興里入道」と銘切り
・額田藩松平頼元(水戸光圀の弟)の江戸屋敷(小石川吹上)の新設鍛冶小屋にて
  屋敷内での鍛刀を行うことになる。弟子とともに住み込む。
・再び、上の池之端の鍛冶場での鍛刀に戻る。
・叔父・才市が捕縛される。訴人があったことによる。
  これには虎徹が間接的に関わっていることになる。このことが虎徹の転機にも。
・寛文4年(1664)重陽の節句 麻布の老中阿部忠秋下屋敷での御前試刀会
  将軍綱吉に日本一の刀鍛冶と賞賛される。 「乕徹入道興里」の銘切り刀
・虎徹65歳で没す

 大変興味深いのは、興里が、その時々の心境により、刀に刻む銘を変えていることである。ここには、興里の信念と精進の自己評価が現れているのだ。著者はその思いを描き込んでいく。

 単行本表紙の裏の見開きに、巻頭の側は、藤代松雄『名刀図鑑』からの引用、巻末側には、虎徹銘の変遷がまとめられている。これも資料として興味深い。

 最後に、本書から印象深い文章を引用させていただこう。

*よい鉄を選び、丹念に鍛える--。ただ、それだけのことなのだ。それだけのことに、この虎徹は命を賭けている。  p235
*髪の毛一本ちがえば、姿がちがうぞ。それを打ち出すのは、お前の手鎚しかない。p282
*ごまかさず、ごまかされず、本当のことを、見極めろ。
 じぶんにそう言い聞かせていた。看板にだまされていはいけない。見たまま、感じたままを信じて手を動かすのだ。  p316
*わたしは、名刀が見たいのではありません。あなたの毎日のすがたが見たいのです。・・・・・・刀は嘘はつきません。  p329
*刀は、人を殺める道具だ。しかし、ただ殺めるだけではない。刀を手にした男は、まず、刀を見つめ、そして考える。刀は、斬る前に、考える道具だ。 p383
*凜とした姿、閑かな鉄、大胆にして繊細な刃文。どれかがわずかに欠けてゆらいでもいかん。そのうえで、気高い品格がなくては、よい刀とはならぬ。  p384
*冴えた強い鉄こそ、おれの志だ。おれそのものだ。それ以外に、刀鍛冶が生きる意味などあるものか。(p405)
*お前の刀には、なによりも一心に鉄を鍛えんとする志が溢れておる。鍛冶として、人として、どこまでも真摯に生きんとする志が凝縮しておる。見上げた鍛冶の心よ。 p415
*ゆらいで、ふるえているんですね。鉄も、光も、池も、蓮も、風も、空も、音も匂いも、わたしの命も、みんなゆらいでふるえているんですね。 p443


ご一読ありがとうございます。

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本書に関連してネット検索した語句を一覧にしておきたい。

虎徹 :ウィキペディア
虎入道  新・日本名刀100選より

脇指 銘同作彫之長曽祢興里虎徹入道 :「文化遺産オンライン」
銘 長曽祢興里入道虎徹 最上作 大業物  財)日本美術刀剣保存協会
刀 銘 長曽祢興里入道乕徹 :「倉敷市」
脇指 長曽祢興里入道乕徹 :「つるぎの屋」
刀 銘:長曽祢興里入道乕徹 :「コレクション情報」
山野加右衛門三胴裁断の虎徹脇差 :「Mr、GL1500のログ」

孫六兼元 :ウィキペディア
備前長船兼光 :ウィキペディア
正宗   :ウィキペディア
堀川国広 :ウィキペディア
越前康継 :ウィキペディア
津田越前守助広 :ウィキペディア
刀工 水心子正秀 :「郷土の偉人」
水心子正秀:ウィキペディア

銘刀 長曽祢虎徹編  るろうに剣心より
 なかなか興味深くておもしろい記述です。シリーズ物になっています。
 
幡随院長兵衛 :ウィキペディア

業物について 山田流試し斬り  :「おさるの日本刀豆知識」

日本刀  友重 二つ胴切落 山野加右衛門永久 :「明倫産業」

たたらとは :「日立金属」
 ここの解説はわかりやすい。解説項目を列挙すると:
 たたらの由来、たたらのしくみ、たたら製鉄の方法、ケラ押し法、村下(むらげ)
 ズク押し法、たたらの生み出す鉄、玉鋼と日本刀 
 最後の項目が 日本刀
  さらに、「たたらの歴史」「ヤスキハガネとたたら」の項目も。
和鋼博物館 鉄の歴史ミュージアム のホームページ  島根県安来市

異説・たたら製鉄と日本刀 :「日本刀考」
日本刀の地鉄   :「日本刀考」
南蛮鉄・洋鉄考  :「日本刀考」

千種 たたらの里 :「たたらの里奥日野Blog」
日野郡のたたら  :「たたらの里 奥日野」

     インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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 以前に、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

雷神の筒』  集英社
『おれは清麿』 祥伝社
『黄金の太刀 刀剣商ちょうじ屋光三郎』 講談社
『まりしてん千代姫』 PHP
『信長死すべし』 角川書店
『銀の島』   朝日新聞出版
『役小角絵巻 神変』  中央公論社
『弾正の鷹』   祥伝社


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