山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

スクエアが良いのか開いた方が良いのか!?

2019-10-11 | ボウリング
 ボウリング教室では肩をファールラインと平行にと教えられているようです。いわゆるスクエアの投球フォームと言われているものです。私は教室などに通ったこともなく、全くのど素人かつ我流で健康ボウリングのクラブリーグに参加することとなりました。
 参加当初(第1節)のアベレージは110位でした。これではいかんということで、健康ボウリング参加者限定のレッスン会に参加するようになりました。
 そのレッスン会でインストラクターさんから、肩をファールラインと平行にするようにとか肩が下がらないようにと指摘されました。あるいは肩を回して振り回すようなスイングになっていると言われたこともありました。いわゆるドアスイングというやつです。
 これを修正していく内に少しずつアベレージも上がってきましたが、何となく違和感を覚えることもありました。重たいものを持ったら肩が下がるのは当たり前のことだし、ある程度上体を開かないとバックスイングは大きくできないし、身体を開けば利き目とスイング面を同一直線上に置けるようになるし、スクエアにすることにそんなにこだわる必要があるのかなと漠然と考えておりました。
 そしてYouTubeなどを見ると肩を開く投球フォームの方が多いように思われます。要は肩の下がり方が一定していなかったり、回ったりしなければいいんじゃないかなと勝手に考えて自分のフォームを変えてみました。
 すると何となく気楽にというか、スムーズに投げられるように感じました。スクエアにしよう、肩が下がらないようにしようと気持ちも力もそちらの方に行ってしまって、いろんなところが力んでいるかのようでした。今からすると無理やり型にはめ込むようなものだったように思います。

 ボウリング教室やレッスン会など多くの人達を少数の指導者が教える場合、どうしても統一したやり方というか基準が必要となります。そしてその基準は分かりやすく、かつ馴染みやすいものであることが重要です。それがスクエアな姿勢であろうかと考えます。ファールラインと平行にとか肩が下がらないようにといったことは見た目にも判断しやすい基準です。そして、一定年齢以上の者にとっては馴染みのある姿勢でもあるのです。

 一方、体を開く姿勢はそれこそ千差万別で、極論すればボウラー毎に異なるフォームがあるでしょう。したがって、集団で教えることに馴染まないのではないかと考えます。それと指導者もそれなりの技術レベルを要します。自身がスクエアで投げている指導者に体を開く投げ方を指導できるとは思えません。

 そんな試行錯誤が続いているとき出会ったのが以前ご紹介した「ベアボーンボウリング」です。この本で色々な問題を解決することができました。何か悩むようなことがあれば、この本のどこかに解決策や解決の糸口が得られます。まさに私にとってのバイブル的存在です。

 例えば、「ベアボーンボウリング」P21から引用―
 「どれくらい開くかについては特に基準はないが、ほとんどのプロがある程度は体を開いている。ボールを手に持つ選手なら、他のどんなスポーツであっても正確性を犠牲にすることなく最大のトルクを得るためにやっていることだ。現代ボウリングにおいても同じことが適用される」 ―引用終わり-

 あるいはこういったことも、「ベアボーンボウリング」P29から引用―
 「肩や体を開かない方がよっぽど楽だ。肩を開かないで成功を収めてきたプロは山ほどいる。君の年齢とスクエアな姿勢でボウリングをしてきた年数により、肩を開くことが合わない場合もある。時代に対応するために私自身もキャリアの後半からこれを学び始めたのだから、不可能なことではないが、人によっては会得するのに時間が掛かり過ぎる場合がある。この動きによってもたらされるのは、より速いボールスピードだけだ。しかし他の部分で改善できることはいくらでもある。」 ―引用終わり-

 これを読んでますます悩みが深まるかのようです。身体を開いて得られるものはボールスピードのみだとすれば、これまでの努力を捨ててまで取り組む必要があるのか?
 でもスクエアなフォームに違和感を感じているのも事実だし、それを取り払ったら快適に感じたことも事実です。だったら片一方だけやっていては、どちらが良いのか分からないではないか!
 ということは体を開くことをやってみて、自分がどちらが合うのか試してみるしかないと単純に考えたのです。それ以来、スクエアの呪縛から逃れ、試行錯誤しながら現在のフォームに至っております。
 そして、今でも試行錯誤の連続です。

 結局、どちらが良いのかという問題ではなく、どちらが自分の好みなのか、どちらが自分にフィットするのかといった問題なのだと思います。という他愛もない結論に到達したのです。