山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

省エネ屋のつぶやき(5)-出向編

2011-10-24 | 省エネ
 その後は、徐々に省エネ部門の売上も伸びつつあり、これからというときに、いきなり配転されることになってしまいました。

 それまでは、一応技術部に所属しつつも開発と技術営業の二足の草鞋を履いておりました。これからは100%営業といったことになった訳です。それも会社の主力商品である生産管理システムの販売も担当することになってしまいました。省エネで手一杯になのに他の製品まで手が廻るはずもないのは目に見えているのに。

 その背景には会社の業績不振がありました。折りしも不況の真っ最中、工場は安いコストを目指して海外へ続々と進出しており、市場は狭まる一方でした。これに対応するため営業部隊の増員を図ったのでした。集められたのは、技術や業務部門からの配転組、中途採用、新入社員と営業の素人ばかりで、営業とは名ばかりのにわか作りの部隊でありました。当然の如く新米営業マンの成績は低調を極めたことは言うを待たないことです。1年も経たない内に販社(子会社)への出向の話が持ち上がり、出向するか退職するかと言わんばかりの選択を迫られました。

 私は片道切符を承知の上で出向の道を選び、東京へ単身赴任しました。出向するに際して、販社の社長に省エネに特化した営業をさせてもらえることと営業のやり方を任せてくれることの条件を承諾してもらいました。この販社での生活は、結構充実していたと思います。ど素人の営業にもかわらず、そこそこの実績を残すことができました。

 しかし、1年も経たない内にこの販社も業績不振により、お取潰しの憂き目にあいました。出向組の内の数人は元の会社に戻りましたが、他は全員退職することになりました。

 この頃から、省エネが自分のライフワークであると自覚するようになり、ただ何とか省エネ製品は守りたいとの思いが強く、販社の社長が出資して省エネに特化したSF社を設立しました。しかし、またもや一大事が出来してしまいます。会社設立から半年程経過したときでしたか、元いた会社(省エネ機器の供給元)が倒産してしまったのであります。当時から危ないとの思いが強かったので、SF社で省エネ機器の版権そのものを買取ろうと努力はしていたのですが、どうしても手放してくれませんでした。仕方なく、供給契約を結んで直販や代理店のサポートを主業務としておりました。 丁度その日に代理店から受注の連絡が倒産の知らせと相前後してあり、大変な目に合ってしまいました。SF社としても存亡の危機に直面したのでありました。代理店に事情を説明し、工事予定を延期してもらうと共に情報の収集に努めました。メーカー在庫数量を確認し、破産管財人と買取交渉を進めました。しかし、製品の買取ができたとしても倒産会社の製品であることを承知で取扱ってくれるかどうか心配でなりませんでした。買取ってはみたものの売れないのでは、共倒れになってしまいます。長期に渡る交渉の末、何とか在庫品の買取には成功しました。代理店もSF社のことを信頼していただき、何とか導入させていただきました。

 しかし、在庫が無くなればジ・エンドです。何とか自社で製造する道を模索してみたものの、限りなく可能性が低いとの結論しか出ません。やむなく、在庫の終了をもって省エネ事業終息といった結末を迎えてしまったのであります。 省エネがライフワークとまで考えるようになっていた私ですが、導入先や代理店に多大なご迷惑をかけたわけですからキッパリと省エネ業界から身を引くことにし、SF社を退職致しました。

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注連縄作り

2011-10-24 | ブログ

 昨日は地区の鎮守「妙見神社」の注連縄作りに参加しました。神社の老朽化に伴う改築工事が終了し、10/30に落成式典が催される準備のためです。

 何時もなら長老の指揮の下で作業をしていたのですが、今回は長老が不在でみな不慣れなものばかりです。稲藁の準備までは順調に進んでいたのですが、いざ作り始めるとなると議論百出で、遅々として作業が進みません。論より証拠ということで、現物を観察し何とかそれらしきものが出来上がりました。

 私は午後から仕事が入っていたので、早めに引き上げてきたのですが、チャント飾りつけまで終了したとのことでした。

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