山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

TPPについて(3)-経営規模拡大で対抗できるか?

2011-10-22 | 農業

 TPP対策で、農業の経営規模を10倍にするという目標が議論されているようです。おそらく20~30ha程度の経営規模を目指しているのでしょうが、これ位の規模になったとしても、とてもではありませんが太刀打ちできないでしょう。何せ相手は飛行機を使って、田廻りするくらいの規模ですよ。

 ここはやはり日本農業の特色を活かすべきです。大規模経営は大規模経営の弱点があるはずです。そこを衝いてこそ日本農業の生き残る道があると思います。とは言うもののそれが何かは私にも分かりません。関係諸氏が一所懸命に考えていくしかないのでしょう。

 このことを少なくも政治家やお役人さん達が考えることではないような気がします。農業従事者は当然に我が身にふりかかってくることですから、それこそ生き残りをかけての真剣勝負となります。今まで日本農業を誘導してきた結果責任が問われることなく、あれこれと口出しすることは如何なものでしょう。充分に反省し、それなりの責任をとってこそ当事者の資格があるといえるのでないでしょうか。これはお役人さんばかりでなく、農協にもいえることでしょう。

<参考> 「TPPについて(17)-農業の経営規模拡大の行き着く果ては?」「TPPについて(20)-強いものが生き残るのか、生き残ったものが強いのか?


省エネ屋のつぶやき(3)-代理店開拓編

2011-10-22 | 省エネ
 いきなり業界の荒波の中に放り出された私は、為す術を知らず、ただただ無為の日々を送っておりました。資料請求先へ営業に行ったり、代理店募集広告の原稿を作成したりといったことをこなしていたに過ぎませんでした。

 そうしたある日突然、S社のA氏(専務)から電話がかかってきました。どこから聞き出したのか「新製品の説明をしに来い。丁度今日の3時過ぎが空いているから今すぐ出れば間に合うだろう」と強引に関西弁でねじ込まれました。否とも言えず、渋々指定のマンションの一室へ出かけたのでした。ドアをノックするなり「オゥ、入らんかい!」とドスの効いた声がそこら中に響き渡りました。恐る恐る中に入ると、そこには如何にもその筋みたいな顔つきの人物が現れ「ヨウ来たな。マァ、座らんかい!」とのたまうので、オズオズと名刺を差し出して初対面の挨拶を交わしたのでした。それがこの後、色々と関わりが出てくるA専務との運命的な出会いでした。

 「それで、おまえんとこの製品はどんなもんじゃい?」ということで、製品の特長をかいつまんで説明しました。「ホォー」とか何とか言って聞いてはいるが、このオッサン本当に解っているのか疑問に思いながらも説明を続けていると「一体いくらで売るつもりや?」、「そんなんで売れるか?」、「ワシらの儲けないやんか!」と散々の突っ込みが入ります。確かに、価格は高く、メリットは少なく、工事費も実績が無くいくら掛かるとは明確に言えずでは、売ろうにも売れない状況でした。そのことをズバリと指摘されて、そろそろ帰ろうかなと言うか帰りたいなと思っていると「この製品は面白い!」、「他に無いもん持っとる」、「売ったるから、仕切りをこれくらいにせいや!」といきなり価格交渉が始まりました。こちらとしては、S社がどんな会社かも知らないし、いきなり価格交渉されても困るので言を左右にしていると、痺れを切らしたのか「わかった明日、お前のところの社長に直談判に行く!」とのたまうので「それは、チョットー」としどろもどろに、しかも丁重にお断り申し上げ、その場を後にしたのでした。オー怖!省エネ業界恐るべし!

 その後一週間は平穏な日々が続きましたが、またぞろ例の関西弁で電話があり「今、XXホテルのロビーにいる。どうせ暇やろ、直ぐ出て来んかい!」とのご命令です。言われるがまま、しぶしぶホテルまで出かけたのです。ロビーでは、A専務とK部長が昼間から酒の臭いをプンプンさせながら私を待っていたのでした。「今まで韓国行っとった。K部長にお前のことを話したら、是非会いたい言うんで、呼んだんや。もういっぺん話しくれへん。」とのことで、再度説明に及んだ次第です。

 この時、A専務がとんでもないこと言い出したのです。「もっと安いデマコン作れへんか?、例えば10万円くらいで?」「台数をまとめていただければ可能性はあります。」「何台くらいや?」「最低100台くらいは、必要かと思います。」「ホナ、一千万くらいやな。わかったM社長に言うとくから、早速作ってや。」「チョット待ってください。当社としましては、正式に見積をして、注文書をいただかないことには・・・。」「わかった、わかった。」とトントン拍子に話は進み、新製品の開発は当社で行い、S社が初ロットのうち100台を引き取ることで正式見積を行い注文書をいただきました。 これが、マイクロデマンドコントローラー誕生の経緯です。この製品は、デマコンとしては国内最安値を達成し、爆発的(?)に売れた製品になっていったのです。とここまでは良かったのですが、後日この注文がとんでもない事態に発展してしまうのです。

 「マイクロデマンドコントローラ」は「エアコン省エネ王」の廉価バージョンとして開発したのですが、機能的には「エアコン省エネ王」の表示部が簡略化され、その部分をパソコンで行おうというもので、かえって使い勝手が良くなりました。

 それにしても「エアコン省エネ王」は、高かったと思います。資料が無いので記憶に頼りますが、定価で98万円ではなかったかと思います。それにエアコンの制御端末と工事費が掛かりますから、システムとしては結構な値段になってしまいます。 それでも、A専務はマイクロデマコンができるまで「つなぎで売ったるわ」とのことで営業活動をしてくれることになりました。1ヶ月程度後のことでしょうか、A専務から「決まったでー!」、「早速工事や」、「打ち合わせに出て来い」との電話がありました。さすがに私も受注第一号には、うれしさがこみ上げてきました。その後も月に1~2件のペースで受注が出てきました。これに触発されたのか、直販営業部隊も力が入り始めこれもボチボチと注文が取れるようになってきました。

 これで、「マイクロデマコン」が完成すれば「更に受注に拍車がかかることになるはず。」と誰もが予想していたと思います。


省エネ屋のつぶやき(4)-絶対絶命編」へ続く

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