女はスマホだけを見つめながら歩いて来る。周りの風景は何も目に入らない。頭の中は手の平に光る最小の神とリンクしている。
男は煙草だけに火をつけようとしながら歩いて行く。雛を守るように手をすぼめ風の勢いを封じる。視野は唇のように小さく尖っている。
互いの進路が重なっていることに気づくことができない。運悪く互いに避けられない相手が出会ってしまった。
近づく、近づく。
スマホ女と煙草男はぶつかった。
(シュッ)
火がついたのはスマホの方。
煙草はnoteに落ちて一編の詩になった。
スマホは赤く光って灰になった。
簡単に抜け出せはせぬお布団は一番あつい人生の友
簡単に別れはしないおばさまの出会いの中に犬一休み
簡単に押さえられない本町のメッシに当たる谷町のマヤ
簡単にときほぐせない靴紐が待ったをかける宇宙進出
簡単にはぐれはしないスライムに出くわす真に希有なる勇者
簡単に治りはしない関節が覚えたレントゲン室への道
簡単に倒せはしないラスボスの影をたずねて村々を行く
簡単に成就はしない恋愛と話せば長い昔の話
伝わらない喩え話なら犬にでもくれてやるわ。身近な喩え、お決まりの比喩を否定して、僕は犬を探して街に繰り出した。人懐っこそうな犬が脇見をすれば、ここぞとばかりに差し出した。夢のような話、うそのような話、取って付けたような話。犬は鼻を近づけて転がった話を嗅ぎ分けた。
「特に美味しいところはない」そのような顔をして、飼い主の足下へ帰って行く。喩えて言ったがために余計な捻れを帯びて相手に届いてしまう。私の中に育まれた海と青空とライオンと西瓜とナイフと紙屑のイメージは、私の向こうにいる人にとっては共に持てるところも持てないところもあるのです。青空に浮いたライオンが紙屑のナイフを西瓜に立てて海を眺めた時、私の中のライオンが飴玉を蒔くおばあさんのように輝いていても、私の向こうに伝わったライオンはクジラの歌に打たれて泣いていることがあるのです。伝わらない喩え話なら犬にでもっくれてやるわ。
私は招かれざる差出人となって道行く犬をたずねて歩くことになるのでした。三日三晩寝かせたような話、今入ってきたそよ風のような話、ガレージに住み着いたゾンビのような話。犬はくんくんと近づいて、安易につられないように、怪しい匂いを嗅ぎ分けているようでした。まるで葡萄畑を裸足で歩く10月のソムリエのように。まどろっこしいのはごめんだ。俺は喩えという奴が大嫌いだ。喩えてばかり語る奴はどこか信用が置けない。奴らは目の前にある現実を見ようとしない。
どこかにあるという架空の風景ばかりを持ち出して、俺を煙に巻こうとする。奴らは狐の使いじゃないか。俺は狐のつままれにはあいたくない。横道にばかり逸れて煩わしい。奴らの話は終わらない。伝わることも終わることも望んではいないからだ。むしろ、奴らは終わらないことを望んでいる。
闇の向こうから狐の影が大きくなって、つままれが支配し始めることを望んでいるのだ。俺はただ真っ直ぐ進みたい。たとえ伝わらないとしても、真っ直ぐ進んで当たって砕ける方を選ぶ。あらゆる喩え話は犬にでもくれてやる。
「犬にこそくれてやるわ」喩えて与えられる優しい犬を探して僕は街を歩いた。喩えられる限りのすべてを与えて、自らを単純化できたらいい。回りくどい話はもうおしまいだ。これからはストレートに生きていくんだ。
私のポケットの中の雨で濡れてしまったレシートは、付箋にもなりはしない。だから、私は日記の切れ端をライオンの尾で巻き取って雲の切れ間に投げ込むことにしたのです。そこに手が見えるのなら、きっと優しい犬のおかわりだから。
たこ焼きが差し入れられて、僕の取り分は4個だった。冷たくなったたこ焼きはすぐに口の中に溶けて消えた。本当は4個ではなく8個10個12個だって僕は食べたかった。たこ焼きがどこからともなく差し入れられて、私の元へ届いた時には、既に4個ほどになっていました。
誰もたこ焼きとは言わなかったが、小舟の中に佇む玉の様子を見れば、直感的に私たちはそれをたこ焼きと知ることができるのです。私はそれをぺろりと平らげてから、空っぽになった小舟を眺め何とも言えぬ郷愁を覚えたのでした。今はもういなくなった主人公の後に、仄かなソースの香りが残っています。次はもっと大勢で来ればいいのに……。
流れ着いたたこ焼きは僅かに4個だった。一目見ただけで、俺には時の経過が読めた。唇を近づけた時に恐れを感じるほどのたこ焼きが好きだ。無邪気に放り込んでは火傷する。「ふーふー」俺は必死で息を吹きかける。そんな仕草をずっと前に教わったことがある。「ふーふー」十分に吹きかけても、一口で食べるにはまだ危険すぎる。俺は慎重に距離を取ってたこ焼きを眺めている。その時は、俺の未来に見える最も近い目標だ。そんな熱いたこ焼きを俺は愛する。今日俺の前に現れた4個のたこ焼きはそうではなかった。躊躇う必要もなく俺はそれを次々と口の中に放り込んだ。(小腹が空いた)たこ焼きが俺の中に消えてすぐに、俺はそう思った。
僕のところへたどり着いた時、それは既に残り物だった。(残り物に福あり)その通りだ。実際にたこ焼きは冷めてしまった後でも美味しく食べることができた。4個だけの残り物は次々と僕の口に放り込まれて消えていった。本当はもっと8個10個14個18個24個32個でも食べたかった。一つの球はとても小さい。だからいくら増えても大丈夫。深夜の空腹が僕の胃袋を実際よりも大きく見せていた。港へたどり着いたたこ焼き舟は、私の元で最後の夜を迎えることになったようです。外はぱりっとしていて中には得体の知れない贈り物が詰まっている。
けれども、私は恐れを抱くことなく噛み砕くことができる。ようやく流れ着いた舟は信頼の置ける舟だからでした。小さくても、あるようでないようなほどの小ささだとしても、私の口の中にとどまり、まわり、消えていく、それはたこ。それはたこに違いないのでした。そして、舟は空っぽになり、仄かに海苔の香りだけを残していました。
今日の一口はあまりに小さく、未練ばかりを僕の中に作り出していた。含まれるたこの欠片は日々のように小さく自らの存在を思わせるには十分だった。そんな断片が血肉となっていくのだ。明日は一人でたこ焼きを買いに行こう!
「そして熱い内に!」そんな誓いが守られないことを誰よりも私は知っていました。そこになかった風景だけを愛してしまうこと。私たちの愚かな習性にすぎないと。
「現金の方がいい場合もあるで」
「はいどうぞ!」
「おい。お前さっきからきいてんのか?」
「はい?」
「答え方おかしいねん」
「はい?」
「はいちゃうねん! おかしいんちゃうか」
「と言いますと」
「と言いますとあるか、現金の方がええ時あるゆうねん」
「はいどうぞ!」
「それや! それがおかしいねん」
「はい?」
「何や噛み合ってないな。お前ちゃんときけ」
「はい」
「どういう態度やねん。なめてんのか」
「いえいえ」
「ちゃんときけ。客の言うこときけよ」
「はい」
「ええか」
「はい」
「現金の方がええ場合がある言うねん」
「はいどうぞ!」
「はいどうぞーあるかい。それをさっきから言うてんねんで」
「そうなんですね」
「何やそっちの都合か? そっちの都合でやってんのか」
「そうですね」
「そやろうが」
「まあ、そうですね」
「こっちは知らんやん」
「はい」
「こっちは現金の方がええねん」
「はいどうぞ!」
「なんやー、お前!」
的確なポジションに人はいてもすべての守備はざるのようだった。打ち返された打球は次々と内外野を抜けていった。歯止めのない大量失点。打者はベンチで休んでいる暇もない。生還するなりバッターボックスの前に列を作って待たねばならない。打たせて取るスタイルのピッチングでは、この循環を断ち切ることは不可能だ。打ち分ける必要もない。ただ前に飛ばすだけでいい。この狭い空間においては圧倒的に打者が優位に立っている。ダイヤモンドの角っこにある椅子にかけて帽子を深く被ったまま女は悠然としている。それがこのチームのオーナーである。
「私はチームを愛している」
「何しにきた?」
お前は夏男じゃねえか。
「個人的には夏っす」
私的な夏をひっさげて、男はやってきた。
「花火でもやりやがれ」
できねえ?
ちゃかちゃんちゃんちゃん♪
「人の集まりがないとできねえ?」
なんだこいつは一丁前のことを言いやがる。
「海でも開きやがれ」
「あっしの仕事ではないっす」
そりゃそうかい。
「ごめんよ。気を悪くしねえでくれ」
ちゃかちゃんちゃんちゃん♪
なんだいまだ怒ってんのかい。
夏男のくせにじめじめしやがって。
「かき氷でも食うか?」
いらねえって。
馬鹿野郎! 遠慮はいらねえよ。
この季節じゃああんたはお客さんなんだから。
もう帰る?
夏男ってのは話が早いね。
ちゃかちゃんちゃんちゃん♪
「帰るって足はあんのかい」
ならゆっくりしていきやがれ。
おいなんだ。震えてんのかい。
「さむい」
馬鹿野郎。夏男が寒がるもんじゃねえ。
夏男だから寒い?
何しにきやがった。
ちゃかちゃんちゃんちゃん♪
「今夜は風が強いね」
ん?
馬鹿野郎!
お前扇いでんじゃねか。
夏男は扇子が放せねえ?
ちゃかちゃんちゃんちゃん♪
「しょうがねえな。暖房入れてやるよ」