「何かあるの?」渡り廊下に寝そべりながら訊くと、「サーカス団が来るんだ」と答えた。「サインはした?」ここに居残っているにはサインしておかないといけないのだろうか。「あれは花見のアンケートだと思って」それだから、サインをしたのだったか、しなかったのか結局のところよくわからないのだ。アンケートは確か三回ほど回ってきたのだった。「まあいいんじゃない」と彼が言うからまあいてもいいのかもしれない。「サーカス?」こんなところでサーカスなんて。「これからだんだん人が集まってくるよ」
「サーカスが始まるよ!」崖の上のお兄さんとお姉さんが、右手を突き上げながら叫んでいる。高い高い崖の上からだけど、声は驚くほどよく通った。「世界一のサーカス団がやってくるよ!」お兄さんとお姉さんが崖の上で飛び跳ねるので、山も一緒になって伸び縮みしている。「みんなもお友達をつれてきてね!」お兄さんとお姉さんが叫ぶ度に、渡り廊下の興奮が高まった。寝そべって待っていた人も、徐々に立ち上がってお兄さんとお姉さんの方を見上げ、手を振っている。何人かの人が、お友達をつれに廊下を下りていった。
「駐車場はこっちです」けれども、もうほとんど駐車場はサーカスを見るために集まった車でぎっしりと埋まっていた。「折りたためるものは折りたたんでください」みんなそれぞれの工夫でなんとかして、車を納めようとしていた。みんなサーカスを見るために集まってきたお友達なのだから仲良くしなければならないからだった。「重ねられるものは重ねて置いてください」傷つかないように、タオルを敷いて、車の上に車を置いた。重ねる方も重ねられる方もそれなりに心配があって、三段重ねまでというのが暗黙のルールになっていた。「ちゃんと枠の中に止めてください」もう枠には余裕がなくなっているのは明らかだった。止めることはいいけれど、後で出すことは可能なのだろうか、みんなそのような止め方をしている。新しく来た友達に、僕はマジックを差し出した。「枠がない時は、自分で書き足してね」
「もうすぐサーカスが始まるよ!」お兄さんとお姉さんが飛び跳ねて、勢い余って崖から落ちてしまった。あっ、と渡り廊下の人々は叫ぶけれど、実は大丈夫で、すぐにお兄さんとお姉さんが元気な顔を現した。お兄さんとお姉さんは、一段下の場所に移っただけだった。「さあ、みんな! もうすぐサーカスが始まるよ!」
サーカス団は庭に舞い降りて、幾つもの手の中で大小様々なボールが飛び跳ねている。それは火のように水のように生き生きとして男の人の手から女の人の手から立ち上がり、空に向かって躍動している。音符のようにリズムを持ってそれは色とりどりの飴玉のように夜に向かってあふれ、絶え間ない運動の中で徐々に成長して天に向かうようだった。渡り廊下のみんなはうっとりとそのサーカスが作り出す生命体を見つめている。ある者はその一つに触れてみようとして手を伸ばした。決して触れることのできない別世界に。それは湯気のように男の子の手から立ち上がり、泉のように女の子の手から湧き上がり際限のない空へ向かってゆく。サーカス団の手の平は永遠の雨を作り出す無限の雲のようだった。無数のジャグリングの中で、ゆっくりとその一団は移動を始めていた。そして、人々は今までその巨大さにも関わらず、それが空を降りてくる気配に気づかなかったが、今それは、目の前に巨大な姿を現したのだ。
人々の注視の中、ボールはついにサーカス団の手を離れて大きく開かれたクジラの口の中に、吸い込まれてゆく。クジラの目が瞬き、体全体がこの上なく美しく母のように優しく色づいてゆくのがわかる。最後の一つを、呑み込んだ時、クジラは新しい星を生むのだ。今は、誰もが美しいボールの躍動と艶やかなクジラの両方に目を配っていた。その時、男の子の手から離れたボールの一つが軌道を誤って、夜の向こう側へと消えた。その行く末を、誰一人見届けることはなかったけれど、待ち受けていたクジラの様子で人々はそれを知っていた。クジラはしばらく当惑したような表情を浮かべていた。渡り廊下がざわざわとし始めた頃、ようやくクジラは目を伏せてため息をついた。少ししてから、風がやってきた。
「サーカスが始まるよ!」崖の上のお兄さんとお姉さんが、右手を突き上げながら叫んでいる。高い高い崖の上からだけど、声は驚くほどよく通った。「世界一のサーカス団がやってくるよ!」お兄さんとお姉さんが崖の上で飛び跳ねるので、山も一緒になって伸び縮みしている。「みんなもお友達をつれてきてね!」お兄さんとお姉さんが叫ぶ度に、渡り廊下の興奮が高まった。寝そべって待っていた人も、徐々に立ち上がってお兄さんとお姉さんの方を見上げ、手を振っている。何人かの人が、お友達をつれに廊下を下りていった。
「駐車場はこっちです」けれども、もうほとんど駐車場はサーカスを見るために集まった車でぎっしりと埋まっていた。「折りたためるものは折りたたんでください」みんなそれぞれの工夫でなんとかして、車を納めようとしていた。みんなサーカスを見るために集まってきたお友達なのだから仲良くしなければならないからだった。「重ねられるものは重ねて置いてください」傷つかないように、タオルを敷いて、車の上に車を置いた。重ねる方も重ねられる方もそれなりに心配があって、三段重ねまでというのが暗黙のルールになっていた。「ちゃんと枠の中に止めてください」もう枠には余裕がなくなっているのは明らかだった。止めることはいいけれど、後で出すことは可能なのだろうか、みんなそのような止め方をしている。新しく来た友達に、僕はマジックを差し出した。「枠がない時は、自分で書き足してね」
「もうすぐサーカスが始まるよ!」お兄さんとお姉さんが飛び跳ねて、勢い余って崖から落ちてしまった。あっ、と渡り廊下の人々は叫ぶけれど、実は大丈夫で、すぐにお兄さんとお姉さんが元気な顔を現した。お兄さんとお姉さんは、一段下の場所に移っただけだった。「さあ、みんな! もうすぐサーカスが始まるよ!」
サーカス団は庭に舞い降りて、幾つもの手の中で大小様々なボールが飛び跳ねている。それは火のように水のように生き生きとして男の人の手から女の人の手から立ち上がり、空に向かって躍動している。音符のようにリズムを持ってそれは色とりどりの飴玉のように夜に向かってあふれ、絶え間ない運動の中で徐々に成長して天に向かうようだった。渡り廊下のみんなはうっとりとそのサーカスが作り出す生命体を見つめている。ある者はその一つに触れてみようとして手を伸ばした。決して触れることのできない別世界に。それは湯気のように男の子の手から立ち上がり、泉のように女の子の手から湧き上がり際限のない空へ向かってゆく。サーカス団の手の平は永遠の雨を作り出す無限の雲のようだった。無数のジャグリングの中で、ゆっくりとその一団は移動を始めていた。そして、人々は今までその巨大さにも関わらず、それが空を降りてくる気配に気づかなかったが、今それは、目の前に巨大な姿を現したのだ。
人々の注視の中、ボールはついにサーカス団の手を離れて大きく開かれたクジラの口の中に、吸い込まれてゆく。クジラの目が瞬き、体全体がこの上なく美しく母のように優しく色づいてゆくのがわかる。最後の一つを、呑み込んだ時、クジラは新しい星を生むのだ。今は、誰もが美しいボールの躍動と艶やかなクジラの両方に目を配っていた。その時、男の子の手から離れたボールの一つが軌道を誤って、夜の向こう側へと消えた。その行く末を、誰一人見届けることはなかったけれど、待ち受けていたクジラの様子で人々はそれを知っていた。クジラはしばらく当惑したような表情を浮かべていた。渡り廊下がざわざわとし始めた頃、ようやくクジラは目を伏せてため息をついた。少ししてから、風がやってきた。