眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

文化遺産と猫と髭

2014-04-28 19:40:10 | 夢追い
 あなたの家の落書きは素晴らしいからぜひ文化遺産に登録させてくださいと手紙が届いた。どこでも見たことがなく、この上なく素晴らしい上に、登録料は200万円必要だから今すぐ納めてこれからもますますの発展を期待しているという話の流れに従って、僕はありったけの落葉を拾い集めて回るとそれを金銭的なものに見立てて、文化遺産の仲間入りを果たすのだった。
「世界中からたくさんの人々がすぐに訪れるでしょう」
 おごることなく自分の足で歩き、もっともっとよい絵を描きたいと高いところに上って、絵になるソフトを集めて回った。人間1人が辛うじて歩けるような細長いビルの天辺の端っこにソフトは山積みにして置いてあった。1つまた1つとそれらを入手する度に、自分のレベルが上がっていくのだ。地上を見下ろすと、自分が思っていたのと比べてほんの少しだけ高かった。
(こんなに高いところまで来てしまったのか)
 もう少しだけ低いところなら飛んだことがある。けれども、この高さは……。ほんの少しだけど、それは命に関わる差のような気がする。そして、見返す度にその距離は開いていくようでもあり、ほんの少しという感覚がとんでもない思い違いのような気がしてくるとついに脚が震え始めた。飛び降りることも、引き返すことも恐ろしく、この場に留まっていることもより一層恐ろしい。誰かが気づいて助けに来てくれるなんて可能性は皆無なのだから。膝を手で押さえているとついに地上がパレットに溶け出した絵の具のように揺らぎ始めた。

(落ちる)

 絵になるソフトを慌てて鞄の中に詰めた。その時、目の前に架空の軸が現れ、僕はその先端を掴んだ。落下ではなく、軸に沿って山なりになって、宙を伝った。思えばそれは跳躍の始まりだった。ぽろぽろとソフトが零れる。半分は駄目になってしまうけれど、自分自身は反対側のビルの上まで乗り移ることができた。これならば、自力で下りることができる。頼れる経験が自分の中に蘇ってきた。下りたところは、ちょうど荷物の搬入が行なわれている時で、ごく自然な流れで僕は業者から納品書を受け取ってサインをした。受け取らなければ、怪しい人物になってしまうから仕方がない。受け取ってすぐにその場を離れるのも怪しいので、しばらく台車から品を下ろして、検品の作業を行なった。今までの経験から、自然な動作で作業に当たることができたのだと思う。店の中の従業員と硝子越しに目が合ったが、特に相手の表情は変わらない。1人1人の顔までは覚えていないのだろう。

「世界中からたくさんの人々が訪れるでしょう」
 確かな日の訪れを信じて家の落書きを日々更新した。街中を駆け回って、未知のソフトを寄せ集めては誰にも見つからない屋根の上、屋上の上に隠した。あの日の経験があってから、もうどんな高いところでも恐れることはなくなった。もう、落下の心配はなくなり、その時になれば現れる架空の軸のおかげで、あるのはただ上昇と跳躍だけだった。文化遺産にまで上り詰めた僕を、止められる者など誰もいない。集めて、隠して、学んで、描き続ける。そして、世界中から……。
「待て!」
 真っ赤に輝く屋根の上にソフトを隠し終えたところで、誰かが言った。誰が待つか。待てと言われて待つほど、僕はもう若くも愚かでもなくなったんだ。同業者が、こんなところで徘徊しているのかもしれない。もっと高いところにした方が、安全かもしれない。
 もう1度、最初の細長いビルの場所に戻った。あの時に感じていた高さが今ではもうまるでうそのように思える。
「踏み台を使われますか?」
 女性店員が親切な提案をしてくれるが、今となっては余計なお世話でしかなかった。かえって難しくなってしまうから。そう言って断って天辺まで行くと、取り残しのソフトを回収して高飛びした。

「世界中から毎日のように訪れるでしょう」
 パニックになっても慌てないように心がけながら、毎日のように家の落書きを更新し続けているが、まだそういった兆候は見つからない。時々、近所の小学生がやってきては、文化遺産の隣に猫を描いたり、髭を付け足したりして去って行く。その子は将来、世間を驚かせるような大物になるだろう。現状に満足することなく、更なるインスピレーションを求めて、僕はまたソフト集めの旅に出る。
(きっと世界の反応は少し遅れてやってくるのだろう)
 手に入れたソフトを誰にも見つからないような場所、この辺りでは1番高く、どんな鳥も怪獣も届かないような天辺に隠し置いた。
「おい!」
 聞き覚えのある声だ。天辺の端っこに手が見えている。すぐ近くまで行って、手を吹いた。吹いても、吹いても落ちなかった。風に屈しない強い執念でしがみついている。触れたくはない。けれども、触れなければこちらが逆に捕まって押しつぶされてしまうかもしれない。意を決して踏みつけた。踏みつけても、踏みつけても、落ちなかった。失意の中を近づいて、手の先を覗き込んだ。ああ、とてもかなわない……。
 顔の見えない男が、突き刺すような眼差しを天に向けていた。


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