疲れていたこともあって自分の場所が不確かになっていた。ここかもしれない。何となく手をかけると扉が開いた。ここだったか……。確かに荷物が入っていた。だが、何かおかしい。何度見ても自分のものではないのだ。触れてはいけない。閉めなければまずい。鍵が開いたままなのもよくない。僕は半ば反射的にロッカーを閉めた。(その時、余計なダイヤル操作をしてしまったのだろう)
しばらくして、仕事を終えた従業員が戻ってきた。ちょうど先ほどのロッカーを開けようとして頭を抱えた。いつもの数字では開かないようだ。僕は事情を説明した。つい先ほどは開いていたのだ。彼は自分が鍵をかけ忘れたことに思い当たり愕然とした。
しかし、僕に全く責任はないのだろうか? 僕のしたことは、開いているロッカーにロックをかけたことだ。その際、ダイヤル式ロッカーでは、ロックする瞬間の数字を当事者が記憶しておかなければならないが、僕は何も思わなかったのだ。人の荷物を開かずの扉の奥に封じ込めたとも言えるのではないか。(誰がロッカーを使用しているのだろう。従業員ならもうすぐ戻ってくるのではないか。そうしたことを何も考えられなかったのは、想像力の欠如とも言える)
当然、僕は謝った。けれども、彼は少しも僕を責めなかった。ロックをし忘れた自分の責任だという姿勢を貫いていた。もしも、逆の立場だとして自分は同じようにいられるだろうか。あるいは、彼にしても内心「余計なことをしてくれるなよ」と思っていたかもしれない。全くそういう感じを出さないところは大人だった。もう随分と昔の話、今では苦い記憶だ。
・
苦い飲み物を求めて、カフェに足を運んだ。苦さはしばし時間を止める。過去を振り返り、心を整え、再び前に進むための停滞。
「ごゆっくりどうぞ」
その言葉にうそはない。いつから苦さを好むようになったのだろう。
ワードプロセッサやパーソナルコンピュータの普及に伴い、多くの文具が活躍の場をなくしていった。広いカフェの中を見渡しても、多くのガジェットがカチカチと音を立てながら活動しているのが見える。文具は死んだのか? そうではあるまい。
コーヒーを混ぜていたマドラーは消えて、いつの間にか僕の右手にはボールペンが握られていた。ぺんてるのエナージェル0.7だ。ペンとノートは環境に左右されにくい。例えば、電源もWi-Fiもなくても、ハンカチ1枚分のスペースさえあれば、自由に動ける。ペン先についたボールをドリブルしながらどこまで行けるか。障壁となるのは、時の空気、権力、種々の規制、睡魔、空腹、情熱の期限といったものだろうか。近代的なガジェットが生まれる遙か前より、その文具は存在していた。小さくて、力強く、素晴らしい文具!
本体に内蔵されたインクは、ペンの命と言える。もしも、世界が一夜と設定されるなら、ほぼ無限に書き続けられることだろう。現実はどうだろう? インクか、アイデアか、情熱か……。何かが先に尽き、到達できる場所も限られる。物書きたちの絶え間ない競り合いが続いていることだろう。きっとこの広いカフェのどこかでも。
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屋根から飛び下りたまではよかったが、見上げるとそこはもう飛び上がれるような高さではない。では地上はどうか。見下ろしてみれば、そこもまた飛び下りるには躊躇われるような距離だ。そうして猫はいかにも中途半端な柱の上で置物のようになっていた。ちょうど駅の階段から下りてきた男が、置物の存在に気がついた。どれくらい前からそうなっているのかは知る由もないが、躊躇いを察するように柱の下で足を止めた。男は何やら猫に語りかけた。そして地上から大きく両腕を広げて見せた。
「どうしろと言うの?」
猫は声には出さず、男の仕草に対して訴えかけた。男の唇が微かに動く。けれども、猫はずっと当惑した瞳を向けたまま動かなかった。男はやがてあきらめたように腕を下ろすとそのまま去って行った。どうやらそれは大きなお世話だったようだ。躊躇いの中に浸かっているだけで、意を決しさえすれば、できることは約束されている。その時、猫はまだ自分の能力のすべてを知らずにいた。
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