「離さないでね」
まだ一人で歩くことは不安だった。
「大丈夫。支えている」
父の手が背中に触れているので安心だった。ゆっくりと一歩一歩僕は前に進む。長い脚の先がコツコツと地面を叩く音。地上を見下ろせば恐怖が増すので、なるべく先の方に目を向けるように努めた。
「いる?」
「ああ、いるよ。後ろは大丈夫だから」
最も恐ろしいのは常に視界のない背後、そこに父がいると思えると心強かった。
「いる?」
「いるよ」
けれども、だんだんと声が小さくなっていく。確かめたいけれど、振り返って見ることはできない。恐ろしくて、前へ前へと逃げるように進んで行った。どこまで行っても、完全に自立して歩けているという確信は持てなかった。
「いるの?」
(いるよ)
その声はもはや自分の脳内で作り出されているようにも思えた。
それからしばらく確かめることをやめた。ある日、躓きかけた時に偶然できたバックステップが小さな自信になった。遠い距離にある竹の先が、徐々に自分の身体の一部であるような感覚に変わっていった。
もう父の支えは必要なかった。
「いるか?」
「いるよ」
久しぶりに父からラインが来た。
もう遠く離れてしまったけど、父は元気なようだ。
「今は下りてこない方がいい」
「そうなの」
「緊急事態だ」
地上は色々と厄介なことになっているらしい。
僕はもう少しこのまま宙を旅することに決めた。
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