テーブルに足の指をぶつけた。
ぶつかった瞬間、とてつもない衝撃に襲われたが、傍に誰もいなかったために痛みを口に出して叫ぶようなことはせず、ただじっとがまんするように努めながらも、よそ見してた、考え事して疲れてた、寝ぼけてた、様々な原因分析をしながら、要するに部屋が狭すぎるとか、いいわけめいたことはいくらでも考えつくわけだったが、ただそこにあっただけのテーブルを責めるのは筋違いで、わるいのは自分なのだと自ら納得させながら、「折れてなければいい」と願っていたのは三日前のことで、黒ずんだ薬指もじっとしていればどうということもないが、靴を履くと明らかに違和感があり家を出て歩き始めるといつもの半分ほどの速さでしか歩けないことにもどかしくなり、階段を下りるときは踵から踏み出すことで痛みから逃れていたが、地下道を抜ける時には骨付きの傘が捨てられているのを目にし、夏休みも折り返しに入った街はどんよりと曇って猛暑という言葉から抜け出しつつあるあるようで、ウエルシアの側を歩きすぎる頃に僕は「親指シフトウォーキング」という歩行手法を見つけつつあったということは事実だ。
いずれにしろ折れていないようで折れているということは過去にも経験したことであり、それがしっかりとわかるのはレントゲン室を出たあとになるのだと思う。