玄関の照明が数年前に切れてそれっきりになっていた。記憶を頼りに靴を履いた。だいたいはそれで上手くいくのだ。エレベーターで下を向いた時、左右が大きく違っていることに気がついた。左は黒のナイキ、右はネイビーのリーボックではないか。そいうファッションもなくはないが、簡単に受け入れるには心の準備が足りず、とても履き通す意志を持つことはできなかった。1階まで下りると、僕は再度部屋まで戻ることにした。
「戻れるだろうか……」
(間に合うだろうか)
いつも漠然とした不安と一緒に、書き出して途中の断片をいくつも抱え込んでいる。いつかペンを置いたところから、再び続けることは可能だろうか。あまりに時を置きすぎたものは、何も思い出せなくなっていることもある。あるいは、言い掛けたことはわかっても、核となるべき熱量が失われてもう進めなくなっていることもある。
もしも「日記」だったら、書き始めた勢いのままに、当然の如く書き切るだろう。日記ではないから、今日である必然性がないのだ。
「きっと戻れるだろう」
(また思い立つだろう)
そうして途切れさせてしまう断片が、不安とともに積み上げられていく。振り返っては、自分の無力さを思わずにいられない。
・
「先にお席をお取りください!」
人気のカフェでは、席を取るにも一苦労いる。ランチタイムやおやつタイムでは、一層競争が厳しくなる。カウンターを見て、奥の2人席を見て、真ん中のコの字型カウンターを見る。コの字の部分には、6席が存在するはずだ。しかし、実際のところ、東側の席を使用するのは激ムズだ。すぐ側のテーブル席の椅子との隙間が3センチしかなく、時には接触していることもあるのだ。(今までのところそこに人がかけているのを見たことがない)
「先にお席の確保をお願いします!」
確かにあそこも空いている、ようには見える。けれども、椅子があっても引けない椅子だ。まるで絵に描かれた月のようだ。そこにあっても確保は困難。つまりは無理ゲーだ。
(そこに見えてもたどり着けない)
以前、奈良のフットサル・コートに行った時のことを思い出した。施設は天空のような場所にあり、車道からは行けそうだが、地上から歩いて行く道が見つからずに、店に電話したのだった。確かあの時は、地下トンネルのようなところを潜って、民家の畑を通り抜けて、犬に吠えられながらもなんとかたどり着いたのだった。高いところでボールを蹴るのは気分がよくて、どこか別の惑星にきたような感じでもあった。
3センチの隙間でも、接触していても、強引に身を乗り出して確保を試みれば、実際には座れるのかもしれない。テーブル席の人も、チャレンジに気づいてスペースを作ってくれるかもしれない。仮に着席に成功したとして、今度は無事に脱出できるかという問題は残る。それはまたもう1つのゲームである。どうしてもそこしか「空席」がないという機会があったら、いつかチャレンジしてみようと思う。
・
2つ隣の席に男たちがかけていた。
商談を終えた2人といった感じだ。
「おいくつなんですか?」
「いくつに見える?」
「……。65くらいですか?」
「……」
男はすぐには答えない。意味ありげな間を取ってから、両手を広げる。
「10上や」
「えっ?」
「それより10上や」
「えーっ! とてもそのようには見えませんよ」
どこかで見たようなやりとりだと思った。きっとどこかで見たのだろう。「いくつに見える?」その問いに(若く見られたい)という願望が含まれているとしたら……。相手はピタリと当てようとするだろうか? それはあまりにもギャンブルだ。そう親しくなくなければ、あるいは商売絡みならば、尚更のこと。恐らくは、自分が思ったよりも10くらい上に言ってみるのが、無難なところだろう。だとしたら、このやりとりのすべては予定調和みたいなものかもしれない。こんにちは、おつかれさまくらいのものだ。人はどうして若く見られたいのだろうか? 若く見られるとうれしいのだろうか? それはお手柄なのだろうか。
企業の採用欄などに「年齢不問」などとある。そうしておきながら一方では堂々と生年月日をはじめ根ほり葉ほりとたずねてくる。そこに矛盾はないのだろうか。