自由の森日記

埼玉県飯能市にある自由の森学園の日常を校長をはじめ教員たちが紹介

生徒と駅前でティッシュ配り

2006年10月18日 | 自由の森のこんなこと


 自由の森は短い秋休みの最後の1日、午後から飯能駅前で「未成年喫煙防止キャンペーン」が行われ、生徒のみんなと参加してきました。


 この企画、実は市内の高校生たちにの参加でだいぶ前から行われていたらしいのですが、自由の森が参加したのは今回が初めてです。どうやら、主催団体の方で遠慮していたようです。

 ところが、今年度の準備会合に明和堂(本屋さん)のご主人、新井さんが参加したところ、自由の森が加わっていないのに気付いたのです。新井さんははじめから呼びかけないのはおかしいと主張して下さいました。後日、代表の方を連れて校長室にやってきました。



新井さんは自由の森学園の創立の時から飯能の住民の立場で応援して下さっている方です。20周年の記念行事でお話して下さった方ですから、覚えている人もいると思います。



 学校は秋休みですから今回は寮生に呼びかけ、13人の生徒が参加してくれました。中学生もいます。午後1時半から飯能高校の生徒たちと南口北口に別れてチラシの入ったティッシュを配りました。


 はじめはちょっとためらいがちだったけれども、調子が上がってくるとあっという間に渡された袋をカラにしてしまいます。なかには、バス停で待っている人に次々に渡す人、タクシーの運転手さんにも渡していました。


 ハンドマイクを渡された女子寮生は与えられた文章だけではなくこう訴えていました。「未成年の喫煙問題は未成年だけの問題ではなく社会的な問題だと思います」

おにざわ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校説明会がはじまる

2006年10月16日 | 自由の森のこんなこと
今年度第一回目の学校説明会がありました。


誰も来なかったらどうしようなどと心配しながらその日を迎えるのですが、今回は音楽ホールにいっぱいの参加者がありました。ここ数年では一番多かったようです。

僕からは、競争万能の教育がもたらすもの、自由の森学園での学びの特徴について話しました。ちょっと早口になったかもしれません。小学生には難しかったと思います。


スライドを交えた学校の説明の後、美術科の田上さんが作品を紹介しながら美術の授業について紹介しました。


自由の森学園の説明会では生徒が生徒の視点から自由の森を語ります。今回は高2のSくんと高3のTさん…。

S君は公立中学校から編入した思いや、今菜の花から油を採りバイオ燃料をつくる取り組みに参加していること、


Tさんはアイヌ民族に関心をもち、この夏1人で北海道を旅して考えたことが語られました。自分で何かをしようと思わないと得られるものがないというメッセージは共通していたと思います。



終了後の学校見学の途中、中庭ではぶち合わせ太鼓が披露されました。中1の生徒が何人も参加していたのはちょっと驚きです。


28日にはオープンスクールがあります。たくさんの人に参加していただけるとうれしいです。

おにざわ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「評価表」のスタイルを変更しました

2006年10月12日 | 自由の森のこんなこと
 前期の授業が終了しました。
 6日から生徒は自宅学習。教師は評価表の記入を行う時間です。
 担任している教師は多いと200名分の「評価表」を書くことになります。おそらく教師が一番文章を書く時間ではないかと思います。昨日は深夜まで学校の電気がついていました。表情に疲れが表れています。

 点数序列を排した教育をもっとも具体的に表わしたものが自由の森の「学習の記録」、通称評価表だと思います。「評価」って、数字とか順位とかと勘違いされやすいのですが、大事なのは到達や課題を明らかにして励ますことではないかと思うのです。
 自由の森では、作品やレポート、授業での取り組みをもとに、生徒一人ひとりに担当教師が文章でメッセージを伝えます。誰かと比べるのではなく、一人ひとりを大事にしたいという考え方があるからです。

 今回の評価表から22年間続いてきた形式を変更することにしました。僕は直接知らなかったのですが、これまでのものは明星学園のものと同じだったようです。B5サイズをA4に、ひも綴じをリングファイルに変更しました。見やすさ、保存性をたかめ、
より大切なものということを形にしたいと考えました。



おにざわ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グレート・ジャーニーから得た言葉

2006年10月05日 | 自由の森のこんなこと
 今週は文化人類学週間です。と言っても、たまたま二つの企画が重なっただけなのですが。

 一昨日のパプア・ニューギニアの舞踊に続いて、人類の気の遠くなる年月をかけた旅を逆に歩いた、グレート・ジャーニーの関野吉晴さんの話を聞きました。


 廊下でご挨拶した時、正直言って予想外の人物で驚きました。もっと野生的でゴツイ感じの人物だと思っていました。しかし、この人があのグレートジャーニーの男かと思うほど、「普通の」方でした(失礼)。もちろん風貌が、ですが。講演での話しぶりも、何かを自慢げに語るのでもなく、一つ一つの場面をていねいに話しかけるようで3時間があっという間でした。


 「今、月がどういう形かわかる人はいますか?」


 という問いかけにまず、ドキッとさせられます。会場の300人程の参加者のほとんどが意識せずに生きています。現代の日本では月の満ち欠けは生活に無関係。月明かりをたよりにすることはほとんどありません。


 「私たちのまわりから人工物を取り払っても生きていくことはできるが、自然を失って生きていくことはできない」



 「私たちは大地に生かされている」



 一見あたりまえのようだけれども、彼の旅の経験から湧き出した言葉がとても説得力を持って受け入れられます。



 後半は、医者としての関野さんならではの話が展開されます。
「モンゴルの人々が野菜がなくても生きていけるのは、馬乳酒の微生物の助けがあるから」
「地球上で集めて最も重い生物は微生物なんです」

「ラッキーとハッピーは違う。ラッキーを手に入れられても、ハッピーにはなれない」」
「5000日旅をしてわかったことはそんなことなのかと言われそうだが、家族とともに暮らせること、思ったことを言えること、好きな仕事に就けること、行きたい所にいけること、あたりまえの事を自分の生きているところで守ることが大事」

でも、やっぱり時間をかけて得た言葉だと思います。


おにざわ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パプア・ニューギニアの歌と踊り

2006年10月03日 | 自由の森のこんなこと


JIMORI&PNGエクスチェンジプログラム

 パプア・ニューギニアという国。


 子どものころ、独立して国名を記憶した以来、ほとんど僕の世界認識にのぼることのなかった地域から6名の舞踊団が自由の森学園にやってきた。アジア・太平洋戦争の舞台となった地域で、今日塩瀬さんからお祖父さんがニューギニア戦の数少ない生き残りだった
ことを知らされた。


 人口は埼玉県より少ないにもかかわらず、言語は700とか800あるらしい。飯能から名栗に行ったら言葉が通じないという感じだろうか。


 おそらくこの国の人々が自由の森学園にやってくるのは初めてだ。どんな芸能をもっているのか、それを生徒のみんなはどう迎えるのか、興味があって音楽ホールに行ってみた。

 今回は、彼らと自由の森の生徒たちの郷土芸能、中国舞踊の双方を見せ合うという企画。




 彼らのはじめの演目はパプア・ニューギニア国歌。何と英語だった。日常的な言語は英語だという。その後、次々と披露される踊りと歌は、日本の太鼓とはまた違ったド迫力。細い筒にヘビ革(?)を張った太鼓の低くて単調なビートで土を踏み鳴らす歌と踊り。はじめは一番前に座っていた高3のS君は、その迫力に圧倒されて後ろに下がってきた。マジスゲー。



 一方、最後のお別れの歌は、文化の違いを超えて何か染みるものがあった。

 忙しい来日日程のなか、訪問してくれた彼らに感謝。



おにざわ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする