自由の森日記

埼玉県飯能市にある自由の森学園の日常を校長をはじめ教員たちが紹介

こんな中学卒業式でした

2005年03月21日 | 自由の森のこんなこと
中学の校長になって一つ、一番嬉しい事があります。それは卒業式の時に1人1人の名前を読んで、一番身近に、みんなの顔をみなが卒業証書を手渡す事ができることです。恥ずかしそうにする人、感極まって泣き出す人、しっかりと無言で三年間の思いを噛み締めている人、ここぞとばかりに自分のパフォーマンスを披露する人など様々です。しかし、そんな卒業式なのにみんなが必ず行う事があります。

それは、1人1人の名前を読んだ後に、会場から拍手があがるだけということではなく、同じ仲間の卒業生達が「○○君、(○○さん)、がんばれ!、おめでとう!」という力強い優しい言葉が飛び交う事です。

そういう状況のなかでの卒業式ですから、まず、私から卒業証書をもらうまえに、仲間の卒業生達に深々と御礼をするものや、カメラで自分と同じ場にすわっていた仲間達を撮る事も多くみられのす。校長から卒業証書をもらうことも大切ですが、そこにいたるまでの仲間達への優しい感謝と配慮の姿がそこにはあるわけです。

 ある卒業生は「卒業証書をもらうまえに、みんなから自分の名前を呼ばれて、がんばれっていわれて・・・そのことが、ああ、自分はみんなから認めてもらっているんだという実感が強くなって泣けてきました」と語りました。私は、そういう卒業式が日本のほかのどこでおこなわれているだろうかと、その時、思いました。

 小学校の娘の卒業式は式の何週間も前から、名前をよばれたらまっすぐに胸をはり、左足から踏み出して、演壇の正面に立ち、深々と例をして、今度は右手を出して校長先生から証書をもらった後、また深々と御礼をしてから証書を右手のわきにはさんで、左足からもとの席に戻るという事をなんども練習させられています。形式や形を軽視しろとはもちろん思いませんが、もっと、こども達の感謝の気持ちや仲間達への共に支えあい喜びあう卒業式があってもいいのではないかと思われます。

それぞれのクラスの名前を読み終わると、クラス全員が正面に集まり、お世話になった担任や副担任の名前を呼び、
自分達のお金をだしあった心のこもった贈り物をします。花束や色紙のほかに寝る間も惜しんで毎日こども達を励ましつづけた担任には安眠枕や、担任と良く似ている巨大くまの人形をプレゼントしたりする姿がそこにはありました。いかに担任集団達が苦労してひとり1人のこども達とじっくりと面談をくり返し、1人1人を大切にしながらもクラス集団を作り上げてきたかを思うと胸が熱くなりました。卒業式前日に生徒達が作り上げた中学卒業発表会にはこんな文章がありました。

「学習発表会とは1年間の授業で学んだ事を振り返り、自分達なりにまとめ、発表しあう場です。今まで学んできた事やこれからどういう事を学ぶのかを見られる場でもあります。そして舞台も展示も共通して「自分達の学びを共有する」というのを大事にすすめています」

この文章に示されていた通り、特に中学3年生の発表と展示はすばらしいものがありました。

 高校生になっても、これからも辛い事、面倒臭い事、どうしようもなく嫌になる事があるでしょう。その時に、どうかこの卒業生達がつくりあげてきたこの3年間のお互いに対しての友情や信頼、希望を忘れないで欲しいと思いました。
これからの社会へ希望と自由の森学園の教育の正しさを私にあらためて教えてくれた いい卒業式でした。

私も泣いてしまいました。

モルゲン

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日本の踊りを学ぶ中学生

2005年03月13日 | 自由の森のこんなこと
中学校の卒業式が終わりました。
 先日からの学習発表会から見てきましたが、最後まで力いっぱい取り組んできた自信と満足感が伝わってきました。
 学習発表会の御神楽や鬼剣舞を見ていて、ちょっと気づいたことがあります。この動きは餅つきの動きだ。野球と違って餅つきの場合は右利きでは右足を前に出してつきます。これは古来の身のこなしです。最近陸上の末次選手が取り入れている「なんば」という動きです。右足と右手が同じタイミングで動きます。入場行進などでやると笑いのタネですが、日本の踊りではそれが自然に行われています。ネットで見たらば、佐川急便のマークの飛脚も驚くことに右手右足が同じに動いていました。
 自由の森の生徒たちはそういう日本の(もしかすると東アジアの)古くからの身体の動きを全員が教材として学んで身体に刻み付けています。今、教育基本法の改正が叫ばれる理由のひとつに日本の文化伝統の尊重ということが言われていますが、大事なのはことさらに愛国心を叫ぶのではなく、人々が長く培ってきた身体の動きを自然な形で学んでいくことではないかと思うのです。
 熱心な踊りの発表を見ながらそんなことを考えていました。

おにざわ

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まだ書いているレポートがある。

2005年03月10日 | 自由の森のこんなこと
 最近、連日のように校長室を訪ねてくるAさん。
 高1の社会科のレポートについての相談です。
 彼女の読んでいる本は心理学者の野田正彰著『戦争と罪責』です。夏休みの授業で僕がすすめたのを覚えていてレポートとして挑戦しました。ちょっと高校1年生には難しいとは思いますが、時間をかけて食らいついています。
 レポートの期限はとっくに過ぎてしまっています。でも、ノートに抜書きや感想をびっしり書き込んでじっくりと取り組んでいることが手に取るようにわかります。簡単に書いてしまうことより、じっくりと事実に向かい、何度も咀嚼しながら文章にしていくことを大事にしたいと思います。
 だいぶ枚数の制限を超えてしまいましたが、事実の紹介を終え、やっとまとめの部分にさしかかっています。今日は野田氏の主張をどのように書くかを考えました。その上で彼女の思いを展開します。彼女は単に戦争の悲惨さとか残酷さについて書いているのではありません。彼女の日常の生活や人間関係と絡め合わせて問題をとらえようとしています。「感情の平板化」「愉快であることに強迫的」になる例が語られていました。おそらく定期テストをくりかえしていくことでは得られない深い学びに向かっていると思います。彼女を見ていると世間で騒がれている「ゆとり」か「学力」という議論がちっぽけに思えます。
 もうちょっとで完成だ、頑張れ。

おにざわ

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5時間半の高校卒業式

2005年03月06日 | 自由の森のこんなこと
高校の卒業式が終わりました。
 毎度のことながら、5時間半の中身のぎっしり詰まった卒業式でした。
 卒業生の言葉は、代表ではなく、言いたい卒業生が言いたいことを語ります。
 もと僕のクラスで一年留年したO君は過去の辛い体験に触れながら18年生きてきた中で一番楽しい一年だったと語りました。社会科の卒業発表チームの一員だったS君は、1,2年生に対してもっと「自由」について語り合って欲しいと言います。今年度東京都の教員約200名が君が代を拒んだことで処分されたことを紹介しながら、堂々と対抗できる自由をつかみ取らなくてはと主張しました。Y君は亡くなった依田校長の言葉を紹介して涙はのどの奥の方から出てくることを実感したと話しました。うん、分かる。
 最後の卒業生合唱、僕は高3の曲の中では最上川舟唄が一番好きです。発表会の合唱のときもそうでしたが、ビーンと響いてきます。卒業式の合唱はみんな感極まってしまって今までの合唱とはちょっと異質ですが、見ているだけでちょっと危なくなりそうで困ります。
 気持ちのいい卒業式だったよ。実行委員会のみんなありがとう。
 卒業生のみんな、元気でな。おめでとう。

おにざわ

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