中学の校長になって一つ、一番嬉しい事があります。それは卒業式の時に1人1人の名前を読んで、一番身近に、みんなの顔をみなが卒業証書を手渡す事ができることです。恥ずかしそうにする人、感極まって泣き出す人、しっかりと無言で三年間の思いを噛み締めている人、ここぞとばかりに自分のパフォーマンスを披露する人など様々です。しかし、そんな卒業式なのにみんなが必ず行う事があります。
それは、1人1人の名前を読んだ後に、会場から拍手があがるだけということではなく、同じ仲間の卒業生達が「○○君、(○○さん)、がんばれ!、おめでとう!」という力強い優しい言葉が飛び交う事です。
そういう状況のなかでの卒業式ですから、まず、私から卒業証書をもらうまえに、仲間の卒業生達に深々と御礼をするものや、カメラで自分と同じ場にすわっていた仲間達を撮る事も多くみられのす。校長から卒業証書をもらうことも大切ですが、そこにいたるまでの仲間達への優しい感謝と配慮の姿がそこにはあるわけです。
ある卒業生は「卒業証書をもらうまえに、みんなから自分の名前を呼ばれて、がんばれっていわれて・・・そのことが、ああ、自分はみんなから認めてもらっているんだという実感が強くなって泣けてきました」と語りました。私は、そういう卒業式が日本のほかのどこでおこなわれているだろうかと、その時、思いました。
小学校の娘の卒業式は式の何週間も前から、名前をよばれたらまっすぐに胸をはり、左足から踏み出して、演壇の正面に立ち、深々と例をして、今度は右手を出して校長先生から証書をもらった後、また深々と御礼をしてから証書を右手のわきにはさんで、左足からもとの席に戻るという事をなんども練習させられています。形式や形を軽視しろとはもちろん思いませんが、もっと、こども達の感謝の気持ちや仲間達への共に支えあい喜びあう卒業式があってもいいのではないかと思われます。
それぞれのクラスの名前を読み終わると、クラス全員が正面に集まり、お世話になった担任や副担任の名前を呼び、
自分達のお金をだしあった心のこもった贈り物をします。花束や色紙のほかに寝る間も惜しんで毎日こども達を励ましつづけた担任には安眠枕や、担任と良く似ている巨大くまの人形をプレゼントしたりする姿がそこにはありました。いかに担任集団達が苦労してひとり1人のこども達とじっくりと面談をくり返し、1人1人を大切にしながらもクラス集団を作り上げてきたかを思うと胸が熱くなりました。卒業式前日に生徒達が作り上げた中学卒業発表会にはこんな文章がありました。
「学習発表会とは1年間の授業で学んだ事を振り返り、自分達なりにまとめ、発表しあう場です。今まで学んできた事やこれからどういう事を学ぶのかを見られる場でもあります。そして舞台も展示も共通して「自分達の学びを共有する」というのを大事にすすめています」
この文章に示されていた通り、特に中学3年生の発表と展示はすばらしいものがありました。
高校生になっても、これからも辛い事、面倒臭い事、どうしようもなく嫌になる事があるでしょう。その時に、どうかこの卒業生達がつくりあげてきたこの3年間のお互いに対しての友情や信頼、希望を忘れないで欲しいと思いました。
これからの社会へ希望と自由の森学園の教育の正しさを私にあらためて教えてくれた いい卒業式でした。
私も泣いてしまいました。
モルゲン
それは、1人1人の名前を読んだ後に、会場から拍手があがるだけということではなく、同じ仲間の卒業生達が「○○君、(○○さん)、がんばれ!、おめでとう!」という力強い優しい言葉が飛び交う事です。
そういう状況のなかでの卒業式ですから、まず、私から卒業証書をもらうまえに、仲間の卒業生達に深々と御礼をするものや、カメラで自分と同じ場にすわっていた仲間達を撮る事も多くみられのす。校長から卒業証書をもらうことも大切ですが、そこにいたるまでの仲間達への優しい感謝と配慮の姿がそこにはあるわけです。
ある卒業生は「卒業証書をもらうまえに、みんなから自分の名前を呼ばれて、がんばれっていわれて・・・そのことが、ああ、自分はみんなから認めてもらっているんだという実感が強くなって泣けてきました」と語りました。私は、そういう卒業式が日本のほかのどこでおこなわれているだろうかと、その時、思いました。
小学校の娘の卒業式は式の何週間も前から、名前をよばれたらまっすぐに胸をはり、左足から踏み出して、演壇の正面に立ち、深々と例をして、今度は右手を出して校長先生から証書をもらった後、また深々と御礼をしてから証書を右手のわきにはさんで、左足からもとの席に戻るという事をなんども練習させられています。形式や形を軽視しろとはもちろん思いませんが、もっと、こども達の感謝の気持ちや仲間達への共に支えあい喜びあう卒業式があってもいいのではないかと思われます。
それぞれのクラスの名前を読み終わると、クラス全員が正面に集まり、お世話になった担任や副担任の名前を呼び、
自分達のお金をだしあった心のこもった贈り物をします。花束や色紙のほかに寝る間も惜しんで毎日こども達を励ましつづけた担任には安眠枕や、担任と良く似ている巨大くまの人形をプレゼントしたりする姿がそこにはありました。いかに担任集団達が苦労してひとり1人のこども達とじっくりと面談をくり返し、1人1人を大切にしながらもクラス集団を作り上げてきたかを思うと胸が熱くなりました。卒業式前日に生徒達が作り上げた中学卒業発表会にはこんな文章がありました。
「学習発表会とは1年間の授業で学んだ事を振り返り、自分達なりにまとめ、発表しあう場です。今まで学んできた事やこれからどういう事を学ぶのかを見られる場でもあります。そして舞台も展示も共通して「自分達の学びを共有する」というのを大事にすすめています」
この文章に示されていた通り、特に中学3年生の発表と展示はすばらしいものがありました。
高校生になっても、これからも辛い事、面倒臭い事、どうしようもなく嫌になる事があるでしょう。その時に、どうかこの卒業生達がつくりあげてきたこの3年間のお互いに対しての友情や信頼、希望を忘れないで欲しいと思いました。
これからの社会へ希望と自由の森学園の教育の正しさを私にあらためて教えてくれた いい卒業式でした。
私も泣いてしまいました。
モルゲン