自由の森日記

埼玉県飯能市にある自由の森学園の日常を校長をはじめ教員たちが紹介

はじまった! 中学森の時間の田んぼ体験授業!

2005年05月29日 | 自由の森のこんなこと


中学校では森の時間という総合学習の時間があります。先日の授業は中学1年と2年生がスクールバスでお借りしている田んぼにいきました。


ここで、自分達で田植えをし、地域の人の助けで稲を育てて、脱穀し、秋の収穫祭にはみんなで食べます。体験する事と、昔の人たちの知恵を学ぶ事、生活する事や日本の伝統的な文化を学ぶ契機にもしていきます。今回の作業は、田んぼに水をいれて、泥を整地するための「しろかき」と呼ばれる作業をしました。
 


「ぬるぬるしている」「意外にキモチイイ!」「こんなのはじめて!」と口々にこども達は言いながら大騒ぎです。丸太の両端にロープをつけてひっぱりながら、田んぼの整地をする作業で、最初はぎこちなかった作業が、お互いに声をかけたりしながら次第に要領良く進んでいくようになっていきます。



 ここでもお互いの力の加減を理解しあいながら、ロープをひっぱったり、泥の中をうまく歩くコツをつかむという活きた体験がされていました。本校の体育の授業では日本の踊りを教材とした授業をしていますが、この田んぼの泥の中をうまく歩く動きが踊りの動きに似ていると感想文に書いた生徒もいました。冬眠から目覚めたカエルをみつけたものや、あぜ道のミミズをさわっているものもいました。

作業を終えて、泥遊びを教員たちといっしょにやって満面の笑みを浮かべる子供達の姿に、体験する事の大切さ、感じる事の大切さを晩年の著書「センスオフワンダー」に書いた、レイチェル・カーソンを思い出しました。この日は生徒達にとって忘れられない一日になったでしょう。

モルゲン

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生徒達がつくりあげた体育祭

2005年05月23日 | 自由の森のこんなこと


自由の森学園の最初の生徒たち自身による、中学・高校全体で作り上げる最初の行事の体育祭が終わりました。
体育祭当日の準備、運営、競技の進行など、全て生徒自身の手によるもので、学年を越えた本部会での話し合いや体育祭を安全に楽しく成功させようという皆の意志が全体に感じられた、いい体育祭でした。


 応援合戦では団長を中心とした中学・高校のわけへだてのない練習を積んだ、楽しいパフォーマンスが繰り広げられ、これも自由の森学園ならではの出し物ではないかと感心させられました。また、道具係、環境係、得点係、保健係、審判係などの各係がてきばき、動いていたため、今年はかなりスムーズに全体の運営が進みました。最後の実行委員長の言葉にあった
「悲しい事、嬉しい事などを通してみんなで1つのものを作りあげていく楽しさや喜びを体験できた事をみんなに感謝します」
という言葉も印象的でした。学校はある目的を共有化して、みんながお互いを支え、自分の出番をしっかり持つ事で
こんなにもたくさんのドラマがうまれる場になる所になると再認識しました。実行委員会のみなさん。お疲れ様でした。

モルゲン


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ドラマは最後にやってきた

2005年05月21日 | 自由の森のこんなこと


体育祭に参加したみなさん、おつかれさま。
 応援に来ていただいた、保護者のみなさん、ありがとうございました。

 自宅に帰る足の痛いこと、痛いこと。筋肉痛です。とは言え、今日のリレーの後遺症ではありません。
40も半ばになると、筋肉痛は一日遅れてやってきます。昨日の夕方、練習がてらグランドを走った時の後遺症です。朝はたいしたことがなかったのですが。

 さて、今日の体育祭、ドラマは一番最後にやってきました。体育祭のフィナーレを飾る色別リレー。各色の俊足が登場して大逆転を狙います。


 勝負は後半、赤と青のデッドヒートになります。アンカーの高3男子は200メートル。バトンを受けた時点での一位青と二位赤の差は7メートルぐらい。そこから赤のAの急追が始まります。さすがにアンカー同士ほれぼれするスピードですが100メートルあたりで並び、抜き去ります。応援席からは大歓声が。



 そのまま、ゴールするかと思われたテープの10メートル手前で大ハプニングが起こります。Aの足がわずかにもつれたかと思った瞬間、そのまま前のめりに転倒してしまいます。デッドヒートでしたから、万事休すと思った瞬間、Aは起き上がってほとんど飛び込むようにしてゴールに倒れこんだのです。執念としか言えません。近くで見ていた卒業生も「泣きそうになった」と言うほど強く印象に残る一瞬でした。
  
 彼は言っていました。直前の種目の棒倒しで負けていたから、何とかしてリレーで勝たないとと思っていたと。
体育祭ってクラスごとの練習の成果が見えたり、面白い応援のパフォーマンスがあったりで楽しいのだけれど、でもやっぱりギリギリのところで勝負するその緊迫感がいいのではないかと改めて思いました。一日だけマジに勝敗にこだわるすがすがしい一日でした。みんなほんとにお疲れさん。

おにざわ


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国際化って何?

2005年05月17日 | 自由の森のこんなこと
先日、自然・環境・地球市民という選択講座に卒業生が授業をしに来てくれました。彼女は現在四年生で昨年1年間ドイツのコンスタンツ大学に留学して様々な国の学生達と同居し、その時の体験について語ってくれました。専門は社会言語学で言語による人間社会の違いと文化の違いと共通点を研究しているそうです。

彼女は国際化とは「それぞれの国との国際化であること」や国際理解とは「それぞれの国に住んでいる人との人間関係を理解すること」と定義していました。簡単にいうと言葉だけの国際化というのは空しくて結局は違う国に住み、違う文化をもっている人たちとどう共通理解をつくりだしていけるかが大切だというお話でした。


自由の森にいる皆さんに一言という質問には、自分の事だけを考えていてはだめで、迷惑をかけていることを前提とした他者への理解や共感が大切ですと答えていました。

また、日独の生活の違いについての質問には、日本に帰国して感じたのは電車の中で眠っている人たちの多さ、毎日の日常に疲れている人たちの多さで、ドイツで電車の中で寝ているような人はいなくて、自分の自由な時間をどうわくわくするものにしていこうかと決めている人が多いと答えていました。生活のゆとりや時間をどう有意義にすごすかということにドイツの人たちは楽しみをみつけているそうです。

環境立国といわれているわりにはゴミの分別を安易に業者に、まかせているという短所も指摘し
ていました。卒業生の生の言葉ということもあっていい時間が過ごせた授業でした。

モルゲン

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ドイツの社会は高校生にどう映るのだろう

2005年05月17日 | 自由の森のこんなこと
 午後の選択授業、塩瀬さんが担当している地球市民講座に卒業生が来て話をすると聞いて、のぞいてみました。ドイツの大学で言語学を学んでいる2001年度卒業のAさんです。


 前半は今日本人が学んでいる英語はどこの英語かという問いから始まって、大学で学んでいることについて話します。講座の生徒たちも、「国際化」とはいったい誰がどうなることかとたずねられるとつまってしまいます。彼女は様々な大陸からやってきた、全く違う生活や文化を持った友人たちとの共同生活から、その違いを乗り越えて生活するすべを具体的に話していました。朝からご飯を炊くのを断念した話はナルホドと思わせました。彼女は語ります。「地球市民とは、自分のライフスタイルを選ぶ際に、誰かの犠牲の上に成り立つライフスタイルを選ばない人間のこと」。うむ、これはなかなか難しい。

 面白かったのは後半の話。質問に答える形で、ドイツの「豊かさ」についてこんな例を話してくれました。日本に帰ってきて違いに気づくのは電車内の風景だそうです。ドイツでは座れなかったことは一度もないだけでなく、電車内で寝ている人を見ないとのこと。ホンマカイナと思いますが、ほんとのことのようです。休暇や休日の過ごし方をポジティブにもっているという点でも日本人と違いがあるとも気づいたそうです。何で日本人はこんなに疲れているのでしょう。

 一方で、ユートピアのように語られがちなドイツの別の一面も語られます。ゴミを再資源化するための最終的な分別は主にトルコ人によって行われているとのこと。

 時間はあっという間に過ぎて、3時10分。とても丁寧に言葉を選びながら、生徒たちに語りかけるように話してくれたAさんも何年か前はこちらに座っていた生徒だったとは思えないぐらい、自信を持った学生に見えました。
 今年のドイツ研修旅行で、生徒たちはどんなことを見聞きしてくるのでしょう。

おにざわ

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