自由の森日記

埼玉県飯能市にある自由の森学園の日常を校長をはじめ教員たちが紹介

春はどんどん進んでいます。

2015年03月31日 | 自由の森のこんなこと
年度末を迎え、学校は春休みです。

入学式の係の生徒は毎日通ってきていますが、しずかな自由の森学園です。


とはいえ、こんななか、春はズンズン進んでいます。


卒業式くらいは、春はまだまだ。茶色の世界でしたが・・・





裏山はもうこんなに芽吹いていますよ。


それから、昨年咲かなかった事務局前のサクラも



開花宣言です。先週末にはチラホラ咲いていました。

ミツバチたちもお仕事開始。




事務局周辺は、ウメとサクラとコブシとモクレンと・・・









お花畑のようです。



この時期、人よりも生きものの方が一足はやく春が来るようですね。




カタクリも花盛りです。


さて、2015年度はどんな年になるでしょうか。

楽しみですね。


てつひさ





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2014年度 自由の森学園高等学校卒業式 校長の言葉

2015年03月30日 | 自由の森のこんなこと
高校校長の新井です。
またまた遅くなってしまいましたが、3月7日におこなわれた高校卒業式で私がお話しした「校長の言葉」を紹介します。





卒業生のみなさん 卒業おめでとうございます。
保護者のみなさん、お子さんの卒業おめでとうございます。そして、これまでの学園に対するご支援とご協力に感謝申し上げます。

自由の森学園が創立して今年度で30周年。この30周年という記念の年にみなさんは卒業します。
創立者の遠藤豊さんは自由の森学園の教育を「自由と自立への意志を持ち、人間らしい人間として育つことを助ける教育」だと語っていました。
自由と自立への教育、そして人間性追求の教育が自由の森学園の目指すところだと説いていたのです。
今日はみなさんの卒業にあたり、このことについて少しお話ししたいと思います。

一昨年公開され、さまざまなところで話題になった映画に「ハンナ・アーレント」というものがあります。
ハンナ・アーレントはユダヤ系ドイツ人の政治哲学者で、実在の人物です。
彼女は第二次世界大戦中ナチスの追求から逃れアメリカに亡命しました。戦後、ナチスの犯罪について論じた「全体主義の起源」を発表し、広くその名を知られるようになりました。
1961年、ハンナ・アーレントは、ナチスによるユダヤ人大量虐殺に指導的立場で関わったアドルフ・アイヒマンを裁く裁判を傍聴しにいきます。
アーレントは法廷でのアイヒマンの姿を見て驚きました。
それは、何百万人もの人々の人生を断ち切った張本人であるアイヒマンは、「自分はただ命令に従っただけだ」とくり返す、どこにでもいる平凡な男だったからです。
アイヒマン裁判を全て傍聴したアーレントは、彼の行為を「陳腐な悪」「凡庸な悪」だと述べました。
アイヒマンには思想もなく、なんの自覚もないままに任務を遂行しただけの単なる役人であり、本当の悪とは、このように思考を停止した、考えることを放棄した凡人がもたらすのだ、と主張したのです。

私はこの映画を見ながら、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」という本を思い出していました。この「自由からの逃走」は、なぜドイツ国民の多くはナチスを支持していったのか、そのドイツ民衆の心理を分析したものです。日本語科や社会科の授業でこの本について紹介され、知っている人もいるかもしれません。

フロムはこう分析しています。
第一次大戦後、ドイツ国民は、その当時世界で最も民主的だと言われたワイマール憲法を手にしました。この憲法により自由の範囲が広がるにつれ、ドイツ国民の中には、自由になった喜びよりも、孤独感と孤独を恐れる気持ちが大きくなってきました。
自由と自立が、不安と孤独になってしまったのです。
その不安と孤独から逃れるために、多くの人々が選んだものが権威主義的な支配でした。自分の頭で考えることよりも権威のある強いリーダーが決めてくれることを選択してしまったのです。ナチスは選挙で第1党になり、そのリーダーの指示通り、多くのドイツ国民はユダヤ人を差別していったのです。

人は、「考える自由」を放棄したとき、人間らしい人間でいられなくなるのかもしれません。

自由と自立とは、権威あるものにすがることでなく、不安や孤独と向き合いながらも自分の頭で考え自分の人生を切り開いていくことではないかと、私は思っています。
そして、人間らしい人間とは、学び続け、考え続け、より良い方法を探り続けるということなのではないでしょうか。

今日、みなさんはこの自由の森学園から旅立ち、それぞれの道を進んでいくことになります。

これからの人生において道に迷うこともあることでしょう。
その分岐点に立ち、どうしていいかわからなくなったときには、

どちらの選択が、自分にとって、またそれに関わる他者にとって、より誠実であるのかと考えてみましょう。
簡単で楽な方よりも、面倒くさいけれど困難だけれど意味がある方を選んでいきましょう。
必ずその先にはその選択を支えてくれる本当の仲間がいることでしょう。そのことを信じて進んでいってほしいと思っています。

そして、自由の森学園にはともに考えつづける教員や仲間がいることを忘れないでください。みなさんは決して一人ではありません。

さあ、いよいよ卒業です。一人の市民として一人の人間として、しっかり歩んでいってください。
みなさんのこれからに期待しています。卒業おめでとう。




自由の森学園高等学校
校長 新井 達也

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中学校の卒業式

2015年03月27日 | 自由の森のこんなこと

みんな、卒業、おめでとう。

みんなの後ろに掛かっているのは「第30回中学卒業式」。つまりみんなは中学の、30回目の卒業生でもある。そして今年は自由の森学園が生まれて30周年の年度。自分のいる学校、自分のいた学校として、在校生と卒業生とが出会う場面がたくさんあったのだと思う。

自由の森がどうやって誕生したのかを調べたり学校とは?を考える、森の時間のチームもあった。一緒に動いていく中で、自由の森のルーツを初めて知った人もいるし、私自身も思いを新たにすることがたくさんあった。

創立者の遠藤豊は、1回目の入学式で「学ぶということは、決してできあいの知識をたくさん貯め込むことではありません。そうではなくて、自分自身を絶えず乗り越えながら、自分自身を絶えず打ち壊しながら、 自分の中に新しい世界を作っていくこと。新しい考えを生みだし、新しい考えをつくり出していくこと、そのことが学ぶということの中身です」と語っている。

この間の学発では、いろいろの発表を見せてもらったり、そのあと中3の人たちの何人かと話をしたりした。

一度は「授業」から遠ざかったりしたこともあるけれど、そうではなくて自分たちでつくる授業の楽しさや大変さ、大切さに気がついて、授業の場に戻っていった経験の話。こういう話は、この学校を卒業した人からもよく聞く言葉だ。

この学校にやってくる前に、みんなは自分で自分のことにいろいろの縛りをかけていたように思う。全部がほどけたわけではないと思うけれど、これまでの間にいろんないらないものが外れていったり、実はどうでもいいことなんだと思えるようになったりしている。
いろんなことに悩み、考えたんだろうと思う。

いちばんむずかしいのは、自分と向き合うこと。自分にとっての不都合が誰のせいでもなく、自分自身の問題になっていく。このことが、遠藤さんが言っている「自分自身を絶えず乗り越えながら、自分自身を絶えず打ち壊しながら」じゃないかなと。
みんなは時間をかけて、だんだんとそんな「じぶん」になっていっているように思う。

学習発表会があったのは3月11日。学発の結びでもすこし話をしたけれど、4年前のあの日以降、地震が生んだ大きな破壊は、いまの時代を生きている人たちの価値観さえ、揺らがせているのだと思っている。やがてはどこかに収束するのだろうけれど、いろいろな「正しさ」に対する「安心」だとか「安全」への信頼が揺れ、壊れた施設と制度を守ろうとするしがみつき方に本当に失望したり、あきらめてへこむのではなく、新しい価値観を探ろうと、いろいろな人が自由の森学園の教育を確かめに来てくれているようにも感じる。

「教育」に対する考え方について、人が育ったり生きていくために必要なものとして「学校」という場がどうあるべきなのかを、私自身が想像し直さなければならない4年間でもあった。その根っこになっているのは、この学校にいる人、ここをつくっている人、ここを卒業していく人の表情や姿、それまでの関わり方にある。正しい教育の姿というのではなく、この学校の確からしさをここにいる人たちが映し出しているから。

とにかくさ、みんな、好きだわ。

次の3年間を、たっぷり「自分をつくる」時間にしてください。
卒業、おめでとう。
おわり。


中学校長 中 野   裕

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中学学習発表会 午後の部(体育館)

2015年03月15日 | 自由の森のこんなこと
学習発表会から卒業式へ


中学校長 中 野  裕


3月11日、中学校の学習発表会があった。朝から夕方までの濃い1日だった。9時半から音楽ホールで、午後は体育館で、これまで学んできたことをいろいろの生徒が発表する。あの子がこんな人になったのかということを、あちこちで感じる場面がたくさんある。


中学学習発表会 午後の部(体育館)


午前中の最後は、中3の「森の時間」の発表があった。私も少し関わったので、テーマ学習のひとつ「自由の森の心を知る」の話を紹介したい。

今年は自由の森学園が「現出」してから30周年となった年。30周年を祝う大きなイベントには卒業生もたくさんやってきたし、卒業生と在校生とが直接関わっての企画もたくさんあり、その場を通してさまざまな出会いが生まれこともあって、この学校の生徒たちの中にも自由の森学園がいったいどうしてこの世の中に「現出」したのか、原点に立ち返る空気があちこちにあったように思う。
中3の人たちもそこに関心を持った人たちがいて、その企画が立ち上がったことを知り、学校が出来上がるための一連の動きなど、私の知っている範囲で話をしたりもしてきた。そんな話をしていると、自分の中に貯めてきたことが整理されたり、いろいろのつながりを感じたり、あるいはまた確かめ直す時間にもなってきた。

数十年前の島小学校(群馬)、巨摩中学校(山梨)などでの教育研究の場で、当時の明星学園(東京)にいた遠藤豊さんらと実践交流があったり、遠山啓さんとの関わりの中で、明星学園が「点数を排する」実践をするようになったこと、しかしやがてそれは中学から高校へ上がる際に「内部進学テストを導入する」という否定につながり、そのほかにもたくさんの出来事があるのだが、それらのことによって自由の森学園をつくる人たちが、明星学園を辞めていく。
明星学園の生徒たちや卒業生たちは、かつて自分たちが経験してきた「理想の授業」をつくるために、自主的に「寺小屋学園」を開く。子どもたちが教師を呼び、一方通行の講義にならぬように積極的に考えを述べたりする場にするために、いろいろな議論をしてきた。そこが、自由の森学園の誕生をきっかけに閉じることとなる。

2012年の2月4日に、自由の森学園を創立したひとりでもある松井幹夫さんが亡くなった。その年の6月に学校で「しのぶ会」を行ったが、その場への参加をお願いしに「寺小屋」に松井エイコさんを訪ねた。そこで語ってくれたたくさんの思いと、「自由の森の心を知る」チームの人たちと、何が何でも引き合わせてつなげたいという衝動を持った。
訪問日は偶然松井幹夫さんの命日であったが、その日に自由の森学園の生徒さんたちをここに迎えることができることが嬉しいと言っていただく。当事者のひとりでもあるエイコさんが伝えてくれた「本当の本物」の話やその出会いは、私たちの強烈な経験となった。消化するにも時間がかかるが、本で読む話を越えてずっとリアルであった。

このチームのまとめ方や煮詰め方に、わりと近いところで触れてきた。私にとって、ありがたい贅沢な時間となった。そんな時間に出会うと、やはり触発される。その場で言葉が出なくても、天気のよい日だまりでたまたま出会って「なかのさ、話そうよ」と声をかけられていろいろの話も聞かせてもらっている。このチームだけでなく、1年生の人たちの経験してきた時間と、それをいま、どうとらえようとしているか、そして次の1年をどうつくっていくかということや、2年生の人たちが3年生になっていく瞬間を、いろいろ目の当たりにしている。1年前はこういう課題を抱えているなと思う人たちが、どんどんやわらかくなっていく。まさに変化していく場面に立ち会えることは、本当に幸せなこと。

今年の学習発表会の日は、4回目の「3月11日」となった。あの日は、中学校の卒業式の前日で、体育館には卒業式の準備のために1・2年生がたくさんいた。激しい揺れが起こって、当時の中2だった生徒たちが逃げ遅れた1年の子たちを外に誘導する。「首根っこつかんで避難させてた」という話もあとで聞いた。その人たちは先週、高校を卒業していった。

あの日以降、地震が生んだ大きな破壊は、いまの時代を生きている人たちの価値観さえ、揺らがせているのだと思っている。やがてはどこかに収束するのだろうけれど、いろいろな「正しさ」に対する「安心」だとか「安全」への信頼が揺れ、壊れた施設と制度を守ろうとするしがみつき方に本当に失望したり、あきらめてへこむのではなく、新しい価値観を探ろうと、いろいろな人が自由の森学園の教育を確かめに来てくれているようにも感じる。「教育」に対する考え方について、人が育ったり生きていくために必要なものとして「学校」という場がどうあるべきなのかを、私自身が想像し直さなければならない4年間でもあった。その根っこになっているのは、この学校にいる人、ここをつくっている人、ここを卒業していく人の表情や姿、それまでの関わり方にある。正しい教育の姿というのではなく、この学校の確からしさをここにいる人たちが映し出しているから。

卒業式は、明後日。何をしゃべろうかと、いろいろ考える。何を伝えるかを自分で決めることでもぞもぞしてるけど。
卒業、おめでとう!
2015年3月12日




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中学学習発表会 展示(ごく一部)

2015年03月15日 | 自由の森のこんなこと
展示されているものを見ると、この人がここに関わっていたのか、とか、え、この人も?と、その人への知らなさに、自分の見えなさや足りなさを実感じてしまいます。

午前の部が終わって外に出て、例の「絵」を見にグラウンドに行くと、ありましたー。ナスカの非常口。



昼休みの時間もあまりなく、展示されているもののひとつひとつをちゃんと見れないまま、午後の部を迎えます。
(つづく)



自由の森学園中学校 学習発表会 展示作品


なかの。

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中学学習発表会 午前の部

2015年03月15日 | 自由の森のこんなこと
3月11日(水)に、中学校の学習発表会が行われました。
年度末の過密なスケジュールの中、自分たちが学んできたこと、感じてきたことを、中学校全体で共有します。



会場となった音楽ホールには中学生だけでなく、高校生や保護者の方も発表を見に来てくれました。例年満員になるのですが、今回はそれを上回って超満員の状態。「よっこいせ」の合図で座っている人みんながお尻をずらして詰めていきます。

午前・午後のステージ発表と、各教室での展示からなる学習発表会はかなり盛りだくさんな内容で、到底1日では見尽くすことのできないほどのものでした。
(つづく)


午前の部(音楽ホールでの発表)


こちらもどうぞ > 林の時間

なかの。

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2014年度 高校卒業式

2015年03月12日 | 自由の森のこんなこと
高校卒業式が行われました。



今年も、卒業式実行委員を中心に 生徒 が卒業式を企画し、生徒達が式をつくりました。

ひな壇に上った卒業生 が式の 主役 です。


今年のテーマは「 森から木へ 」


会場づくりも、沢山の木々がステージの左右、入退場のアーチ、そして壁に、

とても柔らかで温かな 「 ねぶた 」でつくられています。


ほんとうにたくさん。






花道 を歩き、

ひとりひとりに 卒業証書 を手渡します。











思い思いの衣装を着て
「 今の自分 」を表現しています。

華やかな着物だったり、ドレスだったり、スーツだったり、いつもの私服だったり。






在校生から、卒業生に伝える言葉








卒業生から、在校生に伝える言葉






実行委員長から、卒業して行くみんなにメッセージ






色々な思い出がこみ上げ、様々な想いが巡ります






卒業生 退場




  














そして再入場
 「 別れの広場 」

       



演出もまた変わって、「 シングシングシング♪ 」





別れを惜しみ感動的な時間がいつまでもつづきました






― ― ― ― ― ― ― ― ―


前日の夜、本当に遅くまで会場係の生徒が会場の装飾をしていました。

花道を歩いた時に気づいたでしょうか。


あの花道。入場アーチからひな壇までのあいだに段々季節が変わり、

春夏秋冬の絵が描いてあったのです。





ほぼ完成しそうな頃には、電車の時間がギリギリ。


それでも、帰ってしまうのがもったいないと感じた気持ちの良い制作空間でした。

おそくまでありがとう。

いい卒業式でした。







第28回 高校卒業式 「 森から木へ 」  2015.3.7


卒業おめでとう



 

てつひさ

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ナスカの非常口

2015年03月12日 | 自由の森のこんなこと
「林」の時間

中2の学年の数学で学ぶことのひとつに、「相似」があります。「ナスカの地上絵」がどのように描かれたのかはたくさんの不思議がありますが、相似の性質を使い、綿密な計算のもとに計画を煮詰めて、「ナスカの非常口」をグラウンドに描いていました。






描かれた平面との高さが近いと、何が描かれているのかわかりにくいのですが、ある程度の高さで見ると、描かれた像がわかります。




中2の学年の取り組みの「林の時間」を通して、新たな「森の時間(総合的な学習の時間)」の再構築を考えます。
いろいろなプロジェクトが進行中で、その後どうなったのかが気になりますー。

溶かした金属を鋳型に入れたり、土がちゃんと焼き物になるかを確かめたり。






なかの。


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「 311の会 」が呼びかけた黙とう

2015年03月11日 | 自由の森のこんなこと
14時46分、学園の中庭に集まった生徒たちが、

ラジオ放送の合図で東日本大震災の被災者に対して黙とうを行いました。





高校2年生数名が中心となった 「 311の会 」 が呼びかけたものです。



約30名の生徒が参加し、黙とうが終わった後、呼びかけた助川さんから

「来年も引き継いでもらえたらうれしい。自分は来年の311は東北で迎えたいと思っている。」とスピーチがありました。






鬼沢

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炭焼き 炭を取り出しました。

2015年03月11日 | 自由の森のこんなこと
9日の午後3時に火入れした炭焼きが終了し、今日完成した炭を取り出しました。



釜に掛けた土をスコップでどかします。





灰になっていないかドキドキですが、フタをあけます









思いのほか綺麗に焼き上がっていました。






ドラム缶いっぱいに詰めた木材が、体積では約半分、重さではもっと軽くなっています。

それでも段ボール箱3箱分あります。







樹皮のケバや表面のキノコがそのままの姿で炭になっていたのには驚きでした。










高校の学習発表会は終わってしまいましたが、理科室の廊下に展示してありますので、見てください。



鬼沢

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