
自由の森学園中学校3年生76人が、今日卒業していきました。
いまの世の中の姿をがんじがらめになってきていると感じてしまっている私にとって、そこに近づいていく卒業生たちに「世の中は厳しいとこだ、その厳しさを知れ」というようなメッセージを送ることに、ずいぶん前から違和感をもっていました。
確かに厳しいこともあるだろうけれど、過酷な制度やルールに順応していくだけではなく、そうした価値観を問い返すような、あるいはもっと新しい別の価値観をつくり出していくような、そういう力をつけていってほしいと願って、卒業生たちに思いを伝えました。
私は卒業生たちの数学の授業を2クラス担当していました。学年末、その中の生徒のひとりが「数学とはあきらめることも必要」と自己評価表に書いてきました。彼は「むずかしい問題をやっていて、できないと思ったら今まで考えていたことを0にするのもありだと思う」と続けていました。
学校で扱う数学は、言ってみれば全部「解ける」問題です。それしかやらない。解き方はいろいろありますけれど、必ず解ける。だけど、世の中の数学の世界では、まだ未解決であるとされている問題が、ごろごろしている。そして、数学の難問とされているものは、多くの研究者が解明するために蓄積してきた道具そのものが、解明のためには役に立たないということを、数学という言語の体系が否定的に証明してしまうこともあるんです。
努力がたらない、根性がたらない、そういうことではなく、研究対象を解明するための道具そのものが違っていたということ。数学などの自然科学は貪欲ですから、まったく別の道具を借りてきたり、組み立て直すことでさらに立ち向かう。彼の言う「あきらめる」は、そうした視点の切り替えや、考え方を一度リセットする必要を書いているんです。
大人になっていくということは、新しく身につけていくものを獲得すると同時に、自分が持っていたものを削ったり手放したりもしていきます。だけど、適応する、順応するということが主目的であると、そこから外れてしまう人たちはいったいどうすればいいんだろう? たとえば数学の研究の仕方のように、価値観をガラッと転換していくことが、煮詰まった世の中をどうにかしていくきっかけになるのかもしれない。そのためには、大人になっていくまでの比較的長い時間を、大人になるための準備ではなく自分をつくるための「貯める時間」にしてほしいという願いを込めて、話をしました。
みんな、卒業 おめでとう!
なかの