「おとうしゃん。おかえり」
玄関の吹き抜けの窓でお外を眺めているラウラ。狭い空間に体を細めて(デブ)いる。
「ただいま」
「早かったね」
「ああ、脳神経科と胃腸科のダブル診察だけど今日は空いていたなぁ」
「へぇー」
「リハビリセンターは長蛇のお客(患者)さんがいたよ。昨日雨だったから、タケノコかゼンマイのようにいたけどね」
「で、どうだったの」
「脳みそはいっぱい詰まっているし、脂肪はラウラなみだけど大丈夫」
てな訳で、問題なしと勝手に解釈して帰ってきた。途中なかなか右折できないもみじマークの車、対向車は誰も道を譲らない。近づいて急にバックされても困るので少し離れて待つと、トレーラーの運転手が余裕で道を譲る。やっと前の老人の車はエンジンがかかって右折した。ありがとうの気持ちを込めて右手を軽くあげると、トレーラーの運転手も軽く右手をあげて答えてくれた。昔、ツーリングで見も知らないバイク乗りの挨拶の流儀が蘇った。感謝。
それにしても、あのアイドリングストップの車はなんとかならないかなぁ。結局渋滞を引き起こしたり、慌ててアクセルを踏んでモータートルクの大きさで突っ込んだりするのだ。近頃のツッコミ事故はみんなハイブリットカーだ。シフトチェンジならまずエンストするのに、もう老人(源太郎も老人だが)はハイブリットに乗ることは「危険が危ない」と思うのだけれど。
話は変わって、男友人の写真を探していたが写真は見つからなかった。女性優先のアルバムだから当然とはいえ、写真を時系列に整理しておいたアルバムを見て、この辺だろうと思ったが結局見つからなかった。明らかに記憶から消え去っていた。
ところが、1970年代のアルバムを見ていたら、大事に折りたたんだ、金沢駅で買った駅弁の包みがてできた。「Discover Japan」懐かしいフレーズと「昭和48年3月16日」のスタンプが押してある。そして何より驚いたのがその金額であった。「¥300」
本当かよこの値段、今なら「牛丼一杯」も食べれない。オイルショックの頃だけれどこんな値段で食べることができたのだと懐かしくなった。
そして、1970年の大阪万博博覧会の「アポロ司令船」。並んだなぁ、そして芋を洗うようにあっという間の見学だった。50年近く前の出来事。今はデジタルカメラが流行りだが、印画紙に焼き付けた写真、そしてアルバムが廃れてほしくはない。ニュースでウイルス感染のことが話題になっているが、デジタル保存のデータは、感染したらお釈迦。大切な写真はやっぱり印画紙だ。
こんな写真を見ながら源太郎は当時にタイムスリップしていた。