経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

たのしい?

2012年04月16日 | Weblog
こうしたことが経営でもみられていないか、

何度も書いていますが、本来の経営は普遍性、日常性の営み。

それが特殊性になっていないか。という視点で

診断時に該当企業を見て見るのが、私のスタンスです。



よく「努力して・・・」といいますが、

私たちは日常生活で通常、呼吸をしたり、

食事をしたりするとき、「努力して・・・」

ということは稀有ですよね。

そういうことがあったとしたら

病気かなんか、つまり通常ではない特別な場合です。



売ることには努力がつきもの、といったこと。

私たちは、努力して売ることに何も疑問を感じていません。

当たり前のことのように思えます。



しかし、私は当たり雨のことが、当たり前でなくなった、

そのことこそ問題だ、と考えます。

購買が減じ、売上が下がる。

購買が増加し、売上が上がる。



売上を上げる努力をではないはずです。

購買が減じた理由を捕まえ、購買が上がるようにする。

これが対策。つまり対策であって、努力ではないのです。





次の文章は、パレアナ学会の機関誌に、

この「努力」について、以前「パレアナの研究」というタイトルで、

私が書いた評伝に、少し加筆し、再掲してみます。





~日本人は何らかの形で儒教の影響を受けておりますから、

ここの所の努力を「修養」と理解する人が多いのではないでしょうか。

楽しむことを修養とか躾では楽しむことできないのです。

「ねばならない」の世界ほど人間を苦しめることはありませんよね。

楽しんでやるという意識がないのに喜びが生じるはずはない、

ということに気付かなければなりません。



「喜び探し」はあくまでゲームなのです。

ゲームだから、うまくいってもうまく行かなくてもいいし、

軽いタッチで、楽しみながらやるものです。



それを、うん、うんうなって「喜び探しをする」。

可笑しいことだと思われませんか。

(現にパレアナは喜びのゲーム探しに結構失敗しています)~



努力が楽しい、という言い方もあるかもしれませんが、

それは楽しいことだから、楽しいのであって、

努力することそのものが楽しい、ってことではないと、私は思います。



誤解して欲しくないのですが、私は「努力」が無用、良くないこと、とか

そんなことを言っているのではないのです。

あくまで、楽しいか楽しくないかの分類で申し上げているのです。