【今日からブログも平行させる事にした】
長尾たかしHP
さてさて、朝の駅立ちが寒さでそろそろ辛くなってきた。今日も激寒っ。日中は八尾市内後援者訪問、夜は惜敗後、2回目の後援会会議。
自称ニートのK君が遂に就職した。実にめでたい。親へ報告する前に私に一報を入れてくれた。思えば彼に対しては随分酷い事を言い放ってきたが、本当に嬉しい。
ニート、引きこもり。杉村大先生がこの辺りはご専門なのだろうか、私がニート引きこもり諸氏に言いたいのは、「自分の程度」を理解しろということ。自分には何か他にやることがあるのではないかと、自分探しも好い加減にしろといいたい。大そうな事を夢見ていたりするのだが、履歴書も、字もまともに書けない、礼儀も、言葉使いも知らない。ただひたすらに自分探し。親が甘やかしているのもそうだが、世間で言う「貴方は貴方のままがいいのよ」的な風潮が、居心地を良くしているのだ。自分の程度を知らぬまま将来を考えるととんでもない事になる。
このあたりが義務教育で欠如しているような気がする。義務教育とは最低限世間で生きていけるだけの教育を身に付けさせるということ。通信簿は相対評価から絶対評価に代わって言った。物心が付けば、自分は勉強が出来る、出来ない、スポーツが得意だ、美術が、音楽が得意だとある程度理解できるもの。ただ、義務教育は最低限身に付けるべきものなのだから、その時期に自分探しという余裕を与えられるべきではない。「義務教育が終わるまで文句を言わず勉強しろっ」とガツンとやってやればよい。しかし、ガツンとやってはみたものの、生徒から「精神的苦痛を受けた」と反論されるともうおしまい。そんな風潮はないだろうか。
教育評論家の森口朗氏いわく、
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「世の中には頭が良かったり、身体能力や技術の優れた同世代の子供達がざらにいることを知っている、子供のときから競争社会へ放り込まれて、世の中はそんなに甘くないよと現実を体験している」子供
「競争社会に接することもなく、自分の実力も知らないから、俺は出来ると勝手に思い込んでいる、そしていつかは何者かになる、何かはわからないが、とにかくいつかは何者かになると思っている」子供。
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いじめについても、
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いじめは絶対に起こしてはならないという考えは、子供が人間関係を築く訓練の機会を奪うだけで、それは決して子供のためにならない。そもそも、高等動物でいじめのない群など存在しない。訓練されていない子供達が高学年頃になると、限界を知らないからいじめを通り越して殺してしまったという悲劇が起こる。
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K君には、「自分探しをするなら、就職してからにすれば」を繰り返し言ってきた。そんな彼の自分探しは社会という競争社会の中で必ず良い結論が見つかるはずであると信じている。