泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

奴国を歩く7「弥生時代の共同墓地(金隈遺跡)」

2019年09月14日 13時11分49秒 | 歴史

「奴国を歩く」シリーズも、いよいよ最終回となりました。最終回は、福岡市博多区にある弥生時代の共同墓地「金隈(かねのくま)遺跡」を歴史散策してきました。

今回は、奴国を歩く7「弥生時代の共同墓地(金隈遺跡)」を紹介したいと思います。

「金隈(かねのくま)遺跡」は、福岡平野の東を御笠川に沿って南北にのびる月隈丘陵のほぼ中央にあります。
弥生時代の共同墓地の遺跡で、弥生時代前期の中頃(紀元前2世紀)から後期の前半(2世紀)までの約400年間にわたって営まれました。
この遺跡からは、348基の甕棺墓と119基の土壙墓、2基の石棺墓が発掘されています。最初に土壙墓が作られ、その後に甕棺墓、最後に石棺墓が作られたものと考えられます。
甕棺墓からは、136体の人骨が出土しました。平均身長は、男性が162.7cm、女性が151.3cmで、縄文人と比較すると、顔も面長になり、身長も急に高くなっています。このことから、朝鮮半島との交流による混血が行なわれていたのではないかと考えられています。墓中の副葬品には、種子島からオーストラリアまでの海中にしか生息しないゴホウラ貝で作った腕輪や、石剣、石鏃、首飾り用の玉などが見つかり、中国大陸や南方文化との交流を物語っています。
福岡市教育委員会が行なったこれらの発掘調査の結果から、遺跡は、弥生時代墓制の典型的な遺跡として、昭和47年に国指定の史跡として保存されることとなりました。
昭和60年3月には、遺跡を保存・展示するため、発掘調査現場に屋根をかけるような形で「金隈遺跡甕棺展示館」が建てられました。

「金隈遺跡甕棺展示館」では、弥生時代の墓が密集した場所に、甕棺墓91基、土こう墓34基、人骨4体の実物を発見当時に近い状態で展示されていて、無料で見学することができます。

今から約2,000年前の弥生時代の共同墓地については、奴国を歩く第1回で「須玖岡本遺跡(奴国の丘歴史公園)」で紹介しました。この場所から車で10分足らずの所に、弥生時代の密集した共同墓地を見ることが出来ました。以前から、是非歴史散策をしてみたい遺跡でした。これだけ密集した共同墓地(金隈遺跡)、一見の価値があると思いますよ!

約2か月にわたって「奴国」を歴史散策し7回にわたって「奴国を歩く」を紹介させていただきました。以前、歴史散策した場所もありましたが、初めて行くところもあり、とても興味深く充実した歴史散策となりました!

                   

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