ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.9.8 十五夜に思うこと

2014-09-08 21:25:10 | 日記
 今宵は旧暦の八月十五日、中秋の名月だという。
 まだ9月初旬、随分早いなと思ったら、これだけ早いのは38年ぶりだそうだ。38年前といえば15歳、中学3年生である。その日のお月様が綺麗に見えたかどうか、は当然ながら忘却の彼方。全く記憶にない。
 そして、残念ながら今日は朝から雨が降ったり止んだりのお天気なので、ここ東京では綺麗なお月様は拝めそうにない。ちなみに去年の十五夜は9月19日、一昨年は9月30日だった。

 去年も「中秋の名月に思う」とお月様の話題を書いているけれど、一昨年のこの日のことは特に良く覚えている。EC投与初回副作用の高熱と免疫抑制による急性歯根膜炎の激痛で入院中。ちょうど台風が接近しており、病室の窓から綺麗なお月様を愛でることは出来なかった。けれど、その年は9月30日に月を見られなかったことがきっかけで、それ以降巡ってくる満月の日をなんとなく追っていた。ああ、またお月様が丸くなった、無事に1カ月過ごせたのだ、と。

 あれから2年近くが経った。ちょっと危うい時はあったけれど、なんとか入院まで至らずに2年を過ごすことが出来た。入院しないで済むということは、それだけで本当に有難いことだ。たとえ1泊2日でも入院してベッドに括りつけられると、物の見事にペースが狂って病人モードになってしまう。通院治療を続けながら自宅で普通の生活を続けることが出来る有難さを改めて思う。

 再発治療が始まって、6年半以上が過ぎた。
 過ぎてみればあっという間だけれど、その間入院した回数を数えてみれば、1年目2008年7月に2泊3日、11月に2泊3日、同じ月末から12月にかけて8泊9日。3年目2010年9月に1泊2日、そして一昨年2012年に7泊8日で合計5回。うち予定されたものは2回、緊急入院が3回である。
 小心者の私らしく、今もお守りの如く入院用品一式が詰まったバックが部屋の片隅にひっそりと置かれている。

 再発治療開始当初は、毎週の通院と検査等も加え、優に年50回は通院していた。その後、3年ほど前からハーセプチンが3倍量で投与可能になり、3週間に1度通院すれば良くなったことが大きかった。他の薬剤との組み合わせで3週間に2度になったり、4週間に1度になったり・・・。今は点滴もなく、内服薬に加え5週間に1度の注射と最小限の検査だけである。今年はこれ迄で一番通院日が少なくなりそうだ。このままいけば、10月、11月、12月の3回で通院納め。このままなるべく長く入院することなく通院治療が続けられれば・・・と思う。
 もちろん、あまりに取らぬ狸の・・・をして、そうは問屋が卸さなかったら、それはそれで哀しいので、あくまで淡々と、残り3カ月半を過ごしていきたい、と思う。

 そして、今年も、今、入院されている方たちが、一日も早くこれまでどおりのかけがえのない日常を取り戻すことが出来ますように・・・、と祈りたい。

 合宿から帰ってきた息子のこと。案の定、朝から晩まで合唱漬けの日程で疲れが出たのか、今朝起きたら熱があるとLINEがあった。水分補給と休息を、と返事をしたが、夜に様子を尋ねると“38度4分”を示した体温計の写真が戻ってきた。
 明日は医者に行くという。これまで微熱は何度かあったらしいが、こんな高熱が出たのは一人暮らしを始めて初めてのこと。週末までに復活してくれると良いけれど・・・。

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