お父さんのマリポタ日記。
マリノスのこと、ポタリングのこと。最近忘れっぽくなってきたので、書いておかないと・・・
?



 どこかで見た気温表示が38度とか。体温より高いじゃないか。そんな酷暑の7月12日に道志みちを走った。といっても旧道の方で、地図上では国道413号の南に平行するように旧青野原村(現在は相模原市緑区大字青野原)を貫く道も、国道と同様に「道志みち」となっている。

 中津川沿いを走り、半原で国道412号へ。関で国道を離れ、鳥屋から小さな峠(トヅラ峠)を越えて国道413号に出る。そのまま西へ進み、牧馬峠への分岐のひとつ先の梶野交差点を左折すると旧道となる。生い茂る木々で日陰となった道は涼しげだ。それが途切れる付近に青野原関所跡があった。津久井町教育委員会の案内版によると、甲州街道の小仏関所、東海道の箱根関所との脇関を兼ねており、当時は交通量も多く、特に富士登山者らで賑わったとある。国道沿いでなく裏道にひっそりとあるので、これは気がつかないよねぇ。


梶野交差点。ここを左へ



道志みち旧道



青野原関所跡


 関所を過ぎると住宅街。ふと右手を見ると「古民家カフェ」の看板がある。残念ながら営業は金、土、日のみでこの日はお休み。「雅」というお店で22年8月にオープン。「昔なつかしナポリタン(850円)」「昔なつかし卵焼きサンド(700円)」などの軽食もあるようだ。道志みちは補給個所があまりないのでありがたい。今度来てみるかな。


古民家カフェ 雅。この日はお休み


 青野原郵便局の先の突き当たりを左へ折れる。ここから地図上では津久井街道と表記されている。のどかでのんびりとしたこの道はバカンス村への分岐の先の青野原西野々交差点で終了し、国道413号と合流する。5キロ弱ほどでもちろん上りではあるが、後ろからくる車やモーターバイクを気にせずストレスなく走れるので、今後は利用しようかな。ただねぇ、青野原西野々交差点で電車を待つほど長く待たされたのはまいった(T_T)


東海自然歩道の道標



青野原西野々交差点


 国道をしばらく走り、平丸トンネルへの勾配10%の急坂を越えると、道志みちの神奈川県側の最高標高地点451メートル地点。ここから山梨との県境の両国橋へ向かって気持ちのいい下りが始まる。最後は勾配9%を豪快に下ることになるのだが、その手前の椅子付きの自販機がある先の路地を左へ入ると山北藤野線、つまり神の川林道へ繋がる道となる。神之川キャンプ場までは行ったことがあるが、その先が未踏の地だったので行ってみようか。


神奈川県側の最高標高地点451メートル地点


 山北藤野線に入ってすぐのところに「法印の首塚」があったのだが、まったく気がつかず。道標にも出てきていたが、何だろう。調べると、「永禄12(1569)年10月、武田信玄が小田原に北条氏を攻め、その帰りに三増峠(愛川町と津久井との境)を越えようとしたとき、これを阻止しようと北条方も大軍を備え追撃し、激しい戦闘(三増合戦)が起こった。三増合戦後、道志川沿いに帰途しようとする武田軍の一支隊を追って、後北条氏に味方する日向薬師の山伏たちがこの地で戦闘を交えたが、奮闘むなしく返り討ちに。この伝承に基づき、後に子孫によりこの地に「法印の首塚」が建立された」(相模原市HPより)という。信玄みちにある三増峠、そして日向薬師か。サイクリングではお馴染みの道だ。実感が湧くなぁ。

 その先にあったのが旧青根中学校。20年3月に閉校となり、70年の歴史に幕を閉じたそうだ。


道標



旧青根中学校


 さて、いよいよ神の川林道かと思いきや、なんと法面崩落で通行止め。残念! でもよく見ると迂回路があるようだ。ということで、いったん国道に出た後、両国橋への9%の豪快なダウンヒル手前の分岐を入る。


神の川林道は通行止め



迂回路



この分岐を左へ行く。直進すると両国橋


 最初に出くわしたのが「バァバァ宮」。何だろうと思って案内版を見る。武田勝頼の家臣、小山田六左エ門の娘「折花姫」が落ちのびる際、この音久和集落でウバ様が撃たれたという悲しい伝説があるそうだ。実は「ジィジ宮」もこの道の先にあったのだが気がつかなかった。


バァバァ宮


 迂回路で無事に神の川林道へ。道志川沿いにしばらく走り、神之川と合流するところにキャンプ場がある。地図によると「ジィジ宮」はこの手前にあったようだ。


神の川林道(京田沢)



神之川キャンプ場



バンガローが建ち並んでいる


 ここまではいったん上った後は川へ向かって下り基調が続いていたが、キャンプ場を過ぎると道は緩やかに上り始める。「やまなみ5湖 水のある風景36選」のひとつであるエビラ沢の滝を過ぎ、小瀬戸トンネルを抜けると「裏丹沢渓流釣り場」がある。ちなみにやまなみ5湖とは相模湖、津久井湖、奥相模湖、丹沢湖・宮ヶ瀬ダム貯水池。36選には小倉橋付近の相模川、洒水の滝(滝沢川)、札掛付近(布川)、名手橋付近の津久井湖などがある。


エビラ沢の滝



トンネルの右手に裏丹沢渓流釣り場


 釣り場を過ぎ、やや平坦となったところにあったのが「神之川集落跡」。分校もあったらしい。案内版によると、神の川牧場閉鎖後、炭焼きを中心とした開拓者が現れ、大正5年ごろには70戸ほどになったという。青根まで子供の足で2〜3時間かかったので分教場が作られ、翌6年には男子7人、女子5人の児童がいた。しかし、大正12年の関東大震災で村は壊滅。分校もわずか5年でピリオドを打ったとある。賑わったのは一瞬だったようだ。時は流れ、今はこの近くに巨大な採石場がある。狭い道をトラックが走っていたので不思議だったのだが、こういうわけだったのか。

 その先には「長者舎山荘跡地」。昭和30年の神奈川国体のために作られたが、登山者の大幅減少により平成2年に解体された。さらにその先には「山の神」。北丹沢の神の川で初めての山小屋だそうだ。毎年4月17日は山の神を囲んで登山者の安全祈願をしたという。

 「バァバァ宮」から始まるこれらのうんちくはすべて神の川ヒュッテ管理会によるもの。ありがたい。内容の濃い、歴史を知るサイクリングになった。


神之川集落跡。左奧に採石場が見える



長者舎山荘跡地



山の神



山の神大社


 Googleのストリートビューがあるのは神の川ヒュッテまで。その先は果たして行けるのだろうか。すでに数キロ先は車両通行禁止という看板は目に入っていた。

 最後の500メートルは勾配8%前後のきつい坂。それを上り切り、日陰沢橋にたどり着く。右手には神の川ヒュッテがある。そして日陰沢橋の先には「歩行者も含めて全面通行止」の看板。あ〜、やっぱりダメか。帰宅後に確認した神奈川県のHPには「災害復旧工事の実施およびその先において路体崩落等が発生」「神ノ川公園橋付近(起点から9.0キロ)から先は大変危険ですので、徒歩も含め林道の通り抜けはご遠慮ください」とあった。犬越路トンネル手前1キロまでかなりガレていることは先駆者の情報で知っていたが、押し歩くことさえできないとは。神の川ヒュッテ側からの2.2キロの登山道を担いで上るという手段はあるが、そんな体力はない。いや、自転車なしでも上れるかどうか自信がない。仕方ない。本日はここまで。諦めよう。といっても、生きているうちに犬越路に自転車で行ける日が来るのだろうか。来ないだろうなぁ、きっと。


日陰沢橋



犬越路へは通行禁止



犬越路はここから2.2キロ



右手が神の川ヒュッテ。左が登山道



この日はここまで


 さてと。腹減ったなぁ。一番近い食堂は…県境の両国橋のとこかな。いつもは通り過ぎるだけだけど寄ってみるかな。神ノ川林道を下り、国道に出た瞬間、気がつけば転倒落車。グレーチングの上でハンドルを切ったため、見事に滑ったよ(T_T)


左から下ってきてUターン気味に曲がり、右の国道を奧へ行くはずが、中央のグレーチングに滑ってすってんころりん


 スピードは出ていなかったので左足と左手の擦り傷程度で済み、自転車にも多少キズがついたが我慢の範囲。ジャージは破れなかった。大事には至らずほっとし、気持ちを入れ替えて漕ぎ出そうとしたがクランクが回らない。あちゃー、チェーンがインナーの内側に落ちてビクともしないぞ。え? このまま外れなかったら乗れないじゃん。歩き? ここから? 40キロあるよ。それとも自転車置いてバスで帰り、車で取りに来る? いや、自転車保険のロードサービス使うか。延々と待つことになるし、だいたいでっかい車載車トラックが道志みち来られるのか分からんけど。

 などと考えながら渾身の力で引っ張ると、外れたよ(^o^) 助かった(^o^) ただ、多少気持ちが凹んだのでのんびり食事する気にならず、傷口の消毒もしたいのでそのまま帰宅した。実はグレーチングで転んだのは2度目。ともに油断していた。情けないなぁ。

 この日の走行距離は104.6キロ、獲得標高は1214メートル。

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