goo blog サービス終了のお知らせ
お父さんのマリポタ日記。
マリノスのこと、ポタリングのこと。最近忘れっぽくなってきたので、書いておかないと・・・
CALENDAR
2025年5月
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
前月
翌月
▼ランキング参加中
MY PROFILE
性別
都道府県
自己紹介
2人の娘のお父さんです。孫も3人いるじーさんです。趣味はスポーツ観戦やサイクリング、読書など。ブルベは07年から走ってますが遅いです。仕事はリタイアし、「晴走雨読」の気ままな毎日です(^o^)
SEARCH
このブログ内で
ウェブ全て
CATEGORY
サイクリング
(710)
サイクリングINDEX
(25)
ブルベ
(240)
レース・イベント
(67)
横浜F・マリノス
(154)
ファジアーノ岡山
(34)
読書
(82)
Weblog
(126)
サッカー観戦記INDEX
(3)
自転車通勤
(495)
ご報告
(1)
鎖骨骨折日記
(34)
RECENT ENTRY
「はてなブログ」へ引っ越ししました
「丹大はるさんぽ」であつぎつつじの丘公園へ
【PRIZE】村山由佳 2025年1月
昇天したガーミンEdge830が新品になって戻ってきた(^o^)
乾貴士に粉砕された横浜F・マリノス、大逆転負けで6戦白星なし
サイクリング INDEX 2025年
【全員犯人、だけど被害者、しかも探偵】下村敦史 2024年8月
圧巻! 恩田川の桜 ご近所の川沿いルートをお花見ポタ
旧甲州街道をお花見ライド(^o^)
横浜F・マリノス、クラシコはスコアレスドロー 諏訪間J1初先発 松村はデビュー
RECENT COMMENT
kのコココレいいじゃん/
相模川は河口まで行けるのか?
境川のmasa/
【ブルベ奥多摩周遊200】 12年ぶりの都民の森はやっぱりキツかった(T_T)
丸山公一/
【ブルベ奥多摩周遊200】 12年ぶりの都民の森はやっぱりキツかった(T_T)
境川のmasa/
激坂高見山 ヒロシマヒドイ そして三原で雨DNF【BRM203広島200km岡山・呉】その3
おおあぢ/
激坂高見山 ヒロシマヒドイ そして三原で雨DNF【BRM203広島200km岡山・呉】その3
境川のmasa/
早稲田を倒し慶應優勝 神宮で初めてその感激を味わう(^o^)
九十九青春サイクリスト/
早稲田を倒し慶應優勝 神宮で初めてその感激を味わう(^o^)
境川のmasa/
【無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記】 山本文緒 2022年10月
momonger/
【無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記】 山本文緒 2022年10月
境川のmasa/
【直江津集合】後編 千曲川サイクリングロードから直江津へ
BOOKMARK
goo
自転車の人気blog
あぁ、湘南の夜は更けて
青赤自転車でいこう。2
改ページ
かぜになりてぇい
じてんしゃ三昧
まさにらくがき
ヘタレ50の日記
地図ソフト作者のGPSサイクリング
昨日の続き
おいちゃんの休日サイクリング
湘南発、六畳一間の自転車生活
はじまりは今~♪
四季の花巡り
knight2000 どきメモ ver2.0
DachsDBlog
湘南自転車オヤジのまったりサイクリングは今日も明日も絶好調 (^^)/
旋風に舞う
ふぅのママチャリサイクリング
やじばばさいくる
風に吹かれて
bossのつぶやき日記
ハマたそdiary
梵語のカバな話Version.2
ヲレサイト
metroに乗って2
倉敷常日庵留守録
信ちゃん放浪記
自転車と釣り 連休はキャンプ
逆風に抗して
リビングストン←→相模原 日記
ENTRY ARCHIVE
2025年05月
2025年04月
2025年03月
2025年02月
2025年01月
2024年12月
2024年11月
2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月
2024年06月
2024年05月
2024年04月
2024年03月
2024年02月
2024年01月
2023年12月
2023年11月
2023年10月
2023年09月
2023年08月
2023年07月
2023年06月
2023年05月
2023年04月
2023年03月
2023年02月
2023年01月
2022年12月
2022年11月
2022年10月
2022年09月
2022年08月
2022年07月
2022年06月
2022年05月
2022年04月
2022年03月
2022年02月
2022年01月
2021年12月
2021年11月
2021年10月
2021年09月
2021年08月
2021年07月
2021年06月
2021年05月
2021年04月
2021年03月
2021年02月
2021年01月
2020年12月
2020年11月
2020年10月
2020年09月
2020年08月
2020年07月
2020年06月
2020年05月
2020年03月
2020年02月
2020年01月
2019年12月
2019年11月
2019年10月
2019年09月
2019年08月
2019年07月
2019年06月
2019年05月
2019年04月
2019年03月
2019年02月
2019年01月
2018年12月
2018年11月
2018年10月
2018年09月
2018年08月
2018年07月
2018年06月
2018年05月
2018年04月
2018年03月
2018年02月
2018年01月
2017年12月
2017年11月
2017年10月
2017年09月
2017年08月
2017年07月
2017年06月
2017年05月
2017年04月
2017年03月
2017年02月
2017年01月
2016年12月
2016年11月
2016年10月
2016年09月
2016年08月
2016年07月
2016年06月
2016年05月
2016年04月
2016年03月
2016年02月
2016年01月
2015年12月
2015年11月
2015年10月
2015年09月
2014年11月
2014年10月
2014年09月
2014年07月
2014年06月
2013年12月
2013年11月
2013年10月
2013年09月
2013年06月
2013年05月
2013年02月
2012年12月
2012年09月
2012年04月
2012年01月
2011年12月
2011年11月
2011年10月
2011年08月
2011年07月
2011年06月
2011年05月
2011年03月
2011年01月
2010年12月
2010年08月
2010年07月
2010年05月
2010年04月
2010年03月
2010年02月
2010年01月
2009年12月
2009年11月
2009年10月
2009年09月
2009年08月
2009年07月
2009年06月
2009年05月
2009年04月
2009年03月
2009年02月
2009年01月
2008年12月
2008年11月
2008年10月
2008年09月
2008年08月
2008年07月
2008年06月
2008年05月
2008年04月
2008年03月
2008年02月
2008年01月
2007年12月
2007年11月
2007年10月
2007年09月
2007年08月
2007年07月
2007年06月
2007年05月
2007年04月
2007年03月
2007年02月
2007年01月
2006年12月
2006年11月
2006年10月
2006年09月
2006年08月
2006年07月
2006年06月
2006年05月
2006年04月
2006年03月
2006年02月
2006年01月
2005年12月
2005年11月
2005年10月
URLをメールで送信する
(for PC & MOBILE)
?
半年ぶりの箱根旧街道 残りは2ポイントなんだけど…<かながわ歴旅ARラリー その21>
サイクリング
/
2025年02月09日
いよいよ「
あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー
」も大詰め。寒い時期には行きたくなかったが、スタンプゲットのために半年ぶりに箱根旧街道を上った。
箱根湯本駅手前の三枚橋
三枚橋を渡ると、まずは白銀荘まで1.5キロの激坂。奧湯本でいったん落ち着くが、ホテルはつはなの先から畑宿まで再び1.4キロほどの激坂が再び現れる。そしてその先は平均勾配10%超の1キロ続く七曲がり。ただし、カーブは7つではなく、12個目でやっと終わりとなる。ここでひと息入れたいが、休む間もなくこの先も10%前後の直線の上りが待っている。猿滑り坂の先の甘酒茶屋でいったん平たんになるが、またしてもきつい上りが始まる。お玉が池でようやく勾配が緩やかになり、その先をひと上りすればピークにたどり着く。三枚橋からは距離10.6キロで平均勾配は8.2%。最大勾配は13.7%。亀の歩みだったけど、66歳になっても足つきなしで上れたよ。ふぅ〜〜。
ここの標高は手元のサイコンで795メートルと表示されていたが、石畳の方の旧東海道の最高地点は843メートルのようだ。ちなみに国道1号の最高標高地点は芦之湯温泉付近で874メートルで、帰路はここを通過して下った。
旧街道のピーク
ヘロヘロになったヒルクライムを終え、芦ノ湖へ向かって気持ち良〜くダウンヒル。スタンプポイントの「箱根旧街道(石畳と杉並木)」へと向かう。天下の険を越える小田原〜三島間の8里(約32キロ)は、難所「箱根八里」として知られる。そのうち、箱根町内には江戸時代当時に敷かれた石畳が湯本茶屋や、畑宿から元箱根にかけての一部に現存しているほか、芦ノ湖畔周辺には街道の並木として植えられた杉が約400本あまり残り、往時の東海道の様子を伝えている。
実は21年前に妻と石畳を下ったことがある。途中、雨に降られてびしょ濡れに。夏だったのでそのまま湯本まで下り切ったが、足の裏が痛くて痛くて……。石畳を見るのもいやになったよ。おまけに夢にまで出てくる始末。2度と石畳は勘弁。
箱根旧街道(石畳と杉並木)
その後は芦ノ湖から箱根神社へ。鳥居付近ではゲットできず、チェックポイントは「矢立の杉」〜「手水舎」付近とある。といわれてもねぇ。どこやねん。とりあえず自転車を置けるところを探すかと駐車場へ。ここでためしにやってみると、見事ゲット。なので境内には入らず(^_^;
箱根神社。ここではゲットできず
芦ノ湖周辺で聞こえるのはほとんどが中国語。そうか、春節だったか。京都や大阪が凄いらしいが、ここも凄い。芦ノ湖の海賊船乗り場は桟橋からあふれるほどの長蛇の列。こんなの初めて見たぞ。そういえば、畑宿でタクシーから降りる観光客らしい数人を見かけた。彼らはタクシーを返し、キャリーケースを引きずったまま石畳の方へ向かったが、その後どうなったんだろうか。「わ」ナンバーの車も多かったねぇ。中には「外国の方が運転しています」なんてステッカーが貼ってある車もあったぞ。まあ、「わ」ナンバーの車には近づかないけどね。
芦ノ湖。右手の海賊船乗り場は長蛇の列
この後は国道1号を上り返して「元箱根石仏・石塔群」へ。元箱根にある精進池に面する崖面に点在する、鎌倉時代後半に彫られた磨崖仏群だそうだ。
元箱根石仏・石塔群
六道地蔵
そのまま国道1号を国道最高標高地点を通過してダウンヒル。日差しはあったが風が冷たく、気温は6度。でも厚手のウインドブレーカーを着込み、オーバーグローブも付けたので凍えるほどではなかった。
残りは2ポイント
さてと、これでスタンプは122個目をゲット。残りは2ポイントとなったが、そのうちの一つは2度行ってともに圏外だった三浦半島城ヶ島の「馬の背洞門」。まあ、コンプリートしたところで賞品があるわけでもないので、いいんだけどねぇ。楽天モバイルさん、頼みますよ。トラブルシューティングに「場所を移動する」があるけど、それじゃダメなのよ。
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
大山阿夫利神社下社でスタンプWゲット サーモボトルもゲット(^o^) <かながわ歴旅ARラリー その20 & ぐるっと丹沢・大山×宮ヶ瀬スタンプラリー>
サイクリング
/
2025年02月05日
JAF主催の厚木市・秦野市・伊勢原市・愛川町・清川村を巡る
「ぐるっと丹沢・大山×宮ヶ瀬スタンプラリー」
が1月17日から始まっていた。スタンプポイントは20カ所だが、7ポイントで先着1000人に記念品のサーモボトルがプレゼントされる。ところが開始10日間ほどで7カ所ある交換所のうち、東丹沢七沢観光案内所の景品交換が終了したという(2月初めには厚木まるごとショップ あつまるも終了)。え〜!?、そんなに人気なのか。ということで、1月29日に一気に回ることにした。
宮ヶ瀬〜清川〜伊勢原と巡り、伊勢原駅内にある「駅ナカ クルリンハウス」で交換するのが楽なのだが、いや、待てよ、「大山阿夫利神社下社」は「
あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー
」のスタンプポイントでもあるじゃないか。歴旅ARラリーのコンプリートはもう無理なんだけど、神奈川県民としては1度は行ってみたい。先日、自転車が市営駐車場に無料でとめられることを知ったし、いい機会かなと、初めてケーブルカーに乗って上まで行くことにした。
ということで、まずは愛川町の「古民家山十邸」。もう何度目だろうね(^_^;
古民家山十邸
そして中津大橋を豪快にダウンヒルし、やなみ峠を越えて飯山白山展望台(厚木市)へ。飯山観音長谷寺から20分ほど上るとあったが、麓の階段手前でスタンプがゲットできたので、ラッキー♪と上らずに引き返す。「かながわ歴旅ARラリー」だとたぶん上まで行かないとダメだろうね。「ぐるっと丹沢」は優しい。
やなみ峠
飯山白山森林公園入口
飯山観音長谷寺。ここでスタンプゲット
あつぎつつじの丘公園を越え、県立七沢森林公園、「青空と大地 七沢温泉食の市」(ともに厚木市)と巡る。「食の市」が定休日だったのは痛恨。ランチに予定していたのに(T_T)
県立七沢森林公園
青空と大地 七沢温泉食の市。定休日だった
さて、空きっ腹のまま、本日のメインイベントの大山阿夫利神社へと向かう。旧道経由で大山ケーブルバス停までは5キロ、平均勾配6.5%、最大勾配13%。終盤は10%前後の激坂が続く。汗びっしょりで上り切るが、今日はこれで終わりではない。ケーブルカーが発着する大山ケーブル駅までの「こま参道」362段の階段を上らなくてはならない。発車時刻は各時の0分、20分、40分。時計を見ると駐輪場から歩き出したのが午後1時4分。大山ケーブル駅までは徒歩15分とある。20分のロスは痛いので、階段を1段飛ばしで上って行くと9分で駅に到着した。乗ってから分かったのだが、発車5分前に改札が始まり、1分前で締め切られる。なので、発車間際の乗車はできない仕組みになっているようだ。
大山ケーブルバス停前
市営駐車場に止める。ほかにも自転車乗りがいたようで(^_^;
こま参道の362段の階段を上って行く
コマが描かれているこま参道
あと半分 ガンバレ
やっと大山ケーブル駅が見えた
最後の階段
こま参道制覇! 駅はここを右へ
20分発のケーブルカーに無事乗れたのでひと安心。ところがスマホを見ると、なんと圏外じゃないか。おい、楽天モバイル! ここもかよ。往復1270円も払ったのに、それはないだろう。もう引き返せないし…(T_T)
ケーブルカー
往復1270円
しかし、天は我を見捨てなかった。途中駅の大山寺付近でもう一度トライしてみると、なんとか1本アンテナが立った! このチャンスを逃してなるものかと、「かながわ歴旅ARラリー」、「ぐるっと丹沢」の両方のスタンプをゲット。このスタンプラリーでは最難関のポイントを制覇したぞ(^o^)
「かながわ歴旅ARラリー」のスタンプゲット
「ぐるっと丹沢」のスタンプゲット
6分後に阿夫利神社駅に到着。ここでは再び圏外となり、下社付近でも同様に繋がらず。いや、乗車中に試してみて良かったよ。
阿夫利神社下社
天空の鳥居からの眺め
ゆっくりしたいところだったが、夕方に用事があったので40分発で速攻で下山。滞在は14分(^_^;
標高678メートルと覚えやすい阿夫利神社駅からの帰りは、一番後ろの席で山側のレールを見ていた。ひっくり返りそうな急坂で20%は優に超えていると思ったが、最大勾配は47.7%だそうな。よくこんなところに線路を敷いたもんだ。
標高678メートルの阿夫利神社駅から下って行く
ひっくり返りそうな急勾配
大山寺駅ですれ違い
この後は大山バイパスを気持ち良く下って、スタンプラリーのお馴染みで、その時しか行かない「三之宮比々多神社」、「伊勢原大神宮」(ともに伊勢原市)を回り、伊勢原駅内の「駅ナカ クルリンハウス」でサーモボトルをゲット。先着1000人の中に入ったようだ。
三之宮比々多神社
伊勢原大神宮
記念品交換クーポン
「駅ナカ クルリンハウス」
サーモボトルをゲット
ただ、スタンプをこれ以上集めても賞品がないし、残りのポイントはすべて知っている所なので「ぐるっと丹沢・大山×宮ヶ瀬スタンプラリー」はアンケートに答えて特産品プレゼントに応募して終了かな。
大山は紅葉の時期も過ぎ閑散としているかと思ったが、平日というのにケーブルカーの下りはほぼ満員だったのはびっくりした。登山姿の人は90分歩いて山頂まで行ってきたんだろうか。高齢の方が多かったが、皆さん、お元気ですな。
この日の走行距離は77.8キロだったが、獲得標高は1075メートル。結構上ったねぇ。
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
馬の背洞門はやっぱり圏外 コンプリートの夢消える <かながわ歴旅ARラリー その19>
サイクリング
/
2025年02月02日
「
あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー
」のコンプリートの夢がついえた(T_T)
前回に圏外となった「馬の背洞門」
を再訪。しかしながらやっぱり圏外でスタンプはゲットできず。ウミウ展望台でもダメで、城ヶ島公園まで戻ってようやくアンテナが立った。神奈川県観光協会のご担当者さま、次回は楽天モバイルユーザーのためにここをスタンプポイントにしないで下さいね。まあ、コンプリートしても認定証がダウンロードできるだけで賞品はなく、「達成感」という自己満足で終わるだけなんだけどね(^_^;
馬の背洞門
城ヶ島
ここで繋がった
ちなみにこの「馬の背洞門」。長い年月をかけて海からの浸食でできた海蝕洞穴で、神秘的な自然の造形美が楽しめるのがウリ。前回は下まで降りたけど、繋がらないことが分かったので今回は洞門が見えたところで引き返した。
さて、ランチ。しぶき亭が再開したというので行ってみたが、まさかの定休日。プランBは昭和レトロな定食屋の「小浜屋」。2年前に行ったことがあり、とてもリーズナブルだった印象があったが、値上げしたみたい。今回もアジフライ定食を注文したんだけど、150円アップの1000円になってた。まぐろ丼は1700円だったかな。もうちょっとお安いとそっちなんだけどなぁ。
しぶき亭は定休日
小浜屋
アジフライ定食(1000円)。ご飯はこれで普通盛り
「うちのアジフライは塩こしょうで食べてね」と言われ、そういえば前回もそう言われたことを思い出した。
その後は「白秋碑苑」へ。城ヶ島大橋の下に白秋詩碑があり、近くには白秋記念館もあった。歴旅ラリーのサイトの説明は「北原白秋作詞の『城ヶ島の雨』の詩碑が建っています。ビーチサイドではバーベキューを楽しむことができます」とだけしか書かれておらず、なんとなくそっけない。この日は曇りで記念館も休館日だったことも重なり、何だかうら寂しい雰囲気だった。
白秋碑苑
白秋記念館
最後は江島神社に寄って、118個目のスタンプをゲット。これで残りは圏外の「馬の背洞門」を含めた6ポイントだが、コンプリートできないので、さて、どうすべぇ。
江島神社
いや、それより江島神社も次回は外してくれませんかねぇ。自転車を置いてあんな観光客だらけの道を歩きたくないのでね。ぜひ、お願いいたします。
この日の走行距離は123.7キロ、獲得標高は728メートル。保有ポイントはいくつか応募したので3ポイント。
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
旧東海道〜みなとみらい そして古墳はやっぱり激坂の上 <かながわ歴旅ARラリー その18>
サイクリング
/
2025年01月31日
久しぶりに新横浜から先の鶴見川沿いを走って川崎へ。この日は「
あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー
」の川崎・横浜編。
工事中の末吉橋で鶴見川を離脱し、川崎駅方面へ行き、まず最初に訪れたのが「川崎浮世絵ギャラリー〜斎藤文夫コレクション〜」。ワンコインで本格的な浮世絵体験が気軽にできるそうだが、駅近のビルの3階で自転車を置くところもないので看板を見上げただけで、すぐ近くにある「東海道かわさき宿交流館」へ向かった。
鶴見川。河口から7キロ
川崎浮世絵ギャラリー
川崎宿は江戸時代に東海道53次の1つとして栄えた宿場で、現在の川崎の街の原点となる重要な歴史的資源。しかしながらその面影はまったくない。「東海道かわさき宿交流館」の目の前は旧東海道で、次の「生麦事件碑」へ向かう際もその旧東海道を走ったが、駅周辺の人が多く行き交う繁華街を抜けると住宅街が続いていく。「旧東海道」の道標はあるが、名残さえ全く感じられない。そのため趣向を凝らして川崎宿を知ってもらおうと2013年に開設されたそうだ。
東海道かわさき宿交流館
東海道かわさき宿交流館
駐輪場があったので見学しても良かったが、このすぐ先にあるY'sRoad(ワイズロード)川崎店に寄る予定だったのでスルー。ところが行ってみるとまさかの定休日。信じられんと店舗前でしばらくあ然…。
Y'sRoadは定休日
鶴見駅の先は地図上では生麦旧道となるようだが、これも旧東海道なのかな。その道が第一京浜(国道15号)にぶつかる生麦1丁目交差点のところに「生麦事件碑」を発見した。1862年に薩摩藩島津久光の大名行列をさえぎってしまったイギリス人商人らが切りつけられた事件で、のちに薩英戦争が勃発した。切りつけられたリチャードソンが落命した場所だが、今は国道沿いでビュンビュン車が行き交い、上空を高速道路が走っている。
JR国道駅
生麦事件碑
生麦事件碑
この後はしばらく国道を走り、中央市場経由でみなとみらいへ。ワイズロードの横浜ワールドポーター店に寄る(^o^) ここは定休日なし。6階にお店があるのだが、自転車を上まで持ち込めるので安心して買い物ができる。
大さん橋近くの「象の鼻パーク」は横浜港発祥の地に開港150周年にあたる2009年にオープンした。防波堤が象の鼻の形にみえることから、そう呼ばれている。上から見ないと分からないけどね。
象の鼻パーク
象の鼻パーク
次の「鉄道創業の地 記念碑」は分かりづらいかと思ったが、あっさりと発見できた。桜木町駅前にあり、この地に明治5年(1872年)5月7日に初代横浜駅が建設され、横浜〜品川間の鉄道が開業した。
鉄道創業の地 記念碑
鉄道創業の地 記念碑
次に向かったのは磯子区岡村にある「三殿台遺跡」。「さんとのだい」と読み、縄文・弥生・古墳時代のムラの跡が標高55メートルほどの小高い丘の上にあるそうな。麓に「入口」という道標があったがここでスタンプはゲットできず。上るしかないようですな。最大で10%を超えていた気がする激坂のピークに広々とした遺跡があった。
弓矢があったので驚いた。どうやらイノシシが標的のようだ。孫が喜びそう。やってみたかったが、派手な格好をしたじーさんがやってると、変な目で見られそうなのでやめた。回りに誰もいなかったけどね。
三殿台遺跡入口
三殿台遺跡
弓矢体験が!
激坂を下って反対側に行くと、「お疲れさまでした」という道標。確かにその通りだわいと、大笑いした。
「お疲れさまでした」
この後は上大岡から上永谷、舞岡と上って下ってを繰り返し、戸塚の「大橋(広重浮世絵モニュメント)」へ。歌川広重の「東海道五拾三次之内戸塚 元町別道」に描かれている戸塚宿を代表する場所の1つだそうだが、交通量が多く学校帰りの児童が次々にやって来るので早々に退散。
大橋(広重浮世絵モニュメント)
国道1号、環状2号と走り、次に向かったのは鶴ヶ峰の「六ツ塚」。坂の上にある。北条時政によって仕掛けられた罠により討ち死にした畠山重忠をはじめ、一族郎党134騎を埋めたと伝えられている6つの塚が薬王寺の敷地内にあるそうだ。
六ツ塚
最後は三ツ境の「長屋門公園」。入口にある長屋門は明治時代に建てられ、横浜市歴史的建造物に指定されている。入口から覗くとかやぶき屋根の古民家が垣間見えていた。なかなか趣のある所だったが、到着が閉園時間の午後5時数分前。またの機会に、ってそんな機会は来ない気がするが(^_^;
長屋門公園
町中(逆走、ノーブレーキの飛び出しはやめて欲しい)や交通量の多い国道などを走ったのでストレスのたまるライドだったが、知らなかった所を見ることができ、まずまず楽しかったかな。
走行距離は84.7キロ、獲得標高は642メートル。スタンプは116/124(達成率94%)。保有スタンプは71。
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
激坂だらけの川崎の古墳巡り <かながわ歴旅ARラリー その17>
サイクリング
/
2025年01月26日
「
あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー
」で川崎の古墳を巡ったが、激坂だらけだったよ(T_T)
国道246号を走りたくなかったので、恩田川沿いから市役所通り〜歴博通りで港北ニュータウンを抜けて尻手黒川道路へ入り、まずは「子母口貝塚」へ。ところが、その場所にいるのにスタンプがゲットできず、地図上も離れている。あれれ? と思って確認するとスタンプポイントではない「子母口富士見台古墳」だった。どうも通り過ぎていたようで、せっかく上った激坂を下っていくのだが、これが分かりづらい。行き止まりも多く、散々迷ってようやく公園の奥に案内版があるのを発見した。
縄文時代早期(約8000年前)のもので、貝層からはマガキやヤマトシジミの他、スズキやクロダイ、マダイなどの魚骨も見つかっている。当時はこの丘近くまで海が入り込んでいたようだ。それが今でははるかに武蔵小杉のタワマンが望める高台の公園となった。
子母口富士見台古墳。ここはポイントではなかった
子母口富士見台古墳
通り過ぎていたようで…
はるかに武蔵小杉のタワマンが望める子母口貝塚
このあたりはどうやら「たちばなの散歩道」というらしい。調べて見ると、奈良時代の昔から川崎の大部分は武蔵国橘樹(たちばな)郡と呼ばれており、「たちばなの散歩道」は高津区、宮前区の遺跡や史跡を巡る、子母口バス停から梶が谷駅までの約5キロのコースだそうだ。そういえば地図らしきものを手にウォーキングしている人の姿を見かけたなぁ。
この後に訪れた「橘樹歴史公園」、そしてスタンプポイントではないが国指定重要文化財の木造薬師如来両脇侍像などがある「影向寺」もそのコース上にある。
橘樹歴史公園
橘樹歴史公園
影向寺
「橘樹歴史公園」は2024年5月18日、川崎市で初めて国指定史跡に認定された史跡橘樹官衙 ( たちばなかんが )遺跡群にオープンした公園。地中には飛鳥時代の役所の倉庫跡4棟が保存されており、その大きさや質感などに触れ、古代橘樹を体感できるように1棟は全体を、3棟は柱の一部が復元されている。「古代史ファン注目の歴史スポットの誕生」と川崎市は胸を張るが、激坂を上った先の住宅街の中に突如現れた広々とした空間には驚かされた。
第三京浜を陸橋で越え、少し進んだところに公園と一体となった「西福寺古墳」があった。円墳なのでぐるりと1周できるかと思ったが、反対側に道はなく、植え込みから先は古墳保護のため立入禁止となっていた。矢上川左岸に築かれた高塚古墳群の中にあって、規模が大きく保存状態も良好だそうだ。
西福寺古墳
次の「馬絹古墳」も激坂を上っていく。7世紀後半に築造されたとされる貴重な終末期古墳。直径約33メートルの円墳で、内部には全長9.3メートルの大形の横穴式石室があるそうだ。住宅に囲まれるように公園があったが、隣や目の前が古墳というのは古代のロマンを身近に感じられていいなぁ。
馬絹古墳
馬絹古墳公園
奧が古墳。ここも立入禁止
最後に訪れたのは「東高根遺跡」。県立東高根森林公園の中にあり、南側から向かったのだが、15%を超えるようなとんでもない激坂が待ってたよ。まいった(T_T)
ここには弥生〜古墳時代の竪穴住居跡が発見された古代芝生広場や、学術上非常に価値の高いシラカシ林(推定樹齢150~200年)があるそうだが、芝生広場でスタンプがゲットできたのでシラカシ林までは足を伸ばさず。園内は自転車の持ち込みも禁止のため歩きだったのでね。
東高根森林公園
東高根遺跡
古代芝生広場。遺跡らしいものはない
帰路も国道246号は通らず、たまプラーザ〜あざみ野〜青葉台〜田奈〜成瀬のアップダウンコースで帰宅。走行距離は56キロだったが、獲得標高は682メートルだった。
これでスタンプは107/124(達成率86%)。保有スタンプは62。
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
東海道を巡る 小田原ではサクッと鯵の唐揚げ <かながわ歴旅ARラリー その16>
サイクリング
/
2025年01月21日
「
あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー
」で東海道を巡った。いいお天気で、相模川からは富士山も綺麗に見え、暖かな気持ちのいい1日だった。
相模大堰管理橋から望む富士山(^o^)
箱根湯本駅手前の三枚橋を曲がって旧街道に入ったが、早川を渡ってすぐ右へ(^_^; 消防署の先をぐるりとUターン気味に曲がって9%の激坂を上ると、最初のスタンプポイントの「箱根町立郷土資料館」がある。東海道石畳の構造模型や温泉場を巡る七湯道の様子、箱根土産などの展示で江戸時代気分が味わえるそうだが、振り向いたところの箱根町役場のガラス越しに箱根駅伝ののぼり旗が見えたので、足が自然とそっちに向いた。
入ってみるとユニホームも展示しているじゃないか。そりゃそうだ。ここはまさにお膝元だもんねぇ。調べると期間限定らしい。ラッキー♪
三枚橋
箱根町立郷土資料館
箱根町役場
箱根駅伝ののぼり旗
第101回箱根駅伝出場チーム
ユニホームも展示されていた
芦ノ湖まで上れば3つのスタンプポイントがあるのだが、それは後の楽しみにとっておきましょう。寒そうだしね(^_^; ということでここでUターン。先日、テレビで紹介されていたミナカ小田原の「鯵の唐揚げ」を目指す。ミナカ小田原は20年12月4日に開業した「お城通り」沿いにある半公共的な複合商業施設で、「鯵の唐揚げ」はその3階にある「小田原吉匠」で販売されており、日本唐揚げ協会主催「からあげグランプリ」でも金賞、最高金賞を受賞しているそうだ。
注文してから揚げてくれるのでサクサクあつあつ(^o^) 人気ナンバー1の塩をいただいたが、最後はちょっとしょっぱかったかな(^_^; 足柄牛のコロッケも美味!
小田原吉匠
いろんな味がある
鯵の唐揚げ300円
この後は小田原城近くの「報徳二宮神社」へ。二宮尊徳を祀っているので境内には複数の二宮金次郎像などがあり、「きんじろうカフェ」まであった。
報徳二宮神社
ここでスタンプゲット
国道1号線を大磯まで戻り、「大磯町郷土資料館」、伊藤博文、大隈重信らにゆかりのある邸宅や庭園などの歴史的建造物が残されている「明治記念大磯邸園」、1660年ごろに小田原の崇雪が西行法師の歌にちなみ庵を結んだことが始まりという「鴫立庵(しぎたつあん)」と、近場に点在するスタンプポイントを巡る。鴫立庵は国道1号を通るたびに気になっていた道標。何だろうと思っていたが、その読み方とともにようやく理解できた。大磯町郷土資料館は手前の公園入口でスタンプがゲットできたので、歩きでの上りだったし資料館までは行かず(^_^;
大磯城山公園
大磯城山公園入口
明治記念大磯邸園。休園日でした(T_T)
鴫立庵
写
真
鴫立庵
最後は国道134号への分岐の手前を旧東海道に入って「旧東海道の松並木」へ。ここが大磯宿の江戸見附だったようだ。ここは初めて通ったが、昔の名残がある、いい雰囲気の道だったね。
大磯宿の江戸見附
旧東海道の松並木
さて、この後は国道1号をそのまま進み、前回ちゃんと見られなかった「旧相模川橋脚」をもう一度訪問。関東大震災で地中から出現した橋遺跡で、見えている橋脚は精巧な複製品。実物は腐朽が進まないよう地下2メートル65センチの所に保存されているそうだ。
旧相模川橋脚
そして「梶原景時館跡」も、もう一度訪れる。前回、写真を撮っただけでスタンプをゲットするのをすっかり忘れていた。和田城址に続き2度目ですな。
梶原景時館跡
相模グリーンロードを使って帰宅したのだが、神川橋の先から宮山付近もできていたんだね。寒川北インターから倉見までは途切れているけど。
これでスタンプは102/124(達成率82%)。保有スタンプは57。
走行距離は120.2キロだったけど、獲得標高は614メートルとほぼ平たんなコースでした(^_^;
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
「のの字橋」から天空の廃墟 そして絶景の準ミウライチ <かながわ歴旅ARラリー その15>
サイクリング
/
2025年01月18日
新年最初の「
あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー
」で三浦半島へ。
環状4号から六浦で国道16号へ出て、田浦駅前で国道を離脱し十三峠へと向かう。その上り口にあるのが「のの字橋(のの字坂)」。再びここへ来るとは思わなかったねぇ(一度目は
こちら
)。横須賀市のHPによると、戦前に城の台砲台を築き、物資を運び上げるためにつくられた道路で、道をつなぐ陸橋を「のの字橋」(いわゆるループ橋)というそうだ。正式には「十三峠陸橋」。そして公園の周辺を1回転半以上まわって登った先は旧浦賀道・十三峠となり、東京湾を望むハイキングコースとなるのだ。
十三峠陸橋。別名「のの字橋」
公園の周辺をぐるりと回って橋へ向かう
右手奥に見えるのがのの字橋
1回転半して峠へ向かう
のの字坂をぐるぐる上った先の分岐を右へ行き、上り切ったところに旧横須賀市営田浦月見台住宅がある。築64年で老朽化が進み2020年に市営住宅として廃止されて以降は「天空の廃墟」とも言われていた。廃墟なので誰もいないだろうと思ったが、車が数台とまっていて人の姿も。どうも工事か何か作業をしているみたい。そういえば、ここへ来る予習として「天空の廃墟」で検索していたら「入居申し込み殺到する"天空の廃墟"」(東洋経済オンライン)なんていう記事を見かけたことを思い出した。もう一度見返してみると、昨年から「職住一体型」の店舗兼住居として再生させようとする試みが始まっており、1期募集では29戸に対し47件の申し込みがあったそうだ。業種は製菓やセレクトショップ、作家などで、入居開始は今年7月。そうか、そのための作業か。見学らしき夫婦の姿もあった。なるほど。新しい歴史が始まるんだね。また夏にでもやって来るかな。
「天空の廃墟」と言われる旧横須賀市営田浦月見台住宅
十三峠は江戸と保土ヶ谷を結ぶ「東の浦賀みち」の最大の難所だったそうだが、特に道標などなく、ピークと思われる付近に公園があり、そこに「開拓記念碑」があったので、多分ここでしょうね。その峠の少し先に十三峠公園があるのだが、ベンチも何もない舗装された小さな広場で、駐車場というわけでもなく、不思議な空間としか言いようがない。それにしても江戸時代の最大の難所に、今現在は住宅が普通にあることには驚かされた。
ここが十三峠と思われる
十三峠から東京湾を望む
十三峠公園。キャッチボールぐらいはできるかな
その先に鹿島台とか富士見台とか高台があるので上ってみたが、木々が邪魔して富士山は見えず。
鹿島台
富士見台から富士山は望めない
富士見台の反対側で「三浦安針夫婦墓」の案内版を発見。三浦按針ことイギリス人ウイリアム・アダムスと、その妻の供養塔があるようで、「右が按針、左がその妻の墓」と記述されていたが、どこにあるねん? 右見ても左見ても何もないぞ。ストビューで後日じっくり探してみると、この案内版の反対側の階段を上ったところだったようですな。
「三浦安針夫婦墓」の案内版
見どころ満載の田浦からの山登りが終わり、ようやく本日最初のスタンプポイントの塚山公園に到着。桜の名所として「かながわの花の名所100選」「かながわの景勝50選」に選ばれている公園で、「安針塚」が隣接していることから「塚山」と呼ばれているようだ。
公園内をまっすぐに海方向へ行くと、港の見える丘。いやぁ、ここからの眺めはまさに絶景。疲れも吹き飛ぶよね(^o^)
塚山公園
港の見える丘
遙かにランドマークタワー
眼下には横須賀港
さて、この公園から国道16号にはすんなり出ることができないのは1度目に来た時に痛感していた。で、地図を何度も見返して見つけたのが「西逸見吉倉隧道」。谷戸地域の孤立を防ぐために作られた防災トンネルで車両は進入できない。ここを抜けると国道16号の汀橋交差点に出ることができるのだ。いいね!
西逸見吉倉隧道
ちょうどお昼どきだったが、走水の「味美食堂」は行列ができていたのでスルー。結局、この日のランチはコンビニめし。
その後は「神奈川県立観音崎公園」、「ペリー公園」と巡り、内陸へ入って「衣笠城址」へ向かう。観音崎公園にあったレストハウスは取り壊され、更地となっていた。何度も前を通ったが、結局、一度も寄れなかったなぁ。
観音崎公園
観音崎パークセンター。ここがチェックポイント
久里浜
ペリー公園
衣笠城は平安時代から鎌倉時代にかけて三浦半島に勢力を張った「三浦一族」の本城。ただ、城といっても石垣もなければ堀もない中世の山城だったそうで、衣笠インターの先を左手へ入ると待っていたのは「馬返しの坂」だった。見た瞬間、ひっくり返りそうな気がしたので素直に押し歩き。20%はなかったと思うけど、もう年なんで無理はやめとこ。
上り切ったところは大善寺で、どこにも衣笠城址とかの案内はなく、道はどうやら行き止まりで、上へ行くには階段しかないようだ。ここでもできるかなとやってみると、スタンプゲット。よしとしよう。これも後で調べると、その先の階段を上ったところが衣笠城址だったようだ。相変わらず事前準備ができておらず、詰めが甘いねぇ。
馬返しの坂は押し歩き
大善寺の下。ここでスタンプゲット
この後は通研通りから国道134号へ出て三浦海岸へ。城ヶ島へ行くかどうか悩んだが、帰りが遅くなりそうなのでそのまま国道を走り続ける。毘沙門から三崎をはしょったので「準ミウライチ」ですな。
三浦海岸
そういえば以前、和田城址へ行ったはいいが、スタンプをゲットし忘れたことを思い出し、再び訪問。すると急坂の手前で和田義盛の碑を発見した。鎌倉幕府の大立者だったが、三浦義村の裏切りもあって北条氏に滅ぼされた。郷土の武将のその悲運の最期を偲び、武勇をたたえて三浦市が建立したという。
和田義盛の碑
再び和田城址へ
最後は神奈川県立葉山公園。御用邸に隣接し、かつては御用邸付属の馬場だったらしい。初めて来たが、いやぁ、ここも絶景ですな。目の前に相模湾、左に富士山、右に江の島と絶好のビュースポット。たまには寄ってみてもいいねぇ。
葉山公園
左に富士山、右に江の島の絶景
前日の強風もおさまり、なかなか楽しい準ミウライチでした(^o^) これでスタンプは95/124(達成率77%)。保有スタンプは50。走行距離は132.9キロ。獲得標高は1091メートル。
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
新年吉例 阿蘇神社詣で
サイクリング
/
2025年01月13日
新年吉例の阿蘇神社詣で(^o^) 言わずと知れた多摩川サイクリングロードの羽村終点にある、サイクリストの聖地だ。といっても今年で2度目だけど(^_^;
カミさんのお墓参りの後、関戸橋から多摩サイへ。このあたりで海からは35キロ。日野橋手前が工事中でアンダーパスが通れなかったが、あとは順調。と言いたいところだが、北風野郎が絶え間なく繰り出してくるジャブと時折の強烈なカウンター攻撃で、進むことがかなりいやになった。この日は富士山も見えず、特に楽しい道でもないしねぇ。何だか足も重い。でもお守りのために行くしかない。
関戸橋から多摩サイへ
国立折り返し
くじら公園付近
海から50キロ地点。後方はJR五日市線
この多摩サイだが、いつの頃からか整備されて「たまリバー50キロ」と呼ばれるようになった。でも実際は終点の羽村堰下橋付近には53キロとペイントされており、50キロと思って走ってきたのにまだ3キロもあると知ると、騙された気分でちょっとショック。また海からの距離も微妙に違っており、「海から53キロ地点」は「たまリバー53キロ地点」より少し手前にある。
羽村の「たまリバー53キロ地点」
羽村取水堰近くにある、玉川上水を作った玉川兄弟に1年ぶりにご挨拶したあと、少し戻って羽村堰交差点から県道に入る。すぐ次の信号を左へ入ると再び多摩サイが現れるが、700メートルほど進むと行き止まりとなり多摩サイはホントに終了となる。ここにあるのが阿蘇神社の鳥居。本殿へは参道を上っていくのだが、階段となるので自転車は迂回して急坂を上っていく。
玉川兄弟の像
ホームページの交通アクセスに「多摩サイクリングロード終点」と堂々と謳い、それに呼応するように自転車のお守り(500円)があることで聖地となったようだ。いただいた時も「1年間お気を付けて」と声をかけてくれた。3年前は11月に落車して鎖骨を骨折したが、その後は2年連続で無事故。今年も無事故でいきましょう(^o^)
阿蘇神社
自転車守り
遅いランチは、道の駅八王子滝山で刻みタマネギ入りの八王子ラーメン大盛り(900円)。日差しはあったが身体は冷えていたので、あったまって生き返った気分。
八王子ラーメン大盛り(900円)
国道16号で八王子を通過し、御殿峠を上った後は尾根緑道(戦車道)〜境川サイクリングロードでのんびりと帰宅。境川はまだ一部で迂回区間があるが、鶴間橋周辺の工事が両岸とも終わったみたい。
走行距離は100.8キロ、獲得標高は869メートル。
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
2025年走り初めは相模グリーンライン <かながわ歴旅ARラリー その14>
サイクリング
/
2025年01月10日
ようやく今年の話となります(^_^;
1月4日に走り初め。「
あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー
」のスタンプゲットで近場を回ってきた。
まずは相模グリーンライン自転車道で平塚方面へ。いつもはくっきり見える富士山も珍しくこの日は雲の中。残念。
相模グリーンライン
相模大堰管理橋を渡って右岸へ行き、神川橋まで一般道を走る。この区間の相模川沿いの道はダートなんでね。
神川橋から広々とした川沿いの土手道を走り、湘南銀河大橋で離脱。「相模川流域の自然と文化」をテーマに歴史、考古、民俗、生物、地質、天文の6分野からなる地域総合博物館の「平塚市博物館」へ向かう。周辺に美術館や図書館もあり文化的香りが漂うゾーンだが、博物館前にある文化公園にはなぜかD52が展示されていた。案内版によると、御殿場線を走っていたそうで、市内のSLファンたちの熱意によりスクラップ化を免れ、ここへ移されたらしい。ちなみに近くには市役所、警察署、平塚八幡宮、レモンガススタジアム平塚などもある、まさに街の中心。
平塚市博物館
D52型403号蒸気機関車
この後は旧東海道を走って「平塚宿の江戸見附」へ。本来、見附が城下に入る門を示すように、宿見附も宿の出入り口を意味する。同時に宿を守る防御施設としての役割もあるそうだ。平塚宿の見附は2個所で、江戸側にあるものを江戸見附、京側にあるものを上方見附と呼んだ。この間が平塚宿内で、町並みは東西に14町6間(約1.5キロ)続いていたという。
平塚宿の江戸見附
お次は東海道を江戸方面へ向かい、相模川を馬入橋で渡り、小出川沿いにある「旧相模川橋脚」へ。建久9(1198)年に源頼朝の重臣稲毛重成が亡き妻の供養のために架けた橋の橋脚で、大正15(1926)年に国の史跡に指定されたそうだ。橋落成供養に参列した頼朝が、帰途で義経らの亡霊に遭い落馬したと伝えられている。
実は国道沿いにあるのを見ただけで満足してしまい、奧まで行かなかったのは痛恨。ここはあまり通る機会がないからなぁ。
旧相模川橋脚
その後は小出川沿いを北上し、JR香川駅を経由して大岡越前通りへ出て茅ヶ崎博物館の裏手にある「民俗資料館 旧和田家住宅・旧三橋家住宅」へ向かう。その目の前にある大岡越前の菩提所の淨見寺に行ったことがあるので土地カンはばっちり。江戸末期の安政2年(1855年)に建てられた大型民家で、昭和57年に解体し、同年7月に茅ヶ崎市が重要文化財に指定。移築復元して昭和60年(1985年)4月に開館したという。
旧和田家住宅
大岡越前通りを戻り、寒川方面へと向かい「梶原景時館跡」へ。碑があるだけなので、最初は気がつかずスルーしてしまった。治承4年(1180年)8月、源頼朝挙兵の時、石橋山の合戦で洞窟に逃れた頼朝の一命を救い、翌年正月、頼朝の信任厚い家臣となって鎌倉幕府の土台を築くことに貢献した。一宮を所領としており、この地に館を構えたという。そうか、大泉洋を見逃してやった中村獅童か。
梶原景時館跡
「一之宮公園」はそのすぐ近く。かながわの公園50選に選ばれているそうだが、緑道にあった廃線跡に驚いた。何でも西寒川支線が大正11年(1922年)5月10日に相模川の砂利輸送線として寒川〜四之宮間が開通。砂利輸送に始まり、貨物、旅客営業も行われたが、昭和59年(1984年)3月31日、開業から62年の歴史に幕を閉じたという。現在、線路跡は一之宮緑道として整備され、西寒川駅跡には20メートルほどレールが残り、八角広場として憩いの場になっている。なるほど、それで駅名標が「げーとひろば〜はっかくひろば」なんだね。
一之宮公園
西寒川支線廃線跡
廃線跡の緑道
さて、最後は「寒川神社」。寿永元年(1182)に源頼朝が妻の政子の安産祈願のため奉幣の使者を遣わし、誕生したのが源頼家。その10年後には神馬を奉納し、実朝誕生に際して安産のため誦経を依頼したという。
緑道を走り、JR相模線の踏み切りに出ると、大渋滞。そりゃそうだ。今日は1月4日だもんね。一の鳥居から車はピクリとも動かない。なんとか神社前までたどりついたが、ここではスタンプはゲットできず。しかし、人が多すぎて本殿には近づけそうもない。仕方ないので唯一、車も人もいなかった道を大回りして裏へ出て、管理棟通用門まで行ってようやくゲット(^o^)
寒川神社管理棟通用門
これでスタンプは89/124(達成率72%)。保有スタンプは44。
帰路は倉見駅の裏から相模グリーンライン終点へ入り、そのまま5キロ先の海老名の始点まで。座架依橋から湘南銀河大橋まで全線開通してくれると助かるんだけど、工事してる様子もないのでいつになることやら。
走行距離は74.3キロ。獲得標高は281メートル(^_^;
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
2024年走り納めは境川CR <かながわ歴旅ARラリー その13>
サイクリング
/
2025年01月08日
これで昨年の話がようやく終了です(^_^;
2024年の走り納めは境川サイクリングロードを軽く。ついでに「
あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー
」の近場のスタンプポイントも回りましょう。
国道1号をくぐり、藤嶺藤沢の前から藤沢橋へ向かう途中にあるのが「藤沢市ふじさわ宿交流館」。何百回もここを通っているが、そんなものがあるなんて全く知らなかった。東海道の宿場町として、大山詣や江の島詣をする人々の交通の要衡となった藤沢宿の歴史や文化に触れることができるそうだ。バイクスタンドがあったのには驚いた。しかし、この日は年末28日で当然、休館日。まぁ、いつでも来られるし、また改めて。
境川サイクリングロードの鷺舞橋
藤沢市ふじさわ宿交流館
国道467号に出て少し白旗交差点方面へ進んだ先には「旧桔梗屋」がある。江戸時代の嘉永年間(1848~1855年)ころから東海道の藤沢宿で茶や紙の問屋を代々営んでいた旧家で、現在の建造物のうち店蔵と主屋は明治44年(1911年)に竣工された。国登録有形文化財(建造物)。「かながわ歴旅ARラリー」のポスターが貼ってあるが、ちょっと違和感が(^_^;
旧桔梗屋
この後は白旗交差点から旧東海道を西へ進む。国道1号に出ると、この付近は箱根駅伝のコース上ではないが、交通規制の立て看板。ワクワクするねぇ。
箱根駅伝の交通規制の立て看板
辻堂駅の手前に「藤沢市藤澤浮世絵館」があるはずだが見当たらない。何度か行ったり来たりを繰り返し、ようやく「ココテラス湘南」の7階にあることを発見した。東海道藤沢宿や江の島の浮世絵をはじめとした郷土資料の鑑賞ができるそうだ。「藤沢と江戸の出版事情 ~蔦屋重三郎と絵師たち~」が2025年2月24日まで展示されているので、大河ドラマの予習で見に行った方がいいかな。
藤沢市藤澤浮世絵館
これでスタンプ獲得数は83/124。保有スタンプは38。
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
近場の古民家巡り <かながわ歴旅ARラリーその12>
サイクリング
/
2025年01月06日
昨年末の話がもう少し続きます(^_^;
「
あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー
」の「その12」で、近場の古民家を巡った。意図したわけではなく、たまたまルートを引いたらなぜか古民家ばかりになってしまったのよね。
まずは相模原の「旧中村家住宅」へ。以前、勝坂遺跡へ行ったが、そのすぐ近く。またここに来ようとは思わなかったねぇ。幕末期に勝坂のお大尽と称された中村家が建築した豪勢な擬洋風建築で、1階の外観は和風だが、2階はなまこ壁で縦長に配した窓などに洋風の要素を取り入れている。鎌倉大工の石井甚五郎が建築を手掛け、10年の歳月をかけて完成したそうだ。
旧中村家住宅
次は愛川町の「古民家山十邸主屋」。中津川沿いにあり、
「ぐるっと丹沢・大山×宮ヶ瀬スタンプラリー2024」で初めて訪れた
が、それ以来、狭い県道の回避ルートとしてこの前は何度も通るようになった。明治16年(1883年)、中津地区の豪農・熊坂半兵衛 の邸宅として建てられた。「山十」(やまじゅう)は、この熊坂家の屋号。
古民家山十邸主屋
この後は中津大橋を中津川に向かって豪快に下り、八菅からやなみ峠で越えてまつかげ台へ下り「古民家岸邸」へ。明治24年(1891年)に建造されたと言われる歴史的建物で指定有形文化財。残念ながらこの日は休館日。
やなみ峠
古民家岸邸
荻野から七沢へ抜け、江戸時代から続く老舗の蔵元「黄金井酒造」でスタンプをゲットし、そのまま伊勢原まで南下して江戸時代初期の元和年間(1615~1624)に創建されたという「伊勢原大神宮」へ。
黄金井酒造
伊勢原大神宮
そろそろお昼どきとなったので、柏木牧場(スタンプポイントではありません)で牛メンチカツ丼(540円)で腹ごしらえ。
柏木牧場
牛メンチカツ丼(540円)
満腹となった後は大和市の泉の森内にある「大和市郷土民家園」へ。大和市内で江戸時代に建てられた2棟の古民家を移築復元した施設で、市内に現存する最古の家屋である旧小川家主屋と、養蚕農家の建築の特徴が現れている旧北島家主屋が見学できる。
旧小川家主屋
旧小川家主屋
旧北島家主屋
旧北島家主屋
旧北島家主屋
ここは娘たちが小さいとき、竹馬やコマなどの昔遊びのコーナーがあってそこで遊んだ記憶があるねぇ。
この日の最後は本当にご近所の「大和市下鶴間ふるさと館」へ。市指定重要文化財の旧小倉家住宅の母屋と土蔵が復原されている。母屋は安政3年(1856)に建築され、東海道の脇街道である「矢倉沢往還」の下鶴間宿に残された宿場町時代の唯一の商家建築だそうだ。
大和市下鶴間ふるさと館
下鶴間宿
旧小倉家住宅
江戸と明治へタイムスリップしたライドだったが、夕方に用事があって時間がなく、ゆっくり見られなかったのは残念。
これでスタンプポイントは80/124。保有ポイントはただいま35ポイントで、30スタンプ賞の応募権をゲット(^o^)
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
古墳とD52とロマンスカー <かながわ歴旅ARラリーその11>
サイクリング
/
2025年01月03日
話は戻って昨年末の話です(^_^;
「
あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー
」もいよいよ最後の第3章「江戸・幕末・明治を疾走」が12月23日からスタート。見たところ、これまで行った場所のご近所があったりしてちょぴり萎えるけど、ま、気持ちも新たに頑張りましょう(^o^)
まずは秦野の「二子塚古墳」へ。秦野市内唯一の前方後円墳で、古墳時代後期(6世紀後半〜7世紀)の築造と考えられている。下大槻団地の敷地内にあるとかでちょっと分かりづらかったが、なんとか発見。しかし、入口らしきところは南京錠がかかり、中へは入れず(T_T)
二子塚古墳
次は水無川を遡って「桜土手古墳公園」を目指す。上りは緩やか。広々とした河川敷になんとなく癒され、視線の片隅には冠雪の富士山が常に顔を出している。この道は下ったことしかなかったので、この景観は新発見。途中で右手にあった秦野市役所などは、真正面に富士山ば〜んで仕事していても気持ちいいんでないかい。いや、毎日見てると飽きちゃうか。だけどね。その市役所の先に富士見橋があるんだけど、なぜかここからは富士山が見えなかったのは不思議。
堀戸大橋を渡った先に公園があった。目の前の信号が「古墳公園前」。分かりやすい。6世紀末~8世紀初頭に築造された35基の古墳から構成されていたが、23基の発掘調査が行われ、残り12基のうち6基が保存されているという。それらとは別に「復原古墳」もあった。「復原」? 「復元」じゃないの? と疑問に思って調べると、「復元」は「失われたものをかつての姿どおりに新たに作ること」、「復原」は「始めの姿が改造されたり、変化してしまった現状を元の姿に戻すこと」だそうだ。隣接の「はだの歴史博物館」は月曜で休館日。残念。
桜土手古墳公園
復原古墳
この後は渋沢丘陵を越え「矢倉沢往還」へ向かう。江戸城の赤坂門(赤坂見附)から相模国、足柄峠を経て駿河国沼津宿を結び、東海道の脇街道として発達した道で、自宅の近所にもあるが、スタンプポイントは大井町篠窪にある石碑。その先には富士見塚見晴展望台があり、どこから来ても激坂が待っているという、自転車乗りにとってはお馴染みの場所だ。
矢倉沢往還の石碑
富士見塚(展望台より少し手前)から富士山を望む
富士山を見ながら豪快に下った後、未病バレービオトピアへ向かって少し上ったところにあるのが「金子台遺跡」。約3500年前(縄文時代後期)の人々が地面に穴を掘って遺体を納めた後、地上に複数の石を並べた墓地と思われ、ストーンサークル(環状列石)と呼ばれている。ここは何回か通っているけど、その存在はまったく気がつかなかった。
ストーンサークル
次に訪れたのはJR松田駅近くにある「二宮尊徳生誕地栢山道碑」。二宮尊徳は天明7年(1787年)7月23日に相模国足柄上郡栢山村(小田原市栢山)の百姓利右衛門の長男として誕生した。その生誕地への道標なのだが、なぜ、栢山ではなく6キロ先の松田にあるのか。
建立したのは御木本真珠店(現在のミキモト)創業者で、「世界の真珠王」と呼ばれた御木本幸吉。尊徳の事績に感銘を受けた御木本は1909(明治42)年に人手に渡っていた生誕地を私費で買い取り、同じ年に参拝者のために「道碑」を松田駅に設置した。小田急線はまだ存在せず、栢山へ行くための当時の最寄り駅は「約一里半」の東海道線の松田だったのだ。当時の東海道線は山北、御殿場回りで、国府津〜熱海間が開通したのは大正14年だった。
二宮尊徳生誕地栢山道碑
その御殿場線に沿って山北方面へと進む。山北駅は明治22年、東海道線の開通によりできた駅で、前述の通り昭和の初めに御殿場線になるまでは鉄道の町として大変賑わい主要駅として栄えたという。「山北鉄道公園」には全国で唯一の動態状態で保存されている機関車D52が展示。月一で整備運行を実施しているそうだ。
山北鉄道公園
さてと。いい時間なのでお昼ですな。行きつけの「ポッポ駅前屋」は定休日だったので「小料理珠亭」へ。悩んだ末におすすめの「トンカツ定食」950円。このお店は靴を脱ぐのでくつろげるのよ。ちなみに料理長はこれまでに箱根などの旅館でも料理長を務めてきた、この道約50年のベテランだそうだ。
バイクスタンドのある山北観光案内所
小料理珠亭
トンカツ定食
満腹となった後は開成町へ。いつも通り過ぎるだけの「あしがり郷 瀬戸屋敷」。300年の歴史ある古民家だそうで、スタンプポイントだし今日こそは入ってみようか。あぁ、でも今日は月曜日だ。そう、こういうところは月曜が休館日なのよねぇ。
「あしがり郷 瀬戸屋敷」は休館日
その後は「道の駅足柄・金太郎のふるさと」を経由して開成駅へ。道の駅の相州牛ウニとろ牛めしは美味そうだったけど、3580円か。口にできる日がやってくるのだろうか。ボーナスももうないしねぇ…。
道の駅足柄・金太郎のふるさと
開成駅東口にいたのは「ロンちゃん」。昭和41年から平成11年まで現役車両として活躍したロマンスカー3100系NSE車が展示されており、公募により愛称が「ロンちゃん」となったそうだ。へ〜、ここにこんなものがあるとはねぇ。驚いた。月2回と、あじさい祭り期間中、夏休みなどに車内を公開しているが、西口から東口へ行くのがひと苦労なので、もう寄ることはないかな(^_^;
ロンちゃん
最後は中井町の「おもしろ体験博物館江戸民具街道」。以前に寄った「五所八幡宮」のすぐ近くで、そういえばそんなものがあったという記憶が蘇ってきてすぐ分かった。ここでは江戸、明治、大正、昭和初期の世界にどっぷりつかれるという。コスレプレーヤー大歓迎だってさ。土日祝日だけの開館なので、当然この日は休館日。
おもしろ体験博物館江戸民具街道
この日は10カ所のスタンプポイントを巡った。そのうち第3章は6カ所。ちょうどこの日の朝に第3章のスタンプポイントが発表され、行く予定だったポイントの近くにいくつかあることが判明。地図がなくても行ける場所だったので、あちこち足を伸ばしてみた。これでスタンプは73/124。保有スタンプは28。走行距離は127.5キロで獲得標高は1034メートル。
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
明けましておめでとうございます(^o^)
サイクリング
/
2025年01月03日
goo ブログの不具合で遅くなりました。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
2024年は9043キロ
サイクリング
/
2024年12月31日
2024年の年間走行距離は9043キロ。10年ぶりの1万キロ突破は残念ながらならず(T_T) ブルベDNSの4本が痛い。やっぱ雨に弱いとダメですな。
遠征は帰省を兼ねたAJ広島主催の
「BRM203広島200km岡山・呉」
のみ(DNFだったけど(^_^;)。プライベートで土日が珍しく忙しかったこともあるけど、ちょっと寂しいね。来年は遠征であちこち行きたいなぁ。といっても前半は超重要なミッションがあるので多分ダメで、夏以降になるけどね。
とにかく来年も気持ち良く、事故なく、力が続く限りどこまでも走ろう!
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
初雪の中を金沢文庫へ そして鎌倉を巡る <かながわ歴旅ARラリーその10>
サイクリング
/
2024年12月28日
「
あの時代にタイムスリップ!?かながわ歴旅ARラリー
」第2章「武士の世へ!いざ鎌倉から戦国探訪」の「その7」で鎌倉を巡った。
この日は自転車を置いて歩くシーンが多くなると思い、キックスタンドの付いたグラベルロードのJARIにまたがり、まずは「金沢文庫」に向かう。
走り出してすぐボツポツと降り始めたと思ったら、なんと雪だった! もしかして初雪? そういえば前夜の予報で雪が降るかもと言ってたけど、市街地まで降るとは。気がつけば結構な降りとなったが、まあ、これから向かう南の空は晴れてるので大丈夫だろうという予想通り、いつの間にかやんでくれたので助かった。
朝比奈インターから環状4号を離れて釜利谷方面へ行き、金沢動物園前を経由して金沢文庫へ。坂だらけの住宅街を迷いながら、やっと奧まったところにある建物を発見した。北条義時の孫にあたる北条実時が創設した武家の文庫で、現在歴史博物館として活動し、2万点を超える国宝を保管しているそうだ。ここも65歳以上は入場料100円。今日は急いでいるので、いずれまた(^_^;
金沢文庫
この後は国道16号を少し走り、六浦交差点を右折して鎌倉方面へ向かうのだが、この交差点はどうやって右折したらいいんでしょうかね。歩道橋のみで横断歩道がないT字路。車は右折車線があるからいいが、自転車はどうあがいても曲がれない。次の信号を渡って戻ってくるしかないのかな。
さて次に行くのは「名越切通(なごえきりどおし)」。鎌倉時代に尾根を堀割って造られたとされる通行路で「鎌倉七口」のひとつ。鎌倉と三浦半島を結ぶ道として重要な役割を果たしたという。自転車に乗り始めた頃、つまり十数年前に法性寺側から上ったことがあるが(もちろん徒歩)、とても苦労した覚えがあったので今回は亀ヶ岡団地側からアプローチした。
披露山公園とは反対側にある団地の中の急坂を上り続け、ピークとなる付近に切通の入口を発見した。山道を少し分け入って見ると、すぐに第1切通が見えてきた。なんだ、こんなに簡単に来られるじゃないかと拍子抜け。いや、住宅地のすぐ裏手にこんな歴史的なものが残っていることに驚くべきか。
徒歩で第1切通の岩の間をすり抜けて進むと、右手に「まんだら堂やぐら群」への階段がある。やぐらとは四角い横穴に石塔を建て、納骨や供養をするところだが、この日は保存工事中で立入禁止となっていた。残念。
名越切通
名越切通
第1切通
まんだら堂やぐら群はここを上っていく
亀ヶ岡団地からは勾配10%超の急坂を下ってほぼ一直線に県道へ。その途中、お母さんのママチャリが凄い勢いで下っていく姿に仰天した。慣れるとあのスピードが出せるのか。こっちは怖くておっかなびっくり。フルブレーキでゆっくり下って行くしかないというのにね。
で、この後は逗子ハイランドを上って下る。横浜も逗子も坂だらけだねぇ。
次の「永福寺」はテニスコートの向こうにあった。源頼朝が建立した寺院の跡で、応永12年(1405年)に焼失した。発掘調査で発見された建物の基壇や苑池などを復元して公開しているのだが、駐車場の先のじゃり道を抜けると、広大な空間がぽっかりと空いていて驚いた。
ここを抜けると永福寺跡
永福寺跡
その近くにあるのが「法華堂跡」。鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓と、幕府の2代執権として武家政権の確立に大きく貢献した北条義時の墓があるが、階段があったのでお墓までは行かず(^_^;
法華堂跡
この付近は鶴岡八幡宮のすぐ東にあたる所で初めて迷い込んだのだが、隠れ家的でおしゃれな飲食店を見かけた。人通りもそれほどではなかったので穴場といっていいかも。まあ、見るからに高そうなのでスルーしたけどね。
この後は小町大路から江ノ電和田塚駅へ。スタンプポイントの「鎌倉彫工芸館」前には「かながわ歴旅ARラリー」のポスターが飾られていて気合が感じられたが、人の姿はほとんどなかった。その目の前にあるのが「和田塚」。鎌倉幕府内部抗争による北条義時と和田義盛の武力衝突(和田合戦)の結果、和田一族敗死の屍を埋葬した塚と言われている。ここも初めて通った。
鎌倉彫工芸館
和田塚
そのまま由比ヶ浜へ出て国道134号を西へ少し行くと「鎌倉海浜公園坂ノ下地区」。この前はもう何度も通り、ここに公園みたいなものがあるとは認識していたが、まさか三代将軍源実朝の歌碑があるとは夢にも思わなかった。歌碑には「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも」と刻まれ、鎌倉観光公式ガイドによると歌碑の台座は船を、歌碑板は帆を、手前(芝でおおわれて見えないが)は波を表しているそうだ。いや、ほんとこのスタンプラリーは勉強になる。何度も言うけど(^_^;
鎌倉海浜公園坂ノ下地区の実朝の歌碑
この後は引き返し、長谷〜大仏前と走り、大仏トンネルを抜けて梶原まで行き、そこから源氏山公園を目指す。ここも名越切通と同じで、「鎌倉七口」を制覇しようとした十数年前に「化粧坂(けわいざか)」から自転車担いで上っていこうとしたが、あまりの岩場に断念。その後、カミさんと銭洗弁天から徒歩で行ったという思い出の場所だ。今回は梶原からなのでたぶん一番楽なルートのはず。
自転車で行けた、というか乗れたのは葛原岡神社の少し先まで。突き当たりっぽいところで銭洗弁天方面への分岐があり、左手が源氏山公園方面なのだが、ここからは進入禁止となっていた。少し押し歩いて行き、急坂をぐいっと上ったところに頼朝像があった。広場もあり、春には桜、秋には紅葉が楽しめるそうでお弁当でも持ってきたいところだが、展望は樹木に遮られて残念ながらまったくないのは残念。
源氏山公園の頼朝像
亀ヶ岡団地も逗子ハイランドもそうで、ここもそうだが、急坂や狭い道幅をものともせず住宅はあるもんですな。
鎌倉方面のスタンプを全てゲットし、北鎌倉へダウンヒルして帰宅。途中、境川の下分橋近くの「薬王院(信法寺別院)」でこの日9つ目のスタンプゲット。ここは上和田の地頭であった和田義盛が建立したそうな。え? ここにも和田義盛がいたのか? 三浦半島の和田城じゃないのか? お墓は和田塚だよね。行動範囲、広すぎない? 一体、どうなってる?
薬王院(信法寺別院)
まあ、いろんな言い伝えがあるんでしょうね。歴史はロマン。過去にも夢がある。だから面白い。
さて、これでスタンプポイントは63/83。保有ポイントは30ポイント賞に応募したので、ただいま18ポイントまで逆戻り。
▼ランキング参加中です
コメント(
0
)
|
Trackback()
«
前ページ
次ページ
»
goo ブログ
編集画面にログイン
ブログの作成・編集
gooおすすめリンク
おすすめブログ
【大皿ポテトはどちらで食べる?】「手づかみ」or「箸」
@goo_blog
【お知らせ】
【11/18】goo blogサービス終了のお知らせ
【PR】プロ直伝・dポイントをザクザクためる術
【PR】安い&大量の「訳あり商品」がヤバい!
【PR】ドコモのサブスク【GOLF me!】初月無料
【大皿ポテトはどちらで食べる?】「手づかみ」or「箸」