OSC北海道の次の日は何をしようかと考えましたが、小樽旅行にしました。
理由としては、札幌からすぐ近いこと(ただし帯広の距離感で)、あまり行ったことがないこと、北海道としてはわりと歴史的な建造物が多いこと、鉄道ひとり旅に出てきた小樽総合博物館に行ってみたかったことが理由です。
行く1ヶ月ぐらい前に親に電話したところ、5月上旬に小樽観光したばかりということで、本当に小樽にするか迷ったのですが、やっぱり押し通すことにしました。
6月19日当日は、母と祖母が帯広から来てくれることになり、午前10時頃私が宿泊しているホテルに来てくれました。しかもホテルが北24条にあるため、札樽自動車道に乗ると小樽はすぐそこなのです。いやあ、いいホテルを取ったものです。何も考えてなかったんですけど。
いちおうカーナビはあったものの、道に迷って最初に着いたのは小樽祝津パノラマ展望台です。ここでデジカメにSDカードを入れ忘れていることに気づきました。
ご覧のとおりとてもきれいなところで、行ってよかったです。
続いて本来の最初の目的地である小樽貴賓館に行きました。牡丹と芍薬が見頃ということだったのですが、牡丹はすでに終わり、芍薬が少し咲いているだけでした。また、本来は中に入って見たかったのですが、時間の都合上結局食事だけにしました。
無料エリアから有料エリアを見たところ(身もふたもない)
大変おいしゅうございました。いい値段しましたけど、お金出したの私じゃないんで……。
その次に向かったのが小樽総合博物館ですが、手前のホーマックで無事にSDカードをゲットしました。
小樽総合博物館に入ったのは私一人で、2時間弱いたのですが、とても全部見られた気はしません。
回転台とか初めて見ましたよ
1952年製スハフ44 1
現金輸送用のマニ30。私と同い年
マニ30の外見
ED76。テキトーな写真
C55。これもテキトー
見えないと思いますけど、私の好みの日本語Bi-Diです。「蝦夷」が"YESSO"になってるので、昔は濁らなかったのかも知れません
音更線ってなんだよ!!
さらに向かったのが日本銀行旧小樽支店金融資料館です。去年見た小林一三のドラマに古い銀行が出てきて、実際どんなところか行ってみたくなったのです。そういえばブラタモリで、小樽には古い銀行がたくさん残っているので、その中で博物館っぽくって普通に入れそうなところ……と調べてみるとここだったので、ちょうどよかったのです。
いやあ、期待以上に最高だったといわざるを得ません。やっぱり銀行にはカウンターがないといけませんし、金庫にも入ってみたいです。日銀がやっているなら古い紙幣もみたいじゃありませんか。建物は明治45年建築で、しかも辰野金吾の設計ですから、文句のつけようもありません。このすべてが満たされる奇跡の場所でした。
ちなみに祖母も一緒に行ったのですが、昭和21年に発行された1円札に見覚えがあるということで、昭和3年生まれはマジパないなと思ったわけです。
日本銀行旧小樽支店金融資料館の外見
日本銀行旧小樽支店金融資料館の中その1
日本銀行旧小樽支店金融資料館の中その2
カウンターの中から入り口を見たところ。最高!!
金庫に潜入。1000億円!!
元支店長室から元応接室を見たところ。当時のガラスですよ!!
かかりのお姉さんご推薦の蝶番! これも当時のもので、日本には製造する技術がなくて輸入品とのこと
自分用おみやげのボールペン
同じく自分用おみやげのストラップ
祖母が何でもかんでも和暦で話をするため、皇紀というものに聞き覚えがないか聞いてみたのですが、どうも記憶になかったようです。しかし皇紀2600年(昭和15年/1940年)にはそれをお祝いするパレードを行った記憶があるということで、驚いてしまいました。プロパガンダとはいえ、ど田舎でもそのような行事が行われたことから、祝賀ムードが伝わってくるというものです。まぁそもそも皇紀自体が多分にプロバガンダなわけですが。
閑話休題。この近くには同じく元銀行だった建物がたくさんあるというのはブラタモリでやってたとおりですが、現在はお土産物屋、レストラン、ホテルなどなどとして活用されており、入るだけであればそれほど難易度は高くなさそうです。なお、ブラタモリで旧三井銀行に行ってましたが、あれは当時石屋製菓の所有だったものの、現在は手放してニトリが所有し、美術館になるんだそうです。わりと行きやすくなりますね。
金庫の中では1億円相当の札束と同じ重さのもの(多分神だけで刷ってないもの)を持つことができたのですが、祖母が大はしゃぎでした。だいたい10kgだそうです。
わりと暇だったからか、係のおば……お姉さんにいろいろ話をお聞きすることができ、1時間ぐらいいるつもりが1時間半ぐらいいました。地下がボイラー室になっていて、オイルショックの前後ぐらいまで石炭を焚いていたなんて、お話をお聞きしないと絶対にわからない事実ですよ。
帰りに、自分用に使用済みの紙幣の破片が入ったボールペンとストラップを買いました。こういうおもしろグッズ好きなんですよねぇ。
とりあえず見たかったところはこれでおしまいというわけで、適当に車を止めて(路上駐車したという意味じゃないですよ)運河の方に歩いていきました。
誰がどう見ても小樽の運河という面白くもなんともない写真
あとは特になかったのでぐるっと散歩して札幌に戻ってきました。母と祖母は私と同じホテルを取っていたので、チェックイン後しばらくまったりしてごはんをどこに食べに行くか話をしていたわけですが、とりあえず近くを歩いて適当な居酒屋さんに入ったのですが、とても美味しくて満足しました。昔ほど食べられなくなったのに、たくさん食べさせようとする祖母には辟易としましたが、そんなもんなのかなと思います。
ここからあとは楽しい話はまったくなく、深夜に腹痛で目覚めてえらい目に会い、飛行機に乗る前にはポカリとアクエリアスの500mlをそれぞれ1本日しか口にできないというしんどい(北海道弁でいうところの「こわい」)状態でした。飛行機の中では超爆睡だったのですが。
敗因は気温を見誤っていたことと、全体的にあまり眠れなかったことだと思います。次にOSC北海道に参加しても懇親会には参加せず、適当にラーメンでも食ってさっさと寝ないとダメだなと思いました。
理由としては、札幌からすぐ近いこと(ただし帯広の距離感で)、あまり行ったことがないこと、北海道としてはわりと歴史的な建造物が多いこと、鉄道ひとり旅に出てきた小樽総合博物館に行ってみたかったことが理由です。
行く1ヶ月ぐらい前に親に電話したところ、5月上旬に小樽観光したばかりということで、本当に小樽にするか迷ったのですが、やっぱり押し通すことにしました。
6月19日当日は、母と祖母が帯広から来てくれることになり、午前10時頃私が宿泊しているホテルに来てくれました。しかもホテルが北24条にあるため、札樽自動車道に乗ると小樽はすぐそこなのです。いやあ、いいホテルを取ったものです。何も考えてなかったんですけど。
いちおうカーナビはあったものの、道に迷って最初に着いたのは小樽祝津パノラマ展望台です。ここでデジカメにSDカードを入れ忘れていることに気づきました。
ご覧のとおりとてもきれいなところで、行ってよかったです。
続いて本来の最初の目的地である小樽貴賓館に行きました。牡丹と芍薬が見頃ということだったのですが、牡丹はすでに終わり、芍薬が少し咲いているだけでした。また、本来は中に入って見たかったのですが、時間の都合上結局食事だけにしました。
無料エリアから有料エリアを見たところ(身もふたもない)
大変おいしゅうございました。いい値段しましたけど、お金出したの私じゃないんで……。
その次に向かったのが小樽総合博物館ですが、手前のホーマックで無事にSDカードをゲットしました。
小樽総合博物館に入ったのは私一人で、2時間弱いたのですが、とても全部見られた気はしません。
回転台とか初めて見ましたよ
1952年製スハフ44 1
現金輸送用のマニ30。私と同い年
マニ30の外見
ED76。テキトーな写真
C55。これもテキトー
見えないと思いますけど、私の好みの日本語Bi-Diです。「蝦夷」が"YESSO"になってるので、昔は濁らなかったのかも知れません
音更線ってなんだよ!!
さらに向かったのが日本銀行旧小樽支店金融資料館です。去年見た小林一三のドラマに古い銀行が出てきて、実際どんなところか行ってみたくなったのです。そういえばブラタモリで、小樽には古い銀行がたくさん残っているので、その中で博物館っぽくって普通に入れそうなところ……と調べてみるとここだったので、ちょうどよかったのです。
いやあ、期待以上に最高だったといわざるを得ません。やっぱり銀行にはカウンターがないといけませんし、金庫にも入ってみたいです。日銀がやっているなら古い紙幣もみたいじゃありませんか。建物は明治45年建築で、しかも辰野金吾の設計ですから、文句のつけようもありません。このすべてが満たされる奇跡の場所でした。
ちなみに祖母も一緒に行ったのですが、昭和21年に発行された1円札に見覚えがあるということで、昭和3年生まれはマジパないなと思ったわけです。
日本銀行旧小樽支店金融資料館の外見
日本銀行旧小樽支店金融資料館の中その1
日本銀行旧小樽支店金融資料館の中その2
カウンターの中から入り口を見たところ。最高!!
金庫に潜入。1000億円!!
元支店長室から元応接室を見たところ。当時のガラスですよ!!
かかりのお姉さんご推薦の蝶番! これも当時のもので、日本には製造する技術がなくて輸入品とのこと
自分用おみやげのボールペン
同じく自分用おみやげのストラップ
祖母が何でもかんでも和暦で話をするため、皇紀というものに聞き覚えがないか聞いてみたのですが、どうも記憶になかったようです。しかし皇紀2600年(昭和15年/1940年)にはそれをお祝いするパレードを行った記憶があるということで、驚いてしまいました。プロパガンダとはいえ、ど田舎でもそのような行事が行われたことから、祝賀ムードが伝わってくるというものです。まぁそもそも皇紀自体が多分にプロバガンダなわけですが。
閑話休題。この近くには同じく元銀行だった建物がたくさんあるというのはブラタモリでやってたとおりですが、現在はお土産物屋、レストラン、ホテルなどなどとして活用されており、入るだけであればそれほど難易度は高くなさそうです。なお、ブラタモリで旧三井銀行に行ってましたが、あれは当時石屋製菓の所有だったものの、現在は手放してニトリが所有し、美術館になるんだそうです。わりと行きやすくなりますね。
金庫の中では1億円相当の札束と同じ重さのもの(多分神だけで刷ってないもの)を持つことができたのですが、祖母が大はしゃぎでした。だいたい10kgだそうです。
わりと暇だったからか、係のおば……お姉さんにいろいろ話をお聞きすることができ、1時間ぐらいいるつもりが1時間半ぐらいいました。地下がボイラー室になっていて、オイルショックの前後ぐらいまで石炭を焚いていたなんて、お話をお聞きしないと絶対にわからない事実ですよ。
帰りに、自分用に使用済みの紙幣の破片が入ったボールペンとストラップを買いました。こういうおもしろグッズ好きなんですよねぇ。
とりあえず見たかったところはこれでおしまいというわけで、適当に車を止めて(路上駐車したという意味じゃないですよ)運河の方に歩いていきました。
誰がどう見ても小樽の運河という面白くもなんともない写真
あとは特になかったのでぐるっと散歩して札幌に戻ってきました。母と祖母は私と同じホテルを取っていたので、チェックイン後しばらくまったりしてごはんをどこに食べに行くか話をしていたわけですが、とりあえず近くを歩いて適当な居酒屋さんに入ったのですが、とても美味しくて満足しました。昔ほど食べられなくなったのに、たくさん食べさせようとする祖母には辟易としましたが、そんなもんなのかなと思います。
ここからあとは楽しい話はまったくなく、深夜に腹痛で目覚めてえらい目に会い、飛行機に乗る前にはポカリとアクエリアスの500mlをそれぞれ1本日しか口にできないというしんどい(北海道弁でいうところの「こわい」)状態でした。飛行機の中では超爆睡だったのですが。
敗因は気温を見誤っていたことと、全体的にあまり眠れなかったことだと思います。次にOSC北海道に参加しても懇親会には参加せず、適当にラーメンでも食ってさっさと寝ないとダメだなと思いました。
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