四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

七日市陣屋(群馬県富岡市)

2016年12月26日 | 100名城以外の城館跡


1週間の間に2度も上野国(群馬県)入りをしてしまいました。計画を立てての行動なら1度で済んだのでしょうが、何せ、無計画な思い付きでの行動ですので、
北から南へ行ったと思ったらまた北にと言った具合で、時間の無駄遣いも多いものですから1度で済むものが2度になってしまういつもです。

群馬県富岡市七日市1425に所在する 七日市陣屋跡を訪ねてみました。七日市陣屋は、大阪夏の陣の武功により、
上野国甘楽郡内に1万石を与えられ前田利家の五男利孝が、七日市藩を立藩し、元和2年(1616)に築いた陣屋とのことです。
同じ前田氏でも富山藩は加賀藩の支藩ですが、七日市藩は支藩でも分藩でもなく、ひとつの独立した藩でありました。
また、1万石ですから大名ではありますが、城を持つことのできない俗にいう陣屋大名と言う格の低い大名でありました。
利孝を初代として12代続き、12代利昭の時に明治維新を迎えています。
現在、跡地の大半は県立富岡高校敷地となっており、3分の1程の場所に御殿の一部と黒門が残っています。




国道254号線沿いにある県立富岡高校の正門前に「七日市藩邸跡」の大きな看板があります。この前を何度か通ったことがありますが、
訪ねたのは校庭内に入った(陣屋跡を見るために)のは今回が初めてでした。
看板の上に描かれた梅鉢紋は、星梅鉢で、加賀前田家の剣梅鉢(加賀梅鉢)と若干の違いがあります。黒門の瓦に入っているのも星梅鉢です。




御殿
現在の玄関は天保14年(1843)に再建された




御殿玄関
残念ながら中には入れませんし、見ることもできません。




御殿の右側面




御殿裏側  この背後には校舎が建っています




御殿の左側面




黒門(中門)  民家に移築されていたものをさらに再移築したようです
この黒門以外にも、大手門(下仁田町)、裏門(市内)、南門(市内)が移築現存しているようです。




綺麗に整備された庭




同上




土塁  櫓台跡かとも言われている




石垣  陣屋創建当時のものではなく土塁保護のためのものかと




黒門(中門)を外から

訪問日:2016(平成28)年12月24日(土)

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