
城 名:宮寺氏館(みやでらしやかた)
別 名:―
形 態:居館
時 期:平安時代末
築城主:宮寺五郎家平
城 主:宮寺氏・加納下野守・狩尾氏・伊濃氏
遺 構:土塁・水堀
指 定:市指定旧跡(昭和59年〔1984〕7月25日指定)
現 状:西勝院
所在地:埼玉県入間市宮寺489番地
武蔵七党のひとつ村山党の祖・村山(平)頼任の孫で、宮寺五郎を称した家平が築いたとされる宮寺館跡である西勝院を訪ね
てみました。
鎌倉幕府滅亡時(1333年)には加納下野守がここに住んでたと伝承され、江戸時代は伊能尾(狩尾)氏が住んだと伝えら
れるようです。

南側に位置する表入口

山門の前に建つ「市指定文化財 宮寺氏館跡」の標柱
なお、この門は「黒門」と呼ばれ江戸時代の造営のようです。

西勝院本堂

破風の鬼飾りには「菊水紋」 菊水紋は元々は楠正成が使った紋のようです。
ここに菊水紋が使われているのは、この寺院が徳川幕府の庇護を受けたということのようです(正確な知識はありませんが)

山号「宮寺山」の扁額

閻魔堂をコの字に囲むの南側・東側の土塁・・・ここに写っているのは南側部分

宮寺氏館跡の説明板

土塁 南側部分

木と木の間辺りで向きを変えて北方に延びる土塁東側部分

東側部分土塁上から南側部分土塁方向に
説明板にあった空堀については土塁外側にあるものと思料するも痕跡を確認できず

土塁下から土塁を撮るもガレージが邪魔をして何が何だか分らないような写真に・・・

山門野手前左手に遺る土塁 既にお寺の土地でなくなっているのでしょうかフェンスで遮られています

説明板で館の水堀であったと推測されるとある寺の西側を流れる水路

水路南側

水路北側 先の方まで歩いてみましたが、塀が途切れたところで曲がることなくそのまま北方に延びていました。
素人の私から見ると「水堀」には?ですが、あくまで推測ですから。
散策日:平成30年(2018)6月12日(火)