四季・めぐりめぐりて

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平重能の墓・平将平の墓(埼玉県皆野町)

2020年02月03日 | 史跡・遺跡・文化財


名 称:平重能の墓・平将平の墓(たいらのしげよしのはか・たいらのまさひらのはか)
別 名:-
指 定:2基とも町指定史跡(名称:平重能の墓・平将平の墓 昭和38年(1963)10月1日指定)
所在地:埼玉県秩父郡皆野町皆野271 円福寺

皆野町の円福寺に坂東武士の鑑と称された畠山重忠の父・平重能(畠山重能)と、平将門の弟・平
将平の墓があるとのことから訪ねてみました。

上の写真は、円福寺の山門を潜った参道から本堂に向けてのものです。




山門の道向かいにある墓地の入り口に設けられている「平重能の墓・平の将平の墓」説明板




『平重能の墓』




元は五輪塔のようですが、長い時間の間に大分風化してしまったようです。
墓石の傍らには、写真には写り込んでいませんが ≪重能院殿實宗心大居士≫ とある卒塔婆が立て
かけられています。




『平重能の墓』説明文
この説明文の範囲では、この墓が平重能の墓であるとの根拠については触れられていませんが、
「伝」と解釈すれば問題ないでしょう。
また、深谷市畠山(旧大里郡川本町)にある畠山重忠公史跡公園(畠山重忠館跡)にも、畠山重能
(平重能・秩父重能)の墓と伝わる自然石があります。




『平将平の墓』




平将平の墓とされるこの凝灰岩の五輪塔は火・水・地輪が残るのみです。火輪は非常に大型です。
やはり墓石の傍らに ≪平将院殿量山圓光大居士≫ とある卒塔婆が立てかけられています。




『平将平の墓』説明文
平将門の墓とする説があるようですが、円福寺の旧来記を基に実弟将平の墓としているようです。
将門伝説は色々なところにありますから、どこまでが本当か分らないかも知れません。現に、この
皆野町の下日野沢川の沢辺橋の傍には「将門の首塚」と伝わるものがあるようです。

散策日:令和元年(2019)11月29日(金)

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