四季・めぐりめぐりて

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新田義興の首塚(埼玉県入間市)

2021年07月13日 | 史跡・遺跡・文化財


名 称:新田義興の首塚(にったよしおきのくびづか)
別 称;新田義興公首塚
指 定:-
所在地:埼玉県入間市豊岡3丁目7-32 愛宕神社




愛宕神社鳥居
これは二の鳥居で一の鳥居は西方へ100mほど行った町屋通りに面してあります




首塚のある拝殿前に向います




【愛宕神社御由緒】
新田義興も御祭神の一柱として祀られているようです
「義興の首塚(首塚の松)」と共に「十三塚」も今回の目的です




拝殿前まで来ました
春日野部屋栃神山 龍一という提灯が下がっていますが、入間市出身の力士です




     左側:十三塚                     右側:新田義興首塚




『新田義興の首塚』
トタンで覆われた奥の切り株が初代「首塚の松」で、手前が2代目「首塚の松」の切り株
令和に入ったころはまだ2代目「首塚の松」はあったようです。しかし、その理由は分りませんが、
ここ1、2年の間に切られて株だけになったようです。




『南朝忠臣新田義興公 首塚乃松』碑




『「新田義興公首塚」並びに「首塚の松」御由緒 』
新田義興の「首塚」はここ愛宕神社 「胴塚」は新田神社(東京・大田区)にあるようですね。
では、「墓」はと言うと、太田市由良町の威光寺にある宝篋印塔がそれだと言われています。
威光寺は新田義興開基の寺です。
  『新田義興の墓・威光寺』 ←クリックで記事にリンク
  『入間川御所』      ←クリックで記事にリンク
義興主従は矢口の渡しで、足利幕府の者により謀殺(享年28歳)されましたが、この足利幕府の者
とは、竹沢右京亮と江戸遠江守らのことです。
竹沢右京亮は、武蔵七党の児玉党に属する竹沢氏であり、比企郡竹沢郷(埼玉県小川町)を本領に
していた人物に比定されます。
  『竹沢二郎館』      ←クリックで記事にリンク




『十三塚』




『新田義興公従者十三士の塚 十三塚』碑




『新田義興公と十三塚』
先の『「新田義興公首塚」並びに「首塚の松」御由緒 』とかなり重複しています




『初代首塚の松』




「初代首塚の松」保存について




【手水舎】




【日枝神社】




【神楽殿】



最後に樹木の枝の間に見える愛宕神社本殿の「千木」を・・・

散策日:令和3年(2021)5月30日(日)

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