四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

箕輪城(群馬県高崎市)

2018年02月19日 | 日本100名城
■ 国指定史跡 箕輪城跡



城 名:箕輪城(みのわじょう)
別 名:―
形 態:山城 → 平山城
築城年:永正7年(1510)ころ、永禄9年(1566)、天正15年(1587)、天正18年(1590)
築城者:長野業尚、武田信玄、北条氏邦、井伊直政
城 主:長野氏、武田氏、織田氏、後北条氏、井伊氏
遺 構:郭・土塁・堀切 ・石垣
指 定:国指定史跡  日本100名城(16)
所在地:群馬県高崎市箕郷町西明屋(旧・箕郷町)

箕輪城を久しぶりに訪ねてみました。今回で3度目の攻城になりました。つい2、3年前に訪ねたように思っていましたが、
前回は平成24年(2012)4月のことですので約6年を経過していたわけです。
この間に郭馬出西虎口門が復元されたり、杉林の伐採や、城跡路の整備、駐車場の整備等がなされていましたので、新たな気
持ちで攻城してきました。




新たに整備された「史跡箕輪城跡駐車場」




駐車場には水洗トイレも併設されています
この駐車場に我が愛車を駐車していざ攻城を始めようとしたところ、風も強くなり白いものが舞い始めました。
しかし、このまま帰るわけにはいきませんので様子を見ながら攻城しようと・・・




以前は写真の左下にある道を通って二の丸前にある駐車場まで行ったものですが。




搦手口
風が強く幟がまくれ上がっています。




郭馬出西虎口門方向への道は新しく整備されたようです
右側の坂道が従来からの登城口で二の丸前に通じていますが、今回は郭馬出西虎口門方向への道を進んでみました。




見るからに新しい道です。先のほうに郭馬出西虎口門の屋根が少し見えています。




木俣郭ですが、他所(城)には「木俣郭」というのは存在せずこの箕輪城のみにあるようで、謂れは諸説あるようですが、
井伊氏の重臣であった木俣守勝の屋敷があったことからとの説が有力のようです。




木俣の発掘調査の説明板




木俣と大堀切を挟んだ北西方向に郭馬出西虎口門が見えます。




郭馬出西虎口門




郭馬出西虎口門説明板全体




郭馬出西虎口門の説明部分




郭馬出西虎口門  正面から
平成26年(2014)から復元工事  平成28年(2016)年11月完成




郭馬出西虎口門  正面から




郭馬出西虎口門 屋根部




門から郭馬出を見る




郭馬出内から西虎口門を見る




同上




郭馬出西虎口門内側




郭馬出




郭馬出 標柱と説明板




奥から 郭馬出 大堀切と土橋 二の丸




大堀切 標柱と説明板




大堀切  左側が二の丸  中央が土橋と石垣  右側が郭馬出




大堀切土橋説明板




大堀切の堀底から見た郭馬出西虎口門




二の丸




二の丸に設置されている箕輪城跡見取り図
御前曲輪へお越しの・・・の文言と矢印は現在本丸を整備中のために迂回路を表示したもので、一時的な表示。




二の丸前の広場
史跡箕輪城跡駐車場が整備される前は、ここが駐車場になっていました。




広場からの眺望




かつてはこの中に100名城スタンプが置かれていたようですが盗難にあってからはスタンプを押した紙と箕輪城跡の説明書が
置かれています。




本丸門馬出し




二の丸と本丸の間の空堀(本丸堀)




城郭整備工事中の本丸跡
立ち入り禁止ですので工事内容は分りません。果たしてどのような整備がなされているのか・・・

今回の箕輪城攻城は復元された郭馬出西虎口門を見ることが第一の目的でしたが、冒頭でも触れたよう整備が進んで以前訪れた
時とは全く雰囲気が変ってしまっていました。

これ以外の曲輪等は「箕輪城②」として追って投稿します。

攻城日:平成30年(2018)2月17日(土)

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