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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

綿打氏館(群馬県太田市)

2018年11月13日 | 100名城以外の城館跡


城 名:綿打氏館(わたうちしやかた)
別 名:ー
形 態:館
時 期:鎌倉時代
築城主:綿打為氏
城 主:綿打氏
遺 構:土塁
指 定:ー
現 状:大慶寺
所在地:群馬県太田市新田大根町(旧新田郡新田町)大慶寺

綿打為氏は、新田義重の流れくむ新田政義の2男・大舘家氏の子で、元弘3年(1333)、新田惣領家の新田義貞の麾下として、
弟宗氏とともに鎌倉幕府討伐に従軍した。同年に弟が鎌倉極楽寺坂で戦死を遂げたが、以降も義貞に従った。 1338年に義貞が
越前藤島で戦死すると、後に同じ南朝方の北畠顕家に従って、転戦を繰り返して和泉で戦死を遂げた。

大慶寺の庭には約150種、3,500株のぼたんがあり、4月下旬から5月上旬に赤、白、黄色の花が咲き誇るそう。




綿打氏館跡である大慶時は群馬県道315号線沿いにあり、「ぼたん寺」の大きな看板が目印となります




仁王門




仁王門扁額には、山号の「妙満山」と揮毫されています   
大慶寺の開基とされている悪源太義平の妻が出家後に名乗った妙満尼からとった山号




門前の右側には、「ぼたん寺 大慶寺」とラッピングされた自動販売機が設置されています




自動販売機の裏に「綿打入道太郎為氏館跡」の石標がありました
正しくは、自動販売機の裏にあるのではなく、自動販売機が標柱の前に設置されちゃったということです。
そんなことから、ここを通った時は気付かず、帰り際に「そう言えば標柱がある筈だが」と探してみたら、ここにあったとい
うわけでして、斜めからしか写真は撮れませんでした。




参道はまだ続きます




これが表門のようですが閉じてあります




参道の突き当りにある「新田不動尊」




「不動明王」と揮毫された扁額




新田不動尊は、新田氏の守不動とされたとあります




本堂方向に目をやると諸々の由来が記された説明板がありました
金属板で陽が当たっていますので読みすらいですが・・・




大慶寺由来
永暦元年、源義平「悪源太」歿後その妻が父新田義重を頼り世良田郷に住み後綿打郷に移り義平の冥福を祈ると共に菩提を弔
うため出家して妙満寺となり一庵を結びました。したがって妙満尼を大慶寺の開基とし山号を妙満山と称します。その後綿打
入道為氏の館となり・・・
とあります

悪源太って、木曽義仲の父で、自身の叔父でもある源義賢を、現・埼玉県嵐山町の大蔵館で討ったあの悪源太ですよね。
更に、悪源太の没後妻が住んだという世良田とは、京で清盛父子の命を狙って捕らわれ斬首された義平のことを知った妻は秘
かにその首を持ち帰って埋葬し夫の菩提を弔った(伝承でしょうが)という義平山清泉寺のことですね。




鐘楼




本堂




本堂にかかる扁額「大慶寺」




本堂の裏手  この文殊堂の背後の高まりが土塁跡のようですが庭木等が多くてよくわかりません




背後に回ってみました  土塁跡が確認できます




綿打氏の墓所   ※住職さんに場所を教えて頂きました




中央の宝篋印塔が綿打入道太郎為氏の墓です




墓所の確認を終え境内に戻る途中にたまたま見つけた「綿打刑部郷太郎為氏之墓」標柱
墓所のすぐ前にあったのではなく、墓所から離れた木の脇にありました。標柱の背後奥の方に墓所はあります。

散策日:平成30年(2018)10月2日(火)

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