四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

堀口氏館(群馬県太田市)

2018年11月12日 | 100名城以外の城館跡


城 名:堀口氏館(ほりぐちしやかた)
別 名:ー
形 態:館
時 期:鎌倉時代
築城主:堀口貞氏(家貞)
城 主:堀口氏
遺 構:ー
指 定:ー
現 状:農地・宅地
所在地:群馬県太田市堀口町(旧新田郡尾島町)

新田氏の一族で大舘宗氏の兄堀口次郎貞氏が、新田荘内の堀口郷に館を構えて居し堀口氏を名乗り、堀口氏の始まりとされて
いるようです。その孫義光は、新田義貞が元弘3年(1333)5月8日、生品神社にて挙兵したとき集まった新田一族の中に入
っています。
館跡は早川改修工事による堤防拡巾のために消滅してしまいましたが、館跡の標柱等があるとのことで訪ねてみました。
散策するにあたり、賀茂神社の近くであるという情報を頼りに賀茂神社近くまで行き、適当に歩いてみたものの、これでは見
つかる筈はありません。かと言って、誰かに聞こうにも人影はありません。屋敷内の作業場で作業中の私と同年配の女性を見
かけましたので、声を掛けさせていただき、事情を説明したところ、懇切丁寧に行き方を教えてくれました。




教えていただいた通りに行くと「堀口氏館跡」の標識がありました




そしてこれも教えていただいた水道橋  トラックが走っている道路が県道276号線
左側の建物の所の木が茂っている場所に館跡の標柱と説明板があります




堤防の拡幅工事・改修によって館跡の遺構は消滅したようですが、場所を教えてくれた女性の方の話の内容からすれば、館跡
はこの堤防の辺りにあったようです。また、標柱や説明板もそれに伴い堤防下の現在の場所に移したようです。




整備された堤防と県道  この辺りも館跡の一部であったのかもしれません




上の方から標柱や館跡説明板の建っている場所を見ています




「堀口氏館跡」標柱と説明板
「正覚寺跡の石碑」は木が繁茂していて隠れてしまっています




「堀口氏館跡」説明板




正覚寺跡の石碑  この写真では天候が良すぎて光ったり影が出来たりで読めませんので、下記に内容を転記しておきます。

 堀口山不動院正覚寺跡
維時 昭和42年4月建設省起業 早川改修工事による堤防拡巾のため正覚寺を移転するのやむなきに至り檀徒相会し協議の末
に村内の淨蔵寺との合併を定め駒形山に不動堂を新築し墳墓を移す
思うに建武の昔新田氏の族将美濃守堀口貞満公の建立と伝えられこゝに六百有余年の寺風を失うことは堪えがたきこと乍ら子孫
永代にわたる水難防災を祈念してその一隅に寺跡をしるものなり
                                昭和43年5月1日  正覚寺檀徒一同




やむなきを得ず合併して正覚寺が移された淨蔵寺  山門には山号「駒形山」と揮毫された扁額が架かっています




門前に建てられている「淨蔵寺」説明板  正覚寺との合併の経緯もきちんと書かれています




淨蔵寺境内に建立されている「不動堂」




淨蔵寺本堂

散策日:平成30年(2018)9月19日(水)・10月2日(火)

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